7月 31st, 2020
先日、それなりに本格的なエンデューロレースに2度目のチャレンジをしました。
会場はスキー場で,天気がよくても私は1周できるかどうかという状況ですが、大雨のせいで、コースがドロドロになり、すごいことになりました。
午前中に少し緩めのクラスのレースがあり、ドロドロの中を走っているバイクを観戦していました。しばらくすると、applewatchが何か騒いでいます。心臓の鼓動が異常に速い状況が続いているという警告です。恐怖で震えた心を読まれていたようです。
自分の頭の中で,勝手に想像を膨らませておびえあがる,というまさに人間性の表れといえます。
とはいえ,それも全く無駄ではないかもしれません。ある程度の中期的な期間にでは,遺伝的に生まれ持った性格に応じて,結局は同程度の恐怖を感じるようにできているのかもと思います。どんなに安全な環境にあっても,遠い将来において,何らかのことが起こる可能性や,きわめて確率が低いけど全くないとはいえない事象の可能性について想像を膨らませて,おびえあがってしまうのかもしれません。
これは,苦痛とか,不満とかも同様なのかも,と思います。
痛みのない生活を送っていても,何らかの痛みの信号だけが発信されてきて,なんの痛みだがよくわからないので,頭が痛いに違いないと解釈してみたり。
善良な人々に囲まれて生活していても,何らかの不満の感情だけが高まってきて,その原因を適当に作り出して,誰かさんに対して無性に腹が立ってきたり。
もっとも,どこかがいかれてしまったり,あまりに強い出来事があると,また違うことになるのかもしれませんが,大方そんな感じなのかもと思います。
まあ,どうにもならんというだけとも思えますが,適度な怖さや,痛みや,対人ストレスはいたずらに避けようとしても無駄なので,向かっていけ,という教訓ともいえます。
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6月 28th, 2020
内燃機関、つまりエンジンは、このところ、電気モータに押され気味です。
車の加速性能は、時速100kmまで何秒で達するか、という指標でみることが多いですが、電気自動車が優勢です。速い上に環境にもよい、しかも自動運転の制御も容易となると、内燃機関は分が悪いといえます。
先日、オフロードバイクの集まりがあり、川もどきの水たまりを渡ろうとしたところ、1台のバイクが水を吸ってしまい、動かなくなってしまいました。ところが、(その集団がツワモノだったこともありますが)、適当に分解したりネジを外したりして、水を吐き出させて、そのうち何事もなかったように動きだしました。電気モーターで、入るべきでないところに(泥)水が入ったらショートして焼けてしまったりして、なかなかこうはいかないようにも思います。
泥水かぶったりしても、適当に直していけるタフさは、内燃機関の強みといえるのでしょう。
オフロードバイクの世界では、いまだに2ストロークエンジン(2スト)が活躍しています。私が高校生の頃は、原付バイクの大半は2ストでしたし、250㏄くらいまでは2ストと4ストが混在していました。
今は、ほとんどのエンジンが4スト、つまり車にも搭載されている普通のエンジンです。2ストと4スト何が違うのか、というと、2拍子と4拍子、爆発がバンだとすると、エンジンのピストン運動で、
2スト バントン、バントン、バントン、バントン、バントン
4スト バントントントン、バントントントン、バントントントン
という感じです。爆発頻度が高いので、ハイパワーだけど、燃費が悪いということで、環境カルトの餌食になってしまったのです。
とはいえ、最近は2ストも直噴化したり、色々工夫して燃費もだいぶ良くなってきて、F1も将来は2ストになる、なんて噂がでる等、少しだけ復権の動きもあります。
燃費がよくなっても、白煙をモーモーと出すのは、相変わらずのようです。白煙の正体はオイルで、おそらくのところ、大気を汚染することもなく、なんとなく、そこら中にふり注いで、人間社会を潤滑するものと思われます。
もっとも、砂ぼこりにまみれた場所ならいざしらず、子供の立小便すら耐え難く感じる気難しい人々が構成する社会では、潤滑するどころか、火に油を注ぐことになりかねません。
私に近い世代では、2ストはいいね、という話はよくあります。私も、なぜか、オフロードバイクの猛練習をしていますが、2ストのおかげかな、と思うこともあります。何がよいのかというと、色々一家言あるのでしょうが、ひとつには音がよいのだろうと思います。
10代の頃に聞いていた曲の影響力は大きくて、好きな曲なんていうものは、10代の頃に聞いた曲のことが多いと言われています。以前、明治時代の日本を旅した外国人の本を読みましたが、当時の日本人は純邦楽のようなものが大好きで、西洋音楽を聴くと耐え難いという反応を示したというようなことが書いてありました。きっと10代の頃までに、そういった曲に慣れ親しんでいると、そういう風になるのだろうと思います。
