弁護士の就職難

12月 16th, 2011
本日の朝日新聞の記事で,司法修習を終了したけど,就職できない人が400人ほど出たとのことです。
実感として,弁護士仕事がそれほどあるわけではないので,当然のことだろうと思います。
仮に,どんどん就職できたら,それだけ弁護士が増えて,その弁護士を社会が養うことになります。
つまり,今まで弁護士にお金を払わずに済んでいた人が,お金を払うことになる社会になる。・
弁護士が今の暮らしをより快適にするような提案ができるのであれば,それでもよいのですがが,
それができないと,ロクででもない社会になりそうです。

そういう面では,過剰に弁護士が増えないように,社会的に自制が働いたのでしょう。
弁護士業界は,合格者を1500人にしろ,とか色々目標を立てて,計画経済のごとく
考えていますが
きっちり,市場原理が働いて,合格者が1500人とほぼ同じ結果になったわけです。

司法試験の合格段階で絞るか,就職段階で絞るかは
修習生がかわいそうか,国家が無駄な支出をすることになるか,一概には言えないでしょう。

ただ,司法試験の合格水準さえ下げなければ,多額の投資をしても仕事がない業界に
流入してくる人は激減し,合格水準の能力を身につけられる人も激減すると思うので
自然と,適正な人数になるでしょう。
市場にまかせればよいということです。
弁護士業界は,ただ「合格水準を下げるな」と言っていればよいのです。

さて,記事の中に毎月の弁護士会費の負担があるから登録できないということも書いてあります。
私の所属する横浜だと,毎月3万から4万ほど払っています。
弁護士がとても少なくて,独占的利益を享受しているとすると,どこかの過剰利益から払えばよいのですが
上記のように,弁護士の供給市場は飽和していますので,過剰利益はありません。
当然,弁護士費用に価格転嫁されます。

個人の事件をする弁護士(業界用語で一般民事)だと,月に3,4件の事件の依頼を受ける のが
平均的かなと思います。そうすると,各事件ごとに1万ほどの価格転嫁が行われます。
それだけの価格転嫁を正当化するだけの,○○活動とやらなのかは・・・・どうなんでしょう。

さらに,ロースクール制度による価格転換もあります。つまり,設備投資の費用の回収です。
現在,ロースクールに行く学生の大半は,世間的な一流企業に就職できる層です。
その人たちが,3,4年無給でいることの,本人のロスは,1000万円以上でしょう。
本来,ロースクール制度が想定していた,多様な社会経験を有する人だと,もう少しよい
給料を捨てて3,4年は無給ですごすわけですから2000万円程度のロスになると思います。
ロースクールの学費も数百万はかかるのでしょう。

仮に2000万のロスを10年間で取り返そうと思うと,年間200万,月間16万となり,
月に3,4件の事件依頼とすると,1件5万円程度は上乗せしないと,あいません。
さらに,就職できないリスク,つまり多額の設備投資がすべて無駄になるリスクを考えると
もっと価格転嫁できないと,弁護士業界にすすむ合理性が無くなります。

つまり,現行の弁護士会費制度やロースクール制度によって,相当程度の弁護士費用への
価格転嫁が行われることは,理屈の上では予測されます。

当事務所は,個人の事件の分野において,
依頼者の側は「弁護士費用高すぎる」
弁護士の側は「この費用で,この重い件を引き受けるのはきつい」
という不幸な状況を何とかできるのは
依頼者の側ではなく弁護士側しかないと考えています。

まあ,そう簡単には何とかできる問題ではなく,
事務所全体で問題意識を持ちながら,10年くらいかけて,
少しずつ工夫を積み重ね
個人分野の仕事の仕方を抜本的に変えていければと思っています。

でも制度的に,上記のコストがかかるというのは,
(つまり,上記だけ価格転嫁して,それを給料に反映できなければ,
優秀な人は当事務所で働く経済的な合理性はないと言うこと
そして,ほとんどの法律事務所がそのような給料を支払えなければ,
まともな人間は弁護士業界に来なくなると言うこと)
大きな数字ではあります。

