山菜の季節

5月 24th, 2011
ようやく山菜の季節!

ということで先日、タラの芽を家族で取りに行きました。
それほど、数はとれませんでしたが、マユミの若芽ともども、天ぷらにして食べました。

マユミの若芽は木にいっぱい、ついているし、
ワラビは雑草のように、たくさん生えますので
それほど、希少な感じはありません。

でも、タラの芽は、タラの木からひとつだけです。
一番初めに出てきた、一番上の一番芽をとります。
その後、出てきた二番芽をとると、木が枯れてしまうそうなので、採りません。
弱い木らしく、立ち枯れている木も、多いです。
二番芽も採られてしまった木かもしれません。

そんなわけで、タラの芽を採るときは、
「もうしわけないけど、頂きます」
という気持ちでもらいます。

と言っても、タラの木もさるもの、
全身鋭いトゲだらけですので、手袋なしに気楽に採ろうとすると、
すぐにこちらの手から血がでます。

そんなわけで、感謝の気持ちと
手をトゲでつつかれる多少の痛みとともに
タラの芽は収穫します。

こんなタラの芽ですので、
「食べ残すなんてもってのほか 」
という感じのある食べ物です。

もちろん、とてもおいしかったです。

打ち出の小槌

5月 19th, 2011
原発事故の賠償問題で,東電だ国だと話が出ています。
当然,適切な賠償はしなければならないでしょう。
でも,東電や国に,莫大な隠し財産がない限り,
それは,電気料金等で東電管内の住人が負担するか,
税金で国民全体が負担するかの問題にすぎないでしょう。
東電管内だけ,やたらに電気料金を高くするわけにもいかないので,
ある程度は国民全体で・・とかそんなさじ加減の議論にせざるを得ないものと思います。

そういう意識がなくて,ケジメをつけさせるとか夢のような正義の味方気分で,
どっかにあるはずの埋蔵金を前提に賠償賠償言っていると,結局,将来に借金のツケをまわすだけでしょう。

こいうことは,それ以外の行政責任追及の訴訟なんかでもよく思います。
役人が無責任で酷い目にあっただなんだと,責任追及する側がまるで正義に味方のようですが,
問題の本質は,その損害が,国民全体の税金で賠償してやるべき程のものなのか,
世の中,思わぬ不幸で酷い目にあう人はいくらでもいるわけで,そういう人に対しても税金を課して
救済する程の問題なのか,という視点が,なんだか軽視されている気がします。

さて,司法改革だ何だで,弁護士になるのにもやたら金がかかるようになりました。
その中で,司法修習生に給料を払うかどうかの問題も,大きな問題になっています。
その場合も,医者は自腹でなるんだ,甘ったれるなとか,
金持ちしか弁護士になれなくなるとか言った議論がなされています。
でも,やはり,なんだかずれています。
政策の問題として考えるとき,弁護士になるコストは誰が負担するんだ?という問いに弁護士自身が負担するという答えは,無意味です。
というのは,コストを自ら負担した弁護士は,弁護士になったあと,そのコストを自らの弁護士費用に転嫁するからです。

問題は,コストを社会全体で負担するのか,実際に紛争に巻き込まれた人が負担するのかです。
弁護士になるコストを弁護士費用に価格転嫁した場合,弁護士費用が高額になりすぎて,
依頼者の負担が過大になると,弁護士への依頼が事実上困難になる。
そうすると,誰でも紛争に巻き込まれる人がいる以上,ある程度社会が負担すべきなのではないか,ということです。
健康保険と同じ構造です。

そこで,コストを社会全体で負担するのか,それとも弁護士を利用することになった依頼者が負担するのかが,
司法修習生の給費を税金でまかなうかどうかの議論の本質となります。