高校のとき、バイクが欲しいというので頭がいっぱいで、そのときに輝いていたのが2ストと、4ストの超高回転4気筒エンジンでした。この2つのエンジンの音は、いまでも気が惹かれます。4ストの超回転4気筒エンジンもいつのまにかなくなってしまってます(古いものを、爆音を鳴らしながら走っている人もいて、多くの人は不愉快になるのでしょう)。
気が乗らないながらも、練習に行く。とりあえずエンジンをかけると、それまでの気分を忘れて。そんなことなのかもしれません。
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5月 30th, 2020
この2か月間、久しぶりにフル回転で仕事をした気分です(とはいっても、執務時間やバイク練習の頻度が落ちたわけではありません)。あともう少し、こんな感じが続きそうです。
社会の状況が、こんなですので、それに合わせて当事務所も色々しなければ、とうことで、色々と取り組みました。
物事のやり方を変えるというのは、大変です。人の習慣等の惰性は強力です。5年、10年、20年前にした判断を大事に抱え込んで、それを続ける理由を心の中、組織の中、社会の中に積み重ねていきます。
人間は、何事にもたいてい理由がつくということがうまく理解できず、理由がついたことは正しいことと思ってしまうのです。
この惰性が、このたび強く中断されました。色々なことをじっくり検討する機会となります。とはいえ、状況が戻れば、ほぼすべてのことを、粛々と今までどおり、とり行おうとしたくなります。
そうはならないよう、様々に積み重ねられてきた従来のやり方を正当化する理屈に騙されないよう気を付けながら、より合理的な運営を目指していきたいと思っています。
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4月 30th, 2020
ウイルスは見えないし,臭いわけでもない。つまり,人間の認識構造は,ウイルスを認識できるようにはなっていません。
それ以外にも,人間には,わかっても良さそうだけど,認識できないことがたくさんあります。
10%と1%と0.01%の確率の違いも,うまく認識できません。
現状,日本のウイルス感染者は,1万人に1人程度(つまり0.01%)。で,発見された人は既に適度に隔離されていると思いますので,町中に未発見の感染者が同程度いるとして,感染者は1万人に1人。その1人から感染する人数は数人。つまり,今感染するためには,1万人に1人に出会って,その人が感染期間中に接触した人の中で,濃厚接触度上位3人以内に入る必要がある。という状況です。
1万分の1の可能性でいうと,40代の人が,何らかの理由で1ヶ月以内に死んでしまう可能性という確率です。つまるところ,可能性はゼロではないが,そのような可能性まで考えて行動はしないという確率です。
ところが,10人乗ったエレベーターで咳でもされようものなら,恐怖に身が震えてしまいます。仮に,10人に一人の割合で感染しているのであれば,もう日本中で1千万の人が感染していることになります。その上で,現在の死亡者数,重傷者数ということであれば,危険性はとても小さく,ただの風邪とほとんど変わらないということになります。うつったって大したことないはずです。
現実の感染者数は,1万人に1人か,5,6人に1人かの中間的なところにあるのでしょうが,いずれにしろ,その中間点で危険が急に高まるということはないと思われます。
つまるところ,10%であれ,0.01%であれ,「可能性はゼロではない」という定性的表現でまとめあげられて,頭の中で同じものと扱われてしまう。その結果,0.01%を前提にした危険性と,10%を前提とした感染の蔓延がつながってしまうものと思われます。
そうは言っても,「知り合いの知り合いで感染者が出ている」んだから,身近なところに迫っていることは確かだ,と思うかもしれません。
今度は,人間は指数関数的な状況が理解できないという話になります。指数関数というのは,○乗というところがxになるやつで,2の1乗=2,2の2乗=4,2の3乗=8というやつです。このあと急激に上がっていきますが,それが予想以上に上がっていってわからなくなります。また,これが2より数字が大きくてもわからなくなります。
仮に知り合いが100人+αいるとします。そうすると知り合いの知り合いは1万人いることになります(αを共通の知人とします)。そうすると,知り合いの知り合いというだけで,人口1億の社会では,1万人に1人に到達してしまいます。
大抵の人は,知り合いの知り合いの知り合いには,超有名人がいるものですが, 知り合いの知り合いの知り合いであれば100万人いることになり,日本に100人しかいない超有名人に辿り着いてもおかしくないわけです。