3つ目の視点

12月 7th, 2011
このブログの中で,法律家の思考の論理的なゆるさについては,
何度かふれてきました。

必然的な論理に基づく科学的な思考方法と
妥当な結論最優先で,矛盾してなければいいやという
法律家の論理に違いがあるということです。

でも,実は第三の視点も持っています。

それは経営者の視点です。
これは,さらに論理的にはテキトーで
下手な鉄砲数打ちゃ当たるというような思考回路です。

当事務所では,法的ニーズはまだあるのでは?と
いつも問いながら,色々なことに挑戦しているのですが,
まあ,だいたい失敗です。
こんなサービス便利かもと思って,始めてみますが,
ほとんど反応もなくて,そのうちやめるというのがたくさんあります。

「それはあんたの経営センスがないからだ!」
私も初めはそう思いました。
でも今なら,私は言い返します。
「あんた,経営したことないでしょう。」

ドラッカーの著作でも,『ビジナリーカンパニー』でも
何がうまくいくかは事前には,分からない。
とにかくうまくいく可能性があるものはとりあえず試し,
だめなら撤退するというやり方をするのだ,と書いてあります。

また,実際に発展した企業の歴史や,経営者本人の著作を読んでも
うまくいくと思ったことが,あたらず,思わぬものがヒットして
というのが定番のストーリーです。

私も,はじめは,とにかく挑戦し,失敗したらやめるの繰り返し,
という思考回路・行動パターンは慣れませんでしたが,
今は,自分のものになっている気がします。

法律家は,失敗しないような発想が中心ですから,失敗を極端にきらいます。
とにかく安全策・安全策で,「念のため,やめておきましょう」というのが口癖です。
でも,経営者発想だと,最悪どの程度か考えて,それが許容範囲であれば
「とりあえずやってみよう。」となります。

何かを事業を初めて失敗したとき
「なぜ,そんなことをしたんだ」
というのが通常の発想です。
政府の事業の失敗についてもそうです。
初めから失敗するのが分かっていたかのようです。

でも,それはきっと評論家的な視点なのだろうと思います。
大ヒットするようなことは,大半の人が失敗するだろうと思っていたこと
から生まれることも少なくありません。
何がうまくいくかは,やってみないと分からない。
ただ,うまくいかなさそうなときの撤退の段取りをとっていないこと や
うまくいっていないことを認めないこと
そういったことのほうが問題なのかなと思います。

大河ドラマの江が終わりました。

12月 4th, 2011
今年の大河ドラマも、終わりました。
スタートは、明るい主人公で行くのかと思いましたが、
中盤以降は、辛気臭さ爆発で、義経以来の
陰湿な主人公でした。

秀忠との夫婦は円満ということですが、
あんな妻でしたら、99%寄り付かないと思います。

為政者の役割は、100人を犠牲にして1000人助けることです。
それができなければ、為政者の資格はないでしょう。
でも、それは一人の心情としては、極めて苦しい選択です。
それをフォローせずに、道徳的な非難の目で待ち構える、
為政者の妻として最悪としか言いようがありません。

たとえば、「アフリカの子にワクチンを 」なんて叫んでいますが、
日本がそういう状況にならないようにするためには、
多少、弱者保護を後回しにしても、経済を守らなければなりません。
経済や国力の充実より、目前の弱者保護を優先すれば、
将来においては、今の弱者保護よりはるかに低レベルの
弱者保護しかできなくなる。
そういうことを考えるのが為政者の役割だけれども、
為政者の個人の心情としては、なかなかつらいものもあるし、
世間的な批判もある。
その部分を、理解してやるのが、為政者の妻として上
一切、夫の仕事に関心を持たないのが中
世間レベルの道徳的批判を浴びせるのは下

ところで、徳川家は世界の歴史でも稀にみるほどの
平和な社会を気づいたのですが、それでも
「しょせん、徳川家の利益のためでしょ」
という視点からは逃れられません。
100人犠牲にしたのは、1000人を助けるためなのか
自分の利益のためなのか、常に疑念が生じてしまいます。
これは、人間がこの判断をする限りは常に生ずる問題です。

市場原理が、便利なのは、これを市場がしてくれることです。
100の企業をつぶして、1000の企業を助けるという判断を人がする場合
自らに親しい企業を助けたのではという疑念から逃れることは困難です。
でも、人格をもたない市場にはそういう疑念は生じませんし、
また、個人の心情における苦しみが生じることはありません。

