不愉快と愉快のバランス

8月 17th, 2011
今期好調のヤクルトも最近は失速気味です。
例年そうですが、ヤクルトが負けると不機嫌ですし、
連敗が続くと、ずっと不機嫌です。
そうなると、あまり試合も見ないのですが、
気になって、ちょこちょこ試合経過をみて、
やはり負けていて、不愉快な気持ちになります。

この不愉快な気分なしで、
勝ったときだけ愉快な気持ちになれればよいのですが、
なかなかそうもいきません。

負けたときに不愉快になるだけの関心があるからこそ、
勝ったときに心底うれしくなって、気分良くなれるのでしょう。

そうすると、愉快と不愉快は、結局はゼロサム(差し引き0)?
という気もします。
でも、やたらご機嫌な人や、やたら不機嫌な人も世の中にはいる気もします。

仮にゼロサム だとすると、愉快も不愉快もないよりは、
愉快も不愉快も十分にあったほうがよい気がします。

さて、ヤクルトが強い年は、気分も良く、何事もよいかというとそうでもなくて、
平成9年の野村ヤクルトが最後に日本一になった年、
私は、司法試験受験中で、史上最短合格計画と称して、ぎりぎりの勉強をしていました。

しかし、ヤクルトが余りにも強いと、ついつい試合を見続けて、ついでに
夜のスポーツニュースををハシゴして、となって・・
あと少しのところで、史上最短合格計画は失敗に終わってしまいました。

もっとも、それでもう一年じっくり勉強できたことが、今の糧になっていることは確かなので、
何が本当によいのかは良く分かりません。

石井一久~「好きこそ」でないから、未完の大器~

8月 7th, 2011
西武の石井一久投手が、史上最速で20人目の2000奪三振を達成しました。
先日、ヤクルトのエースは誰かということを書きましたが、その前のエースは間違いなく石井一久です。

石井一久は、この2000奪三振もそうですが、実績十分なベテラン一流選手ですが、未だに未完の大器の趣があります。
普通、未完の大器とは、実績のない若い選手に使う言葉で、そのうち消えていくか、一流になっていきます。
ですから、すでに一流になった石井に未完は、変なのですが、
本当は、超一流、もっと言えば、日本史上最高の投手になれないまま、ここまで来てしまった感があります。

今回の、2000奪三振も今までの最速記録は、日本史上最高との声が多い江夏です。
また、江夏も野茂も達成できなかった、シーズン奪三振率11超えを達成したのも石井だけです。
他の一流・超一流選手がどこかで、三振へのこだわりを捨てて、勝ちにこだわりを持って
実績を重ねるのに対し、石井は三振へのこだわりを捨てずに、ここまで来たのかもしれません。

メジャーでも、石井は前半戦は気が向くのか、調子がよく、シーズン終盤になって失速を繰り返しました。
その結果、2002年から2004年の3年間の前半戦だけの勝利数29はメジャー最高となります。
つまり、この3年間の前半戦ではメジャーナンバーワンとも言える活躍をしています。

こういうエピソード的な部分では、石井の超一流の片鱗はたくさんあります。
でも、現在の実績は、一流ですが、超一流にはとどかないままです。
そして、まもなく引退するだろうという気がします。

その石井の言葉は独特ですが、基本トーンとしては、
「野球はそれほど好きでない」というものです。
つまり、「好きこそものの上手なれ」ではありません。
その中で、人並みはずれた素質を頼って、一流の成績を上げてきているようです。
もし、野球が好きになって、イチローのように励めば、きっと超一流で
メジャーでも有数の選手になったのではないか、という思いがあるせいで
未完の大器といいたくなるのかもしれません。

自分の仕事について,素質に恵まれていても,好きになれるとは限りません。
そういう人にとって「好きこそ物の上手なれ」というのはプレッシャーです。
好きになるかどうかは,努力では,何ともならないからです。
そんな中,好きでないと言いながらも,一流といえる成績を残し続ける
石井一久は,独自の光を放っていると思います。

 

歩く

8月 6th, 2011
甲子園がはじまったようです。
この夏の炎天下で、 野球をするのも大変ですが、
甲子園に出たとなれば、一生モノの記念碑でしょうから、
普通の高校生からしたら、とてもうらやましいことでしょう。