これは「馬鹿なヤツはこういうことが分からない」という話ではなく,人間の認識とはこういうものだということです。目が悪いからウイルスが見えないのではなく,どんなに目が良くてもウイルスは見えません。
ただ,ここで災害が起こって避難すべきとき,なにかの事情で医者に行ったほうが良いとき,いったん自分の怯えた理性に蓋をして,こういう視点で考えてみるのも良いかもしれません。
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3月 30th, 2020
コロナウイルスにまつわる諸々は,分からないことだらけです。
自粛関係も一体何を目的としているのか,いまいちよくわかりません。
わからないことの一つは,咳エチケットです。
無症状の人が,どんどん感染を広げているのであれば,咳と人に感染させることとはあまり関係ないのでは?という気がします。
となると,嫌な予感がするのは,「無症状でも,ウイルスに感染している可能性がある。それを防ぐためには,みんなマスクをすべし」というルールが生まれそうなことです。マスクは自らの予防ではなく,あくまで他人への感染防止なのですが,症状の自覚の有無に関わらずマスクをしろ,ということですね。それが本当に感染予防になるのかなんてどうでもよく,勢いで何かそういうことになってしまいかねません。
ここのところの人類の大半は,頭部(顔面を含む)・首,手の先端(社会と性別によっては足の一部)以外は布等で覆うという社会的風俗を有しています。コロナ後の社会においては,これに加えて,口周りも覆うべしという風俗になるかもしれません。
そうなるとアップルは黙っていないでしょう。実を言うと,最近は臭気センサーの高性能化,小型化,低額化が一気に進んでいます。少し前に,kunkunbodyという口臭測定器を買ってみました。電源を入れてから使用までに時間がかかる等,もう一歩の感じがありますが,なかなかの性能です。
仮に,センサー付きのマスクが口元で待ち構えていて,呼吸数だけでなく,口から排出される様々な化学物質を測定できるとしたら,applewatchが測定しているどころではない健康上重要な情報が得られます。
おそらくは,今までのマスクとは違った,見せびらかしたくなるようなオーラをまとったapple maskが登場するのでしょう。
しかも,マスクですので,一部パーツは毎日取り替えが必要で,これをアップル価格で買ってもらうとなると,かなり魅力的な計画になりそうです。
そうなると,どうしても,次に健康情報把握のための化学物質把握センサーを付けて提供したくなるのは,やはりappleWCでしょう。が,そこまで踏み込むかは,なかなか難しい判断になりそうです。
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2月 28th, 2020
世の中,コロナウイルス一色です。
私は,ウイルス関係のそれなりにかたい本を3,4冊,免疫関係の本も2冊くらいは読んでいるので,だいぶ,そういったことについては分かっているはずです。
もちろん,もっと詳しい人は,腐るほどはいないとしても,かなりいます。でも諸々の研究の結果,詳しすぎる人は物事を適切に予測したり判断できず,むしろ軽く知っているくらいが一番よいようです(ファーストアンドスローより)。まあ,なかなかの具合なんだろうと思います。
で,結局,ほとんどわかりません。人々が,色々なことを述べ奉っていて,それがおかしいことは分かったりもするのですが,では,どうなのかというと,わかりません。
ということで,あとは無事を祈るしかありません。このあたりは,古来,人間が行ってきたことです。
東アジアの一部の国々では,人体の一部に魔除けを張ることによって,邪悪な病から体を守ることができると信じられているようですが,そういったことも効果があるのかもしれません。
1年を振り返る頃には,「コロナウイルスって今年のことだったけか」と言えるようになっていたいものです。
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1月 31st, 2020
昨日,便所のドアノブを修理しました。
今のマンションに住み着いてから15年以上経ちますが,備え付けの器具やその頃購入したものが,ドンドン壊れていきます。
数年前には,湯沸器,リビングのエアコン,テレビが次々と壊れていき,相当程度の出費がありました。テレビは進化していて大幅に便益を享受できましたが,前の2つは進化をほとんど実感できず,単に出費がかさんだ出来事でしかありません。
昨年は,ビルトインの食洗機(これは交換後のほうが使いにくいとの評判)と,風呂場のパッキン類が2回だめになり交換しました。