まあ、そんなところで今年の大河ドラマも終わりましたが、
来年はもう少し明るい主人公に出てきてもらいたいものです。

中日・浅尾がMVP

12月 3rd, 2011
セ・リーグは中日の浅尾がMVPになりました。
中継ぎ投手の受賞ということで、プロ野球の歴史上、
大きな出来事だと思います。

成績自体は、凄まじいものです。
つまり全144試合中、79試合に登板し、
4点しか取られていない。
これを最優秀と言わずして、何と言うという成績です。
ちなみに、ヤクルトの中継ぎエース松岡は、63試合に登板し、
20点取られています。不調でしたが、これでも十分仕事をした
といえるレベルですから、浅尾のすごさが分かります。

実は、昨年も浅尾がMVPでもよい内容でしたが、
やはり中継ぎということで、MVPを取れませんでした。
今年は、吉見というMVPに十二分な
成績を収めた選手がいるのに、
浅尾がMVPに選ばれたということは、
去年と今年で、中継ぎというものの存在意義 について
見方が変わった、
いや浅尾が変えさせたと言えると思います。

そもそもピッチャーでは、先発が格上で、リリーフ陣は
格下という見方が根強くあります。
それでも、抑えのエースは、先発に近い評価を得られることも
徐々に増え、横浜の大魔神佐々木がMVPをとるに至って
(これも、画期的な出来事でした)
場合によっては、チームナンバーワンの選手が抑えのエース
ということもありえるという見方が出てきました。

ただ、抑えのエースは別格になっても中継ぎは、やはり
大分格下扱い、リリーフ陣の中で一番よい人が
抑えのエースになるというのがいわば常識です。

昔ながらの中継ぎ≒敗戦処理的なニュアンスが
未だに残っています。
たとえば、今年の交流戦で、ヤクルトの先発・増渕がパ・リーグ
に打ち込まれたとき、ヤクルトの伊勢コーチは、
増渕はパ・リーグでは中継ぎレベルという趣旨の
発言をしています。

その流れが少し変わったのは、現在の中日の抑えエース
岩瀬が中継ぎをしていた頃で、その頃の岩瀬は抑えの
ピッチャー(確かギャラード)よりよかった気がします。

また、ヤクルトでも、晩年の高津の頃は、中継ぎの石井弘のほうが、
よかったことがありました。

でも、抑えはプレッシャーが違うから、中継ぎでよくても、
抑えで同じようには、いかないと言われていて
中継ぎは格下というのは、なかなかぬぐえません。

そのような流れの中で、昨年は浅尾がもしかしてMVP?
という雰囲気がありましたが、打撃の主要部門でタイトルをとった
わけではない和田がMVPになりました。

しかし、浅尾は昨年よりもさらにハイレベルの成績を残します。
ただ、今年はMVP候補のライバル吉見は、最多勝・防御率一位、勝率一位
で、中日が 優勝していなくてもMVPになってよいくらいの成績です。
去年の和田をはるかにしのいでいます。

その中で、中継ぎのMVP。すごいことです。

ヤクルトの中継ぎエース松岡も、抑えの林がいる限りは、抑えに昇格でかいないのかなあ、
少しかわいそうだなあ、と思ってみていましたが、
どっこい、中継ぎで頑張りきれば、最優秀選手になれるのですから、
「抑えに昇格」「中継ぎのままではかわいそう」なんて、思う必要がなくなったのでしょう。

今日は宅調

11月 30th, 2011
今日は、宅調日です。
初の宅調日です。

で、宅調(たくちょう)とは何でしょうか?
これはネットで検索すると、業界用語のようです。
しかも、弁護士も司法修習を過ぎると耳にしなくなる言葉で、
裁判所の中での業界用語と思われます。
自宅起案と言っていた気もします。
(起案というのは書面を作成するという程の意味で、これも業界用語)

裁判官は、自宅で仕事をすることを宅調といいます。
自宅で仕事をするので裁判所に出てこない日を、宅調日といいます。
人によりますが、週に1回くらいとっていた気がします。

私が民事の司法修習をしていたとき、行政の役所に出向していて
戻ってきたばかりの裁判官が言っていました。
役所にいたころは、役所にいるということが仕事という感覚だったが、
裁判官になると自分がいる場所が仕事という感覚だ。