結局,弁護士費用への価格転嫁という当たり前のことに目をつむっているから,わけが分からなくなるわけです。
それは,「価格転嫁は怪しからん!」と言うと気持ちよくなる人や,価格転嫁の話をすると気分が悪くなる人がいるからだと思います。
でも,高いコストを投じたのに,その投資を回収できないのでれば,投資する人はいないなんていうのは,この社会の当たり前の原理です。
そういうことをするのは,一部の酔狂な金持ちか,正義に酔っている奇人変人の類だけでしょう。
弁護士になる人が,どっかに打ち出の小槌を持っているのであれば,価格転嫁は怪しからんということに意味はありますが,そんな小槌はありません。
すくなくとも政策として考える上では,
「世の中には,経済的には明らかに不合理な選択であっても,多額の借金をして弁護士になりたい人が,十分にいる」
という前提が確実でない限りは,価格転嫁は怪しからんという議論はやめた方がよいと思います。

結論としては,

ロースクールや司法修習の給費制を廃止した場合,弁護士費用は高くなる
その高額な弁護士費用を払うだけの,弁護士の仕事の需要がない場合,
弁護士になろうとする人が減る。

どこまで,弁護士になるコストを一旦弁護士に負担させ,どこまで,社会で負担するのが
利用しやすい弁護士費用,弁護士の人数,と財政制約の関係で妥当か,

というのが考えるべきことだと思います。

以上、原発、行政訴訟、司法修習の給費制の問題に共通するのは、
結局は、社会全体なり国民なりが負担することになる費用を、
まるで、だれかが負担してくれて、国民負担がないかのような錯覚を引き起こしていることです。
この手の「うまい話」は、正義と騒ぐ人一流のレトリックにすぎないので、注意して聞く必要があると思われます。

サムライと鉄砲

5月 17th, 2011
日曜日に映画のテレビで映画のラストサムライをやっていたので,
録画しておいて,野球が休みの昨日,途中まで見ました。

日本人は,インディアン扱いなので,アメリカ人のみる日本人とは,
いまだ,そういうものなんだなあ,と思いました。

ところで,この映画では,サムライは,鉄砲のような卑怯なモノは使いたくないとして描かれています。
以前に,大河ドラマの新撰組でも,新撰組の人達が鉄砲大砲の威力に負けて,剣の時代は終わったなんて叫んでいました。

でも,これは歴史認識として,なんだか違和感があります(ただし,私は歴史の専門家ではないので,以下に書くことは,私が間違っているのかも知れません)。

サムライというのは,農民と区別された,職業的な武士だと思うのですが,
その起源は,織田信長による兵農分離です。
それ以前の武士なるものは,普段は農民で,ご恩と奉公として声が掛かれば,武器を持って駆けつけるというものです。

で,織田信長によって,農民から分離された武士は,戦争と戦争訓練に専念できます。

兵農分離されてない場合,村ごとに,若い者10人,馬3匹,槍5本,鉄砲1挺なんて集めて,その集団が村の長を中心に固まって闘うような形になります。
鉄砲ばかり集めて,組織的に運用したりできませんし,集団的に訓練なんてできません。
兵農分離によって,鉄砲の組織的運用が可能になるわけです。

兵農分離は,他にも農閑期以外でも闘えるとか,豊臣秀吉や明智光秀のような優秀な流れ者を指揮官にできる,兵士が死傷をしてもすぐに代えがきくとか色々メリットがあったと思うのですが,鉄砲を組織的に運用するという点でも大きな意味があったと思われます。