金がかかるだけでなく,業者にきてもらうための自宅待機も面倒です。
そんな中,ここ数年ごまかしながら使っていたトイレのドアノブがいよいよという状況になってきました。
学生の頃2年ほど住んでいたところは,隣の人とシャワー兼便所を共同で利用する部屋でした。このシャワー等室の鍵の調子が悪くなり,ドアを締めてしまうと鍵を開けられず閉じ込められてしまうので,いつしかドアを半開きで利用するようになっていました。ある日,戻ってくると,割れたガラスと血が。隣の人がやってしまったようです。
そんなこともあったので,ドアノブの不調もバカにできません。
さて,ドアノブはどこに連絡したものだか。マンション管理会社系の住宅サービス会社か?でも,交換部品がないからドアごと全取替なんてことになって,まわりの色調と合わなくなって面倒だなあなんて考えていました。念の為,ドアまわりを観察すると錠部分にブランド名らしきものが。
ネットでブランド名を検索してみると,ドアノブ交換オススメ,DIY系通販サイトの趣きです。どうもサイズを変更しておらず,自分で交換できそうです。さすがにノブが同じデザインのものはありませんでしたが,適宜,相応なものを見つけて入手できました。
他のモロモロが,たいした性能向上もないのに仕様変更を繰り返して修理不可能になっていたのとえらい違いです。
色々と変化していくことも大事だと思っていますが,くだらない改善をしないことの大切さも感じた出来事でした。
なお,これをひとおり書いたところで,なにかブラウザの調子がおかしくなり。書いた原稿が全部消えた。いままでのワードプレスだと下書きとかどこかに(特に保存操作しなくても)保存されていたのに,今回はあとかたもありません。おそらく,更新されてそういう仕様になったのでしょう。くらだない改善はやめろ!
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12月 29th, 2019
今年は,途中で嫌になって,読むのをやめた本が多かった印象です。読みだした本はたいてい最後まで読みます。でも,今年はそれなりに頑張ったけど,これ以上は時間の無駄と思ってやめた本が5,6冊あります。
外国の本で,翻訳されて,さらにKindleで読めるようになっている本は,ある程度よい本が多かったのですが,今年はだいぶはずしました。まあ,年をとって短気になっただけかもしれませんが。
そういう中で,最後まで読み通した本です。
植物はそこまで知っている 感覚に満ちた世界に生きる植物たち
空間という概念は必然的とはいえない,と考えたときに,仮に木に意識があったとした場合,木は自ら動くこともできず,飛来物をよけることもできないので,空間概念を持たない世界観を持つのではないかと思っていました。
木が意識,というとバカらしいかもしれませんが,この本にあるように,植物にそれなりに感覚器官があることは明らかです。そのあたりで,何かヒントがないかと思って読んだ本。
脳はいいかげんにできている その場しのぎの進化が生んだ人間らしさ
脳は感覚刺激をもとに世界を作り上げている。目は実際にはキョロキョロ動き続けているのに,静止した世界を見ている気がしている。時計の秒針を見た瞬間,1秒より長く止まっていたように感じるのもその作用。秒針を見た瞬間,時計の針は止まっていたので,それを元にそれ以前も静止していたという記憶を脳が作り上げたということ。
痛みと不快感は,別物。脳の一部を損傷すると,痛みを感じることはできるが,それを不快とは感じなくなる。とのこと。
こういう痛み止めがあるとよいなあと思います。
西洋の自死―移民・アイデンティティ・イスラム
移民の大量受け入れをしているヨーロッパでは大変なことになっているという本。イングランドとウェールズにおけるもっとも人気のある男児名は、モハメッド(異なる綴りもあわせる)とのこと。
そもそも,福祉国家(貧乏な人に最低限度の保証を国家がするということ)と(経済)難民の受け入れというのは,両立しえないことは明らかだろうと思うのですが。
知ってるつもり 無知の科学
人の知識は社会的コミュニティーの中で働くようにできていることらしい。誰かに聞けばわかることは,自分でもわかっている気がしてしまって,覚えようともしない。なるほど。
個人単独の能力より、社会的コミュニティーの知識をうまく使える能力が肝心とのこと。
美しき免疫の力 動的システムを解き明かす
免疫の仕組みは複雑すぎて,一概に何とは言えない。ということのようです。
人間は,古来,病気を治そうとしたり,健康になろうとしたりして,人間の持っている認識ツールを使って,「こうすれば治るはず」「これは健康に良い」とかやってきましたが,ほとんどうまくいきません。現代の医学でも,〇〇の物質が○に効果があった,とか,動物実験では成功した,とかいうあたりから,ごく自然に推論して人間に試しても,たいていダメです。