そんなわけで、世間的にみればサボっているようにしかみえない
宅調ですが、普通の公務員や会社員と働く感覚が違う裁判官に
とっては、宅調日もれっきとした仕事日です。

さて、私は裁判官ではないのですが、今日の午後は宅調日にしてみました。
子供が外で遊んでいる間の、自宅の鍵番を兼ねてです。
弁護士も、家でできる仕事・勉強はそれなりにあるので、週に半日位、
宅調日を作ることはできそうです。
逆にそのほうが、しっかり勉強する時間ができるような気がします。

家に帰ったとたん、昼寝をしたい強い誘惑に駆られましたが、
スーツのままでいることで、逃れることができました。

子供は、外から帰ってきても、私の仕事オーラに押されて、
ほとんど話しかけもせず、殊勝に本を 読んでおとなしくしています。
今日は、子守ではなく、あくまで宅調なんです。
たまに、「腹が減った」とブツブツ言っていますが。

星座は簡単

11月 29th, 2011
世の中には,星座と言うものがあって,古来道しるべになったり,
占いに利用されたり,珍重されてきました。

と言っても,都会の夜空は明るすぎて,ほとんどよく分かりません。
私も,子供の頃に習った以上は興味もなく,
オリオン座と 北斗七星,カシオペア座くらいしか分かりません。

ところで,週末に山小屋に行くと,星がよく見えるときがあります。
いつでも見えるか,というとそうでもなくて,
曇っていれば見えませんし,月が明るいと,あまりよく見えません。
たまに満天の星空が見えると,驚きます。

星が見える日は,星空観察をしようかという 気もありましたが,
夜は寒かったり,蛾が多かったりで,なかなか重い腰があがりません。
何とか,外に出ても,木々の間に見える星はなんだか訳が分からず,
そのうち,首が痛くなって,早々に引き上げるという状況でした。

でも,いずれは子供に星を教えるために,ぐるぐる回して,
星座の位置を出すシートのようなものを昔利用した記憶があるので,
あれを探し出して購入する必要があるな,と思っていいました。

ところが,ふとgoogle sky mapというものがあることを知りました。
スマートフォンにインストールして,スマートフォンを星空に
かざせば,位置情報と,方位情報と,重力方向の情報を利用して,
目の前の星座がスマートフォン上に出るというのです。

そこで,試してみました。
寒いので家からは外に出ず,窓からのぞきます。
あまりにも簡単です。
とりあえず,星空のオリオン座を見つけ,スマートフォン上の
オリオン座と重ねて,かざし具合のコツをつかみます。
かなり,簡単に,他の星も簡単に見分けがつきます。

オリオン座の隣の双子座や,カシオペア座のとなりの
ペガスス(ペガサス?)座なるものも,すぐに判明しました。
木星らしきものも,発見です。
惑星の位置は,ぐるぐるまわすシートでは
再現できないと思われるので,さすがです。

子供が寝てから試したのですが,
これで簡単に子供も 星座を把握できそうです。

弁護士は、どの程度法律に詳しいのか

11月 25th, 2011
法律に関する国家資格としては、弁護士以外にも、司法書士とか行政書士があり、
税理士も税法という面では法律資格です。
その中でも、弁護士資格は、試験を通るために、要求される法律知識量がとても
多いので、一般には、世間で一番法律に詳しいのは弁護士です
(なお、裁判官も 詳しいですが、資格としては弁護士と同じです)。

では、どの程度、詳しいのでしょうか?

日本の法律全てに精通しているような人は、存在しません。
おそらく、日本の法律の名前だけでも、全部知っている人もいないかもしれません。
いたら、弁護士ではなくクイズマニアかもしれません。

弁護士がよく使う模範六法という六法がありますが、そこに出ている法律全部に精通している
弁護士も多分いません。
全部読んだことがある弁護士も、ほとんどいないと思います。

いわゆる六法と言われる憲法、民法、商法、刑法、刑事訴訟法、民事訴訟法
を暗唱できる人もいないでしょう。
基本の六法に書かれていることを概ね、把握していること、
これが本当は法律資格としては、必要なのでしょうが、
これを出来ている弁護士もほとんどいないと思います。