当時の鉄砲は,1回の発射に手間がかかるため,組織的に運用してこそ,戦力になる武器です。

そうすると,兵農分離によって,鉄砲ははじめて強力な戦力になったと思われます。

このように,織田信長の兵農分離によって,サムライが生まれ,鉄砲を重要な兵器とする新しい戦争が可能になったわけです。

そして,日本の鉄砲は,信長晩年から江戸初期くらいまで,鉄砲の保有量,生産力,組織的運用力等において,世界最強だったようです。

つまり,世界史的にみれば,サムライというのは16世紀終りから17世紀初めにかけて,先端兵器である鉄砲の組織的な運用に成功し

鉄砲を主力とする新しい戦い方を始めた集団だったと言え,サムライ=剣というより,サムライ=鉄砲のほうが適切なのではないかと思います。

ちなみに,
1533年 スペインにより南米インカ帝国滅亡
1534年 織田信長出生
1543年 鉄砲が種子島に伝来
1565年 スペインがフィリピン征服
1582年 織田信長没
という年表からすると,鉄砲持ったスペイン人やポルトガル人が,世界を駆けめぐっているさなか,
当時の日本人が,驚くべきスピードで新兵器鉄砲を吸収して量産体制を築き,世界随一の鉄砲国家になったことがわかります。
 
明治維新以後や戦後の「追いつけ追い越せ」が強調されますが,戦国末期から安土桃山期の日本にその原点があるのではないかと思います。

ホンモノの値段

5月 16th, 2011
スーパーで,醤油とか,カマボコとか,ハム等の

いわゆる加工食品の値段をみていると,本当に差があります。

数倍程度の差はざらです。

一見,安いモノが標準的な普通のモノで,

高いものが何か特殊な手間をかけたり,特殊なモノを加えているように思えますが,

実際には逆の場合が大半です。

高いモノが,普通の(本来の)作り方をしたもので,安いモノが特殊な加工をしているようです。

醤油で言えば,大豆を本当に発酵させているのが高いもので,

少し安くなると原材料にアルコールが加わり(発酵させる代わりに,アルコールを補って済ませる)

さらに安くなると,原材料から大豆が消えて,脱脂加工大豆等が原料になります。

つまり,手間暇かかるところを,うまいこと工夫して,ほぼ同じようなものを安く作ることができているわけです。

醤油以外の加工食品も,だいたい似たところでしょう。

実際,しっかり味わえば違うのですが,安いモノでも十分な場合がたくさんあり,

たとえ偽物だとしても,安いモノの存在価値は高いと思います。

さて,弁護士仕事の料金は,やはり払う側の気持ちからすると,高くなります。

他方で,弁護士側からすると,1件1件の事件は,すごく手間暇がかかりますので,

なかなか,現在の相場的な料金から,下げていくのは難しいのが現状です。

食品添加物のように,大幅に手間が節約できつつ,ほぼ同じコトができればよいのですが,

今のところは,IT機器の発達でもそうもいっていないようです。

当事務所では,食品添加物のように画期的な方法がないかは常にアンテナを張りながら,

当面はホンモノの仕事をしっかりやるよう,頑張っていきます。

祝!石川100勝(偉大なへっちゃら精神)

5月 14th, 2011
本日、ヤクルトの石川が通算100勝目をあげました。

いつもテレビ観戦ですが、今日は珍しく球場で観戦しました。

だいたい、年1回球場に行きますが、毎年負け試合でした。

子供と一緒に観戦した初勝利という点でも記念すべき勝利です。

今まで観戦した3度の中で、2度は、7回まで1対0で勝っていたのに

結局逆転され、1対2で負けるパターンでした。

今日も、7回まで1対0で勝っていて、嫌な予感がしましたが、

8回にバレンティンがホームランを打って、ジンクスを破ってくれました。

さて、石川ですが、100勝の秘訣は、

多少打たれても気にしない、へっちゃら精神にあると思います。

あまり速くないストレートと、遅い変化球を

狙い打たれることは気にせず、ストライクゾーンに投げ込んできます。

でも、しっかり緩急をつけて、コントロールを意識していれば、

打たれるときは打たれますが、

長いシーズンで、平均して6回で3失点くらい

(悪いときは、6回で4,5失点、よいときで、6回1,2失点)