免疫細胞は種類が大量にある上,同じ免疫細胞でも全く別の作用(あるときは免疫を制御し,あるときは促進する)したりということのようです。人間の認識作用では,物事を分類して,同じものは同じ作用をするという認識構造を使いますので,いくら考えてもよくわからないということになりそうです。このあたりの免疫の複雑さが,人間が思いつく医療や健康法がうまくいかない原因にも思えます。
巷にあふれる健康情報で,「〇〇で免疫細胞が増えたので健康に良い」なんて言いますが,免疫細胞が増えたとうことは炎症が発生している,とか,病原菌が入ったということなのでは,とも思えます。
風邪を引いて,色々症状がでるのは免疫反応のようです。体を温めると免疫が活発になるとか言って,布団にくるまると鼻水が止まったりしますが,鼻水がでるのも免疫反応なので,むしろ免疫反応が弱まったのでは,とも思えます。
つまるところ,免疫の反応は複雑すぎて,人間の認識や推論を受け付けないのではないかという気がしてきています。
明日の幸せを科学する
人は,「こうなったよいのに」「こうしてほしい」とか色々要望を持ってるけど,その要望がかなっても,思ったようにうれしくなったり,幸せになったりしない。
逆に,「こんなことが起こったら耐えられない」と思っていたことが実際におこっても,意外に平気でいられる。
出来事が起こることによって,基本的な考え方や価値感が変化するのが原因。そして,その変化を人は覚えていないし,認めない。
ということで,自分や人様の現時点での考えや希望については,話半分未満でとらえておくことが肝要。
「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき
議論や話し合いにそれほど価値があると思えていないので,そのあたりの認識を改めたいと思って読んだ本。
でも,この1年で読み通した本の中では,ワーストです。自分の意見と違うから投げ出した,ということになる罪悪感から,読み通しましたが。
残念ながら,著者は自分の書いていることや,やっていることを理解できていない感じがして,説得力が乏しいです。多様な集団が,優秀な集団に勝つことになるモデルを提示していますが,最終的には前者が勝つような前提を作っているようにしか思えない・・・。著者のいう真理とはトートロジーということですかね。
進化心理学から考えるホモサピエンス 一万年変化しない価値観
世の中にはジェンダーがどうのとか言う人がいます。私は,そういうことを言う人は動物番組を見たことがないのだろうか?人間以外の動物は雌雄で役割分担があるのに,人間の男女の役割分担だけが社会の呪いだというのは,いったい何故だろうか。と思っていました
このあたりのことも書いてあります。どうも,ナチスあたりの優性思想に対する反省から,人間のことを遺伝子をベースに分析することに対する抵抗感が強い時代が長く続いて,その中から人間の行動は先天的な遺伝子ではなく,後天的にすべて決まるというような社会学の方向性(この本の中では標準社会学と読んでいた気がします)が生まれたということのようです。つまり,人間と動物とは全く違う,ということのようです。
アメリカでは,進化論を受け入れずに,「人間が猿から進化したなんて冗談じゃない。人間だけは違う」と信仰している人が多くいると聞いています。ジェンダー論というのは,それと同じような思想傾向なのかなという気もします。
この本の進化心理学というのは,全く逆の方向で,まずは遺伝子に操作される人間像から考えていくことになります。自然淘汰によって,今のような行動をする男と女が生き残ったという論理の流れです。
この議論の方向で説明できることも多々あります。反面,この本の議論では,男は女の目ばかり意識して行動(またはその逆)していることになっていますが,現実には同性の評価というものは意識の中でかなり大きなウエイトがあります。もう少し説明の理論の深化が必要そうです。
時間は存在しない
生物学系の本が多い中で,久しぶりに物理学系の本です。 物理学系の本は,はじめは面白いのですが,本の半分くらい読んだあたりで頭の中が飽和して(数式や定義の理解がおっつかなくなってきて)降参することが多く敬遠していました。
時間は客観的に存在しないのでは,というのは自分の中での中心的な課題ですが,そこにドンピシャの本です。ループ量子重力理論というものを専門とする物理学者が書いています。
難しいことを分かりやすく書く能力が高く,そういうものを読む気持ちよさがあります。ちゃんと理解できたかというと,そうでもありませんが。
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11月 27th, 2019
以前,肩掛けスピーカーの使い方イメージが湧きにくいというようなことを書きました(利用法)。もう少し一般的な利用法を見つけました。