さて、私は高校生のときは、山岳部。野球のような、花道はありません。
そんな中、横浜から富山まで歩くことにしました。
35キロ程の荷物を背負い、駅舎等で泊まりながら、一人で、ひたすら歩きました。

足は靴擦れだらけで、はりで水ぶくれの水を抜いても、その中にまた水ぶくれができるし、
荷物は重くて肩や背中が悲鳴をあげるし、ひたすら苦痛に耐えるような行でした。
人から見れば意味不明の行いですが、
それをやり遂げたことで、それなりに自信になりました。

素質に恵まれない人間が、何か自分の中で自信を作るには、
苦痛に耐え抜くというのが、ひとつのやり口かもしれません。

前に進むのは痛くてきついだけだし、誰に命じられたわけでも、
誰に望まれているわけでもないという状況で、
とにかく一歩一歩、あと10分は頑張ろう、を繰り返しながら前に進み続ける
というある種の精神的な訓練は、今でも役に立っている気がします。

 

15~16年ぶりのランニング

8月 3rd, 2011
ここのところ、仕事上も、休日を過ごす上でも、体力の低下を感じることが多くなりました。

そんな折、子供に水泳を教えようと思い立って、休日に子供と一緒にプールに行って、
子供が休んだ隙に、少し泳いだりして、久しぶりに息が切れるような運動をしはじめました。

でも、昔からプールで泳ぐのは、独特の疲労感におそわれていましたが
、その状況がさらにひどくなっています。
プールから帰ってくるとぐったりで、ますます体力の低下を感じています。

そこで、山小屋での夏休みには、久しぶりにランニングをしようと決意し、
それにそなえて、靴と服を買って、持って行きました。
多少、覚悟やエネルギーがいることをする上で、とりあえずモノを買うというのは、
なかなか効果的です。
消費したうしろめたさを消すために、頑張らざるを得ないからです。

そんなわけで、初日、久しぶりのランニングです。
記憶にあるのは、平成7年か8年頃、銀行の札幌支店に勤めていた頃に、
ふと思い立って、走ってみたら、思いの他、そうそうにばてて、体力の低下に気づいたときのこと。
おそらく、それ以来のランニングの気がします。

そんなわけで、そうそうにばてて、懲りないようにするために、初日は、とにかく10分間は、
走っているような格好をし続けることを目標に、スピードは精一杯ゆっくりにして、
走ってみました。5分位すると少し楽な気がしてきて、なんだかんだで、15分程は、
走るような格好をしていました。
走るような格好というのは、実際にはとても遅くて、少なくともランニングではなく、ジョギング、
もしかしたら、競歩の逆で、歩くような速度で走っている真似をするような状況だったからです。

2日目は、コースを変えます。場所は山の中です。坂だらけです。まずは、ひたすら下ってみます。
そして、後半に上る状況ですが、足があがりません。また、競歩の逆状態でした。

3日目は、子供も一緒に来ます。でも、だいぶ調子が出てきました。子供が休んでいる隙に、
坂を駆け上がるダッシュを試みてみたりする 余裕が出てきました。
ランニングのごときことを、3日も続けてするのは高校のとき以来だと思いますが、
確かに、こんな感じだった気がします。

それからしばらく雨ではしれず、中2日ほどあいて、4日目に走りました。
このときは、25分ほど、走り続けることができ、今年の夏はこれで終了です。

これで、1年分の貯金ができて、1年間、体力満点ですごせればよいのですが、
そいういうわけにも行かないので、山小屋に行った折には、引き続き走ってみようかと
思っています。

職人仕事と顧客目線

7月 23rd, 2011
先日、とても有名な寿司屋に行ってきました。
時間がよかったのか、人間国宝のようなすし職人が我々のためだけに
寿司を作ってくれ、すばらしい時間でした。

とにかく20~30分ひたすら出された寿司を食べ、
それで終わりという店です。でも結構高い。

そんなわけで、インターネット上の評判では、絶賛する人と、
否定的に書く人が分かれています。

昔は、寿司というと、色々とうるさく言われそう、値段が分からない、
威張っているなんてイメージがありました。

そう、まるで弁護士みたいです。

でも、実は、自分の仕事に徹底的にこだわる職人仕事を、職人側からの視点でみると、
そういうことになると思います。
つまり、職人のこだわりと、顧客の要望は、真っ向からぶつかり合うと衝突するのではないかと思います。