のピッチングになります。

あとは、怪我をせずに、ローテーションを守り続ければ、

1年通すと、10勝10敗防御率4.50くらいの成績になります。

ここ何年間は、もう少しよくなりましたが、2年目から5年目くらいはだいたいそんな感じでした。

とにかく石川が先発する試合は、試合が壊れることはない。また、故障も少ないのでローテーションは維持してくれる。

そういう意味で、とても、よくやってくれているピッチャーです。

ただ、ローテーションの3番手4番手ならこれで十二分の能力ですが、エースというには、ちょっと物足りないことも確かです。

石川がエースと呼ばれてしまう点で、ヤクルトの投手陣の弱さがあったと思います。

もちろん、これは石川の問題ではありません。石川は、もっている素質の中で最大限のものを発揮し、さらにブラッシュアップしていっていると思います。

そして、この余分な欲がなく、完璧に抑えることを目指さずに(つまりエースらしくなろうとしない)、打たれたときは打たれたときと割り切って、投球スタイルを変えない強さが、石川の真骨頂です。

特に、昨年のように開幕から長期間勝てなくても、自分のスタイルを維持し、最終的にはよい成績を上げる強さはたいしたものです。

ここら辺は、以前に書いた高津に通じるものがあります。

たくさん試合をするプロ野球では、大数の法則が働くので、確率が大事です。

そこで、ひどい打たれ方をすることを気にせず、長期的に確率のよいピッチングスタイルを守り続けることで、大成するということが可能になります。

肉体的に恵まれているとはいえない石川の、へっちゃら精神。

今後も、この調子でがんばってもらいたいものです。

ネクタイ(不合理の合理性)

5月 13th, 2011
今年は,震災の影響もあって,クールビズが大いに進みそうです。

でも,そもそもネクタイのように,何の役にも立たないものを

何故付けるのでしょうか?