最近はオフロードバイクによく乗りますが,公道の移動はもっぱらバイクを積んだハイエースです。思いのほか乗り心地も悪くなく,目線がかなり高い(SUVなんかよりさらに高い)ので,それなりに快適です。
でも,高速道路を走ったときの風切音だがロードノイズだか,騒音は大きいです。一応,カーオーディオを入れてはいますが,リズムと声くらいしかよく聞こえません。それでよい音楽もあるのですが,もう少し小難しいところに注力しているものだと,音楽とは言えなくなってしまいます。
そこで,肩掛けスピーカーを試してみると,なかなかです。少なくともカーオーディオで聞くよりは大幅に良いです。おそらくは,商用車のオーディオ環境は似たり寄ったりでしょうから,こんな使い方をされているのかもしれません。
最近,アップルウォッチを試してみる気になりました。これは騒音も図ってくれるのですが,ハイエースで高速移動している時間帯は,100dBをそれなりに超える騒音が記録されています。先日の日曜日に,モトクロス草レースのの超初心者クラス的なものに参加したのですが,記録されているグラフをみるとレース中とハイエース乗車中の騒音レベルはほぼ同レベルのようです。そんなわけで,この週は環境音レベル大という警告がでています。
オフロードバイクに乗ることは,とてもよい運動です。と言っても,バイクに興味のない人はそれがどういう乗り物であるかの視覚的なイメージがないようです。そして,一般的なイメージからすると,バイクに乗ることが運動になるといっても,何か比喩を言われているように思われ,伝えるのが難しいところです。
アップルウォッチは心拍数を図っています。で,オフロードバイクに乗っているときは,振動が似ているのかiPhoneやアップルウォッチは歩いていると認識しています。そして,オフロードバイクに乗った日の歩行時平均心拍数は150前後と記録されています。これが概ねバイクに乗っているときの平均心拍数と思われます。軽く調べた限りだと,たいそうな運動をしている数値のようです。もちろん,怖くて心拍数が上がっている部分もあるでしょうし,バイクの振動を歩行と勘違いするように心拍数測定もやや怪しいとは思いますが,まあ運動になっていることは間違いなさそうです。
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10月 30th, 2019
久しぶりに物理学系の本を読んでいますが,やはり量子力学というのは,感覚的な把握が難しいですね。数学的理解をすれば違うのかもしれませんが,ちょっとそこまでは無理そうです。
というところで,これ以下に書くことは,私なりの適当な理解に基づいて書いています。
量子の不可思議な性質のひとつに,どこにあるのかはしっかり確定できず,どこにある確率は〇%,どこにある確率は△%というふうにしかわからない。ただ,観測すると,どこかにあったこと確定してしまう。というようなものがあります。
そういうものが世の中にない気がしているので,想像できず理解できない。というのが一般的なところです。
でも,人の意見とか考え,気持ちなんていうものは,同じようなものではないかと思います。
ある人に,意見なり(政治的意見にしろ,プロ野球での起用の是非にしろ),好み(食べ物にしろ,人にしろ)を聞いたら常に確定的な答えが返ってくるかというと疑問です。そのような実験は無理ですが,あるタイミングで聞いた場合と,その1時間後に聞いた場合とで,同じ人が同じ問題について異なる意見や好みを表明するということはいくらでもあるだろうと思います。
少なくとも,自分の考えの動きを観察している限りは,そういうことになりそうな気がするし,他人がそれと異なるという感触もありません。
ただ,ある意見をひとたび口外してしまうと(少なくともその人との関係では),その人の意見は確定的になっていく面があります。
つまり,聞く前はある人の考えは,聞くタイミングによって〇%でA意見,△%でB意見という実態があり,実際に聞くとA意見なり,B意見に確定するというのではないか,ということです。。
となると,量子的な出来事は,自分の頭の中で巡っている考えだったり,身近なおしゃべりだったりという形で極めて身近な可能性があります。
それでも,理解できないのは,身近でないからではなく,人間の認識構造がそういうことを拒否するようにできていることが理由の気もします。
上記に書いたように,人の意見や考えが実際にはかなり適当で,聞くタイミングによってコロコロ変わるに違いないとかいうこと自体を,人間は理解できなような認識構造を持っている,自分の考え・意見・思いは確定的でしっかりしたものであるということを前提に物事を考えるようにできているのかも,と思います。
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