そのため、普通のレストランでは、キッチンと、ホールは別れていて、シェフは接客しません。
こだわった料理にケチつけられたら激高して大変だが腕がよいシェフは、このような分業でなりたつと思います。

これは、他の仕事でも、職人的に作る人と、営業する人は分けられていて、営業する人が顧客と職人との間の
クッションになります。

そうすることで、職人は顧客対応に時間的にも精神的にも煩わされずに、よい仕事ができるし、
顧客側も要望を伝えることができます。

クッションがないと大変です。
今の弁護士の仕事の現状は、そういうところがあるのでしょう。
依頼者から見ると、威張っている、説明不足。連絡不足。
弁護士側からすると、よい仕事をするためには、とにかく自分が最高のパフォーマンスを
発揮できる仕事の仕方をしたい。
あれこれ、いわれてペースを乱されて、よい仕事をできなくなるのは
耐え難い。そういうやり方をしてほしいのであれば、他へ行ってくれ。
これは、弁護士の態度特有のものではなく、クッションがなければ、色々なところで生じうる話の気がします。

でも、寿司の世界も職人的なものは嫌われて、回転寿司がメジャーです。
値段が一緒でも、気難しい寿司屋より、回転寿司の方がよい人も大勢いると思います。
味の違いよりも、気分的な快適さが重要ということです。

弁護士の能力の違いなんて、寿司の味より差別化は困難です。
実際は、全然違うのですが、依頼者のほうで、比べて比較して、
というのは難しいからです。

でも、弁護士が他の職人と違うのは、対人的な説得のプロであるということです。
そうすると、依頼者との関係で、いかに振舞うかということが、その能力を示すので、
依頼者が、不満を覚えるような振る舞いをする時点で、能力的に疑問符がつく
という評価も可能です。

・・・・等、色々と他の世界での気高いプロフェッショナルに接すると、自分の仕事についても
色々と考えが進んで、とてもよいです。
高かったけど、それに見合う貴重な経験をできました。

 
 

Congratulations!!

7月 21st, 2011
サッカーワールドカップで、

なでしこジャパンが優勝した記念すべき日。

事務所の弁護士の結婚式二次会に参加してきました。

 
会場は、みなとみらいの夜景を一望できる

素敵な立地で、とても上品な雰囲気。

 
「新郎新婦の入場です!!」

待ちに待ったその瞬間、

会場が一気に笑顔で包まれました。

 
落ち着いていて頼れる雰囲気の弁護士と、

まさに、なでしこの様な優しい笑顔が印象的な奥様。

 「私にとってのなでしこジャパンは彼女です。」

弁護士の爽やかな挨拶では、奥様を思う優しさと

強い気持ちが伝わってきました。 

結婚式,ワールドカップ優勝と、お祝いが続き、

素敵な一日になりました。

 

前半戦終了。ヤクルト独走?

7月 20th, 2011
プロ野球の前半戦が、終了し、セ・リーグはヤクルトが独走態勢に入りつつあります。
今年は、計算できる先発が4人いて、中継ぎ抑えも安定していること、昨年の勢いや自信があることから
例年になく、期待していたのですが、まさか、ここまでの独走態勢に入るとは思っても見ませんでした。

独走の理由は、戦力の充実ではなさそうです。
先発の4人も、村中が早々に離脱し、由規も交流戦で離脱。石川も昨年後半のような安定感もなく、勝ったり負けたり。
結局、安定していたのは館山1人。5人目に期待した増渕も、あまりよくない。
リリーフも、ここ3年間安定していた松岡が不安定な上、抑えの林も調子が悪い。
開幕前に期待してた投手陣は、ほとんど期待はずれの状況です。

打撃は、期待以上で、特に畠山が広沢以来の本格的な日本人4番バッターに成長したことや、
4月終わりから5月半ばのバレンティンの活躍は、大きいです。が
昨年後半の快進撃中にクリーンナップに定着した飯原が絶不調で、ほとんど2軍にいたり 、
やはり昨年4番で快進撃を支えたホワイトセルが、昨年ほどの安定感はないので、
決して、打線が 独走の理由ではありません。