通常の一般民事といわれる弁護士の仕事は、民法だけ把握していれば、
8割がたの仕事は何とかなります。
その民法で、何がどこら辺に書いてあるのか覚えているけど、
正確な記載は自信ないから、念のため確認しながら仕事する。
私は、だいたいこのレベルかなと思います。

「うわーひでー」と思うかもしれませんが、弁護士間の情報交換や
メーリングリストでの質問をみたり、相手方弁護士の書面をみると
このレベルに達している弁護士も少数派のようです。
「そんな質問するなよ、それは民法のあのあたりに書いてあるだろう」
ということは少なからずあります。

というわけで、弁護士の法律知識というのは、随分、たいしたことないようですね。
でも、弁護士になる人はいわゆる文系的な記憶力等にかけては、
人間の中でも最上位に位置する人のはずです。
そういう人が覚えたり把握できないのですから、法律が人間の能力に比べて
複雑すぎるとしかいいようがないでしょう。
「資格をとった後に継続的に勉強しないからそうなるんだ」と いう意見もありえますが、
多分、六法の内容だけ把握し続けるだけでも、仕事時間よりも勉強時間を
長くするような生活にしないと無理かもしれません。

結局、それでも、何とか回っているということです。
その理由は、前回書いたように、日本の民事司法は
実質的に正しい結論に持っていくことを最優先しますので、
「まず結論ありき 」ということが多いからかもしれません。
法律を逆手にとったトリッキーな手段は通用しないので、
法律知識を増やすことが、勝ちに結びつきにくく、
むしろ実質的な価値判断をいかに説得的に
主張できるかということにエネルギーが向くのかもしれません。
 

判例。判例。

11月 24th, 2011
法律相談をしていて、相談者から判例がどうのこうの、と言われることがあります。
この件について、判例はどうなっているのか?
とか
判例がそうなんているので仕方がないんですかね
とか。

まあ、正直どうでもよいので、「さあ、どうでしょうね」なんて言いますが、
別にごまかしているわけではありません。

だいたいこういう場合に、「判例、判例」なんて言っているのは、
下級審の裁判例、つまり、最高裁判所の判断以外の裁判を言っていることが多いようです。

大事さの順番で言うと、
①一番大事なのは、実質的に結論が妥当かどうか
②次に、法律の条文に書いてあること、最高裁判所が何と言っているか、

で、ずっと劣って
③下級審の裁判所や学者が何を言っているか
というのが私の感覚です。

何といっても①が大事ですが、結論が妥当かどうかは
様々な観点から検討(当方の立場だけでなく、相手の立場、さらにルールとして一般化できるか等)
が必要なので、そのセンスが法律家として一番大事なところだろうと思います。

で、①さえしっかりしていれば、通常は変な結論を導く条文や最高裁判所の判例はあまりないので、
概ね大丈夫ということになります。
仮に、形式的にみて、変な結論になりそうな場合は、法律解釈で妥当な結論に持っていくというのが
通常のあり方です(そういう意味で、漫画チックな法律の抜け穴というものはほとんどありません)
でも、たまに①で妥当と思ったことに反する法律や最高裁判所の判例があったりすることもあり、
その場合に、①の考えが本当に正しかったのかと、再度、考えることになります。

で、依頼を受けた件等で、念入りに検討する必要があるときに、
③の下級審の裁判例を利用して、検討した価値判断に漏れがないかチェックする。
という感じでしょうか。

実際、裁判の場では、下級審の裁判例を裁判官に見せたところで、
その裁判官が違う考えであれば、
「私はそういう考えをしませんから」
「まあ、色々な考えがある点ですからね」
と言う程度の扱いのことが多いです。
もちろん、裁判官も色々な方がいますから、他の裁判官の判断を参考にしたがる
人もいますが、少数派の気がします。

下級審の裁判例調査を重視するかのように思われてしまうのは、
日本の裁判経験が少ない国際派弁護士がアメリカ流で判例調査が弁護士の仕事であるかのように吹聴しているからか?
ホームページの情報を出すネタとして、裁判例紹介が楽だからか?
情報収集が好きな人が、自分の存在価値を高めるために、こういう裁判例を知らないようじゃ弁護士失格だね!
何て言っているからか?