合理的に考えれば,夏の節電以外にも,朝,余分な時間がかかるし,購入にも余分なコストがかかるし,

ネクタイをつけるという行動に合理性はないように思えます。

でも,多分,この不合理な行動を守らせるということに合理性があるのだと思います。

世の中の常識やルールには不合理なものが沢山あります。

でも,人はそれを暗黙のうちに,守っています。

それを不合理だとかいって破ったり,ケチをつけたりしない人を常識人と言ったりします。

つまり,ネクタイを付けることは,奇抜な行動をしない常識人であるという記号として意味を持ちます。

これは,仮に奇抜な形のネクタイをしていたり,ネクタイが裏返しになっていたりする人がいたら,

「この人は変な人なのではないか?近づかないでおこう」と考えることができるとうことです。

奇抜なネクタイや裏返しのネクタイが趣味にしろ,身だしなみを整える能力がないことによるにしろ,

あまりかかわらない方がよい人物をあぶり出すことができるわけです。

これは,ネクタイに限らず,スーツやワイシャツと一体になった身だしなみ一般がこのような機能を果たします。

激しい寝癖がそのままだったり,やたら汚いスーツだったり,または,ちょっとガラが悪そうだったり,そういう人に目印が付くわけです。

そして,そのためには,守ることに合理性がなく,かつ,普通の人であれば大した手間ではないが,

普通でない人にとっては,逆らってみたくなったり,守るのが困難だったりする,社会的なルールを決めるのが合理的です。

そんなわけで,一見,不合理なネクタイ着用の習慣は,社会的に合理性があるものと思われます。

ですから,クールビズが普及するためには,単に,簡単な格好を普及させるだけでは駄目で,

ネクタイに代わる,ちょっと不合理でちょっと面倒な身だしなみのルールを別に用意する必要があるのではないかと思います。

かな入力の合理性

5月 12th, 2011
パソコンのキーボードの上にはアルファベット以外にひらがなも書いてありますが,

アルファベットを利用したローマ字入力をしている方が大半かと思います。

私も,弁護士登録以前からローマ字入力をしています。

ただ,弁護士登録1,2年目くらいのころ,

「ひとつのひらがなを,ひとおしで入力できる,かな入力の方が合理的なのではないか」

と考え,1年ほど,かな入力をしていました。

というのは,弁護士仕事は文書を書く仕事が多いので,1割でも入力スピードが速くなれば,

今後の弁護士人生において節約できる時間は,かなりの量になるかも,と考えたからです。

初めは,慣れませんでしたが,だんだん慣れてきて,それが普通になりました。

でも,結局,ローマ字入力に戻しました。

あまり入力速度が変わらないことが分かってきたからです。

意外に濁点が多いため,キーを打つ数が変わらないこともありますが,

それでも多少は,キーを打つ数は少ない気がします。

ただ,やはりキーボードを打つのにはリズムがあります。

その結果,

ローマ字入力だと,カタカタカーカタカーカタカタというリズムですが

(あいうえおだと1回なので,カー,それ以外は子音+母音なのでカタ)

かな入力だと,カーカーカタカーカタカーカーカタというリズムになるだけで

(濁音だと二回押さないとならないのでカタ,それ以外はカー)

打つ回数は変われど,ひと文字あたり,カーでもカタでも同じ時間を使うので

多少,カーが多くても,結局スピードは変わらないようなのです。

さらに,ポジションが不合理で,打ち間違う可能性が高いことが判明しました。

不器用なはずの小指の守備範囲がひろいのです。

人差し指のように器用な指の守備範囲が広い分には何とかなりますが,

ピアノやギターの訓練を受けていて小指も器用な人ならともかく,

そうでない私にとっては,小指は適度にミスをしてくれます。

また,諸々の道具を利用する上で,ローマ字入力のみ対応のものがチラホラありましたので,

汎用性の点でも,かな入力を続けることに合理性がないように思えました。

そんなことで,ローマ字入力に戻していますが,より合理的な入力が開発されたら,また挑戦してみようと思います。

 

  

美学とモラル

5月 11th, 2011
震災後の非被災者の,色々な行動の報道をみていて,大学の頃に考えていた,美学と道徳の問題を思い出しました。

自分はこうすべき(例えば「旅行は自粛すべき」)という,考えについて,個人の生き方美学の問題と,道徳(モラル)の問題とは分けて考えることができます。

美学の場合,他人がどうするかは問題となりません。

道徳として語られる場合は,「他人も同じようにすべき」という含意があります。

宗教的な背景がなければ道徳であっても何ら強制力はない

つまり,非道徳的であっても,何ら罰はない。

ので,美学と道徳の問題は区別がつきにくいのです。

ただ,道徳の場合は「他人も同じようにすべき」とする以上,

皆がそのような行動をとった場合にどうなるか

ということは,考えざるを得ません。

そうすると,例えば皆が自粛→経済が縮む→被災者支援もままならない

ということが本当だとすると,自粛という行動は,道徳的にはいかがなものか?という可能性が出てきます。

もちろん,酷い目にあっている人がいるのに,誰も自粛的行動をしないような非人間的な社会は耐えられないという価値判断をすると

やはり自粛は道徳的に正しいということになります。

寄付についても同様です。

サラリーマンは別ですが,事業家は寄付などせずに,その額を事業に投資すれば,

よりおおきな経済活動を生み,寄付金額よりはるかに大きい納税額を生み出す可能性があります。

つまり,「事業家は寄付をすべき」というルールが一般化するより,「事業家は事業に投資すべき」というルールが一般化したほうが

被災者支援に役立つのであれば,後者のルールが道徳的に正しいかもしれない,ということになります。

なんて,まさに書生っぽいことを学生時代は,考えていましたが,

最近は『これから「正義」の話をしよう』なんて本が話題になっていますので,世の中この手の話題に興味がないわけではないようですね。

現実の紛争を扱っている今の仕事に役に立っているのかどうか?は依頼者の方に判断してもらうしかないかも知れません。

 