実際、ここまで独走しているのに、総得点239点に対し総失点241点と失点の方が多い。
選手の個人成績の大半は、いかに点を取ったか、いかに失点を防いだかに集約されますので、
失点の方が多いチームの、選手の成績がたいしたことはないのは当然といえば当然です。

とすると、小川監督の采配?という気がしてきます。
確かに、失点の方が多いのに独走しているのは、競り合った試合にとても強いからで、
そういう部分で監督の采配の差がでるという話もあります。
ただ、監督の采配で、それほど勝敗は変わらないとも言われています。
そんなわけで、失点の方が多いチームの謎の独走という状況です。

あえて、小川監督の采配の特徴をあげると、代走の重用という点があります。
ベンチに、代走専門と思える選手が2人(現在だと、三輪と野口)ほどいます。
代走専門が2人もいますので、代打は手薄です。
ここぞの勝負の場面で、代走の三輪を使います。
クリーンナップのホワイトセルや畠山にも平気で代走を送ります。
代走の格としては野口より三輪が上で、三輪を代走に使うと監督が勝負を掛けていることが
チーム全体に伝わります。
たとえば7回あたりにチャンスが来ても、代走三輪を使わないと、監督は8回か9回に山場がくると
考えているということがチームに伝わります。

そして、実際、三輪は、内野安打で2塁からホームインしたり、
前進守備への痛烈な内野ゴロでサードからホームインしたり
しかも、それが9回や7回の同点のホームインですので
代走起用の強烈さが際立ちます。
それ以外にも、今年は、福地の代走起用や、川本の代走起用での勝利が話題になっています。

確かに、代打起用は、成功率はたかが知れていますので、監督の意思を示せたとしても、
結局尻すぼみになることが多いですが、
代走だと、滅多に失敗はなく、何事もないか大成功かですので、監督の意思をチームに示すのには
適しているのかもしれません。

いずれにしろ不思議な強さを発揮しているスワローズ、この調子で後半戦も頑張って、日本一になってほしいものです。

専門家の意見と専門的知見

7月 14th, 2011
今回の震災によって,多少ゆらぎましたが,世の中専門家信仰が盛んです。
ひとつは,マスコミが何かと専門家,専門家と持ち出すからかなあと思うのですが,
何かと専門家の意見は尊重されます。

専門家の意見の尊重それ自体は,法律の専門家である弁護士としても,悪くはないのですが,
何か,「専門家の意見=正しい 」という図式があり,これには強く違和感を覚えます。

「専門的知見」と「専門家の意見」の混同があるような気がします。
専門的知見は,(厳密には科学法則といっても仮説には過ぎないとはいえ),基本的に
正しいものと言えます。

法律でいえば,専門的知見というのは,民法○条に・・・という規程があるとか,最高裁がこのような判断をしている
とかそいういうことです。
でも,このようなことは,マスコミ等で紹介する場合も,わざわざ専門家の意見として紹介する必要はなく
そのまま条文や最高裁判所の判例を紹介すればよいわけです。

争いのない専門的知見から進んで,専門家によって意見が分かれるような領域になって,初めて専門家の意見が
出てくるのですが,そうなると専門家によって意見が異なるわけですから,どの専門家が言うかによって,結論が異なる可能性があります。
何らかの記事があって,専門家は「・・・・と批判している」と書いてある場合,あたかも,その分野に詳しい人が批判しているおかしなことが
行われているようにも見えます。
「すべての専門家が批判している」のか「専門家の中には批判する者がいる」のかは大きな違いで,
実際には,後者に過ぎないのに,前者に見えるレトリックがあるわけです。

もちろん,異なる意見があると言っても,専門家の中にAと言う人と,Bと言う人はいるが,Cと考える人はいないということもあります。
この場合,Cという考えは荒唐無稽なんだということが分かりますが,
この場合はむしろCはありえないというこが専門的知見の領域にあるといえます。

