シャクティマットで痛みを考える


昨夏あたりにシャクティマットという、やたらに痛いマットを買いました。
現在まで利用を継続しています。
好奇心で色々買うのですが、よく続いている部類だと思います。



現代の生活をしていると、狩猟採集生活に比べて、痛い目にあうことが少なくなりがちです。
狩猟採集生活に適応していると言われる人間の肉体や精神は、本来受けるべき痛みを欠くことで、何らかのバランス失うのではないか、と思わないでもなかったのが、試してみようとおもったきっかけです。



で、これがかなり痛いです。
大学生の子どもが試したところ「想像したのの100倍痛い」とか言ってた気がしますが、うまい表現だと思います。



当初は仰向けで寝てましたが、これは意外にも慣れるのが早く、今は立っています。
こちらは、なかなか慣れず、いまだに痛いです。



すごく痛いのですが、身体的には何ら問題は生じていないというのが面白い点です。
ある意味でニセの痛み、不要な痛みといえます。
痛みとはいったい何なのだろう、と考えるきっかけになります。



以前は、どこかに痛みがあると、何か異常があるのではないか、大事にしないと駄目なのではないか等と色々と考えがちでした。
ただ、シャクティマットの無価値な激痛を浴びると、痛いからと言ってあまり気にしてもしょうがない、という気になります。
また激痛から気を紛らわすために、深呼吸をしたり他のことを考えようとしたりジタバタして、精神修養になります。痛み止めを飲んでは意味がありません。
そして、1ヶ月単位で言うと少しずつ痛みに強くなっているような気にもなります。



そんなわけで、人に物を贈る機会があると、シャクティマットを贈りまくっているのですが、はたして使われているのかどうかはよくわかりません。

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