スワローズ,4月は好調です。

5月 2nd, 2011
ヤクルトスワローズは,昨日現在,単独首位です。

投手陣の充実に加え,畠山とバレンティンが予想外に打ちまくってくれました。

投手陣は,9連勝した中で,無失点勝利が5勝という充実ぶりです。

期待の館山が2完封しています。

打撃は,開幕当初不調でしたが,生え抜き中心にして,よみがえりました。

でも,影の立役者,不思議な成績を上げている選手がいます。

レギュラーを外れている福地です。

現在ヤクルトの試合数は17試合ですが,

10試合に出場し,7盗塁を決めて,現在セリーグ盗塁王の福地です。

10試合で7盗塁というだけでもすごいのですが,

なんと,現時点でヒットは0本,四球2,死球1です。

つまり,主に代走で出てきて,盗塁を決めているということです。

代走ですと,1試合,1回程度しかチャンスがないですから,代走で出たら,

かなりの確率で盗塁を試み,成功させているということです。

こんな確率で盗塁してしまうのであれば,送りバントはいりません。

いわゆる盗塁成功率とは次元が違います。

盗塁成功率とは,盗塁を試みた上での成功率だからです。

盗塁を試みなければ,分母になりません。

そして福地が,いかに相手にダメージを与えているかは,次の数字が示します。

得点7です。

つまり,7盗塁して,多少ずれはあるかも知れませんが,7回ホームインしているのです。

この驚異的な数字は,相手投手のクセを,普通では考えられないほど,徹底的に研究していなかったら無理でしょう。

このような影の努力を,数字が浮かび上がらせてくれるのも,プロ野球の面白いところです。

今年は野鳥

5月 1st, 2011
ここ数年、山小屋周辺の木の名前やキノコの名前を色々、調査してきました。

キノコは、まだまだ分からないものや自信のないものばかりですが、木の名前はかなり分かってきました。

今年は気になっていたけど、ほおっておいていた、鳥に挑戦しようと思っています。

春先になると、たくさんの野鳥の声が聞こえ、ちらほら姿も見えるのですが、今まで全くと言ってよいほど興味を持ったことがなかったので、

さっぱり分かりません。

ただ、木やキノコで、インターネットを利用した同定手法のノウハウが出来てきているので、少しは敷居が低く感じてきています。

試しに、子供用の鳥の図鑑を見てみますが、外国の鳥とゴッチャに記載され、名前が分かった上で調べるのには良いですが、

姿形から、名前を探すのは無理です。当然、声もぜんぜん分かりません。

やはり、インターネットです。

まずは、山小屋周辺の地名+野鳥で検索し、そこら辺にいる野鳥の名前をさぐりあてます。

季節ごとに書いてくれているところや、発見件数を書いてくれているものもあり(よく見かけるものかどうか分かる)、

なかなか便利です。

次に、その鳥の名前でユーチューブで検索をします。

そうすると、鳥が鳴き声とともに、現れます。

聞いたことがある声がたくさん出てきます。

そして、この時期、たくさん聞こえる声がシジュウカラの類であることが分かったのですが、この先が難しい!

シジュウカラ、コガラ、ヤマガラ、ヒガラといったあたりが、皆、鳴き声が似ていて、よく分かりません。

それぞれの映像や、実際に耳にする声は確かに違うのですが、

同じ固体が鳴き声を変える映像もあり、同じ固体の歌い分けか、同じ種類の固体差か、別の種類なのか、

なかなか分かりません。

あとは、あきらめずに、しつこく、追究していこうと思います。

そんな折、森を眺めていると、黄色い生き物が、とことこ歩いていきます。

よく見ていると、キジのような鳥です。

子供の図鑑でキジ周辺を調べ(これくら個性が強い鳥を調べるのには役に立つ)、さらにインターネットで確認してみると、ヤマドリのようです。

ヤマドリなんていうと、キノコ好きにはキノコのの名前のように思えますが、素直に見れば鳥の名前の適性が高そうです。