とそんなことを考えながら,新聞やテレビを見ていたところ,震災が起きて,放射能の問題がでてきて,少しこの問題が社会的にも
意識されるかも知れません。

専門家の考え=正しいと思っていたら,放射能については専門家がバラバラのことを言って,訳が分からなくなってきたからです。
これも,専門的知見と専門家の意見を区別して考えれば,何のことはなく,
「低レベルの放射線の人体への影響については専門的知見はない」ということで,ないからこそ,意見が分かれているわけです。
「高いレベルで人体に悪影響がある」ということは専門的知見ですが,そのことはわざわざ専門家に意見を述べさせる必要はありません。
単にそのことを説明すればよいわけです。
低レベルの放射線の影響については,高レベルと同じくかなり悪い,量に比例して影響は減る,一定限度以下は影響ない,むしろ健康によい
と色々考えがあり,それに決着をつけるデータがないということです。
せっかくですから,今回のことをきっかけに大規模で長期的な調査をして,この問題に決着をつけるとよいと思います。

裁判でも,色々と専門家の鑑定だなんだで意見が出てきますが,やはりそれが専門家の間で争いがない専門的知見なのか,
その専門家個人の専門的意見なのかということは常に区別して考えなければならない問題です。

 
 

大河ドラマの狂人史観?

7月 10th, 2011
大河ドラマの江が、先週あたりから朝鮮出兵の話になり、秀吉が狂ってきています。
いつもの大河ドラマのパターンです。

だいたいの場合、信長も比叡山焼き討ちあたりや、そう見寺あたりのエピソードで狂人化します。

豊臣秀吉や織田信長というのは、日本史上、かなりの人物であることは間違いなく、
その能力・発想が、常人に計り知れないことは、あたりまえのことです。

そんな中で、よく分からないから狂っていたことにしてしまうということでしょうか?
たまたまそういう歴史理解をする脚本があったというのであれば、ともかく、
毎度毎度、狂っていたことにしてしまうのでは、あまりにも歴史に対する態度として非礼で、
想像力が貧困だと感じてしまいます。

そして、戦国モノだと、たいてい、現代社会で「憲法云々、平和云々」といっている人が
取り付いたような人が出てきて、信長や秀吉の行動にたいして、もっともらしい顔をして
辛気臭いオーラーを放ちます。

今回は、主人公の江がその役割をしているので、全体に辛気臭い雰囲気になっていて残念です。

たまに民放の歴史ドラマをみると、その荒唐無稽さにあらためて大河ドラマのまともさを認識することが多いのですが、
この狂人史観は何とかしてほしいものです。

逆に、朝のドラマの『おひさま』での戦中の描き方には、好感がもてます。
どうせ、どっかでもっともらしい顔して戦争非難はじめるんだろう、と思っていましたが、
終始、そういう雰囲気がなく、戦争が正しいと信じていたという、視線が続きます。
それがまた、戦時中の大変さや悲しさを うまく伝えています。

大河ドラマをみていてい、NHKには何か怪しげな思想的なバイアスが掛かっているのか?
と疑いかけていましたが、 『おひさま』を見る限りだと、そうでもなさそうです。

 

 

キノコの季節

7月 9th, 2011
キノコの季節と言えば秋ですが、梅雨時もなかなかです。

そんなわけで、カラマツの根元に、ちょこちょことハナビラタケが出ています。
昨年は、でかいハナビラタケを見つけましたが、今年は小さくて、黄色いのでした。
昨年、2回ほど食べているので、安心して食べます。

さて、車で移動していると、妻が「今、大きなキノコがあった」と言います。
引き返すべきという毅然としたニュアンスに基づいて、二度ユーターンして
現地に戻ります。

確かに、巨大なキノコがあります。
カサの直径は20センチ以上あり、柄の長さは、さらに長そうです。
さんざんキノコ図鑑は見ていますが、何か見た記憶がある風貌です。

調べてみると、カラカサタケで間違いなさそうです。
フライがうまいということで、カサはフライにして食べます。
味はうすくてそれほど印象に残りませんでしたが、
巨大なキノコを 食べたという感慨はあります。

柄は、焼くとうまいというので、炭火で焼いてみましたが、
なかなかよく分かりません。
何度か焼き方を変えてみて、どこかの記載に「スルメのように」
を手がかりに、しゃぶるように噛んでいると、うっすらキノコの味がします。
お腹がいっぱいの状況での酒のつまみだと、よいのかもしれません。