よく分かりません。

私自身は、事件の見通しをお話しする上では、①の実質的に妥当だという結論を
自分がどの程度の確率で裁判官を説得する自信があるか、とい観点で決めていることが多いです。
大半の裁判官を説得できるかな、
半分位の裁判官なら分かってくれるかな、
頑張れば柔軟な考えの裁判官なら分かってくれるかも
なんて具合です。

なお、裁判例不勉強の言い訳で書いているわけではありません。
しっかり下級審裁判例も勉強しています。
でも、それは「こういう裁判例がある」という知識を出すためではなく、
①の感覚をブラッシュアップするためです。

弁護士の倫理研修

11月 18th, 2011
先日,弁護士会の倫理研修というものがありました。
だいたい5年ごとに強制的に受講です。

大学で倫理学を研究していた私に,倫理を研修してくれるとは
いったいどこのどなたでしょうか?
という話ではありません。
哲学者の倫理についての考えをご教示いただくのではなく,
弁護士実務の際,ルールの問題として悩ましい問題の研修です。
そうであれば,倫理等と大げさな名前をつけなければよいのですが,
一時期,弁護士が守るべきルールを弁護士倫理規定という名称で
成文化していたことがあるので,そういう名前の研修なのでしょう。

さて,今回のお題は弁護士報酬の決め方についてです。
つまり,法外な報酬を決めたらイカンということの研修ですが,
それだけでは「はいそうですね」で終わりですので,
実務上,決め方が難しい具体例を出して,それに対する
意見交換をするという内容です。

そしてポイントは,
①事件の着手金は経済的利益に応じて決める。
②しかし,依頼当初は経済的利益の把握が困難
なので,

依頼者が事件の見通しを納得してくれず多めに請求する場合や
見通しが大幅に異なって,わずかしからお金をとれなかったとき
どうするか といったことです。

でも,①はそうする必然性はありません。
単に,昔弁護士が守る必要があった弁護士報酬規定が
そういう形になっていたというだけで,報酬が自由化された現在では
着手金を経済的利益に応じて決める必要はありません。

でも①に固執する限りは,色々難しい問題が発生するということです。

当事務所では,着手金は基本的には経済的利益と無関係に
予想される手間の量に応じて決めますので,
今回の倫理研修で想定される悩ましい問題は無縁です。
(なお,当事務所でも報酬金は経済的利益に応じて決めます。
事件終了時は比較的経済的利益が分かりやすいし,成功を依頼者と分かち合うためです。)

それでも多くの事務所が惰性で,着手金を経済的利益に
応じて決めていますので,おかしなことが起こります。

たとえば,とりえず相手に慰謝料請求しようというときに,
200万請求ではじめると着手金は16万円
500万円の請求ではじめると着手金は34万円
なんていうのが旧報酬規定の考えです。
また,不動産がかかわる事件では,固定資産の評価証明なり
査定書なりなんなりがないと,弁護士費用が決められない
なんていうのも旧報酬規定ではよく困りました。

というわけで,今回の倫理研修は惰性で不合理な報酬規定を
利用している弁護士にだけ,有り難い講習だったということでした。

ただ,意見交換の中で,少なからず
「そういう場合は,手間の程度に応じて着手金を決める」
という意見もあったので,当事務所の決め方の正当性を確認できたのが収穫でした。
「そういう場合」に限らず,いつも手間に応じて決めればよいと思うのですが。

 

プログラム道楽

11月 14th, 2011
趣味といえる程のものではありませんが,司法修習中に
簡単なコンピュータのプログラムの仕方を覚えました。
業務を合理化するアプリケーションを作るのは
好きな作業です。

最近ご無沙汰していたのですが,事務所内でWEBアプリを
作りたい等の要望があり,いろいろ見ていたところ,
マイクロソフトが,無料で色々提供していたので,
思わずダウンロードし,試してみました。

たまに,プログラムを組んでみることは,
まず自分が馬鹿になっていないか,確かめる上で
有効です。
どうしても,法律は論理が緩いところがありますので,
法律ばっかりやっていると論理的な思考ができなくなって
しまうのでは,というおそれがあります。
でも,プログラムは,極めて論理的な作業ですので,
目的を達成するためのプログラムがつらつら
思いついて,書いてみて,動くと
馬鹿になっていなかったと少しほっとします。

また,プログラムを書いていても
たいていすぐに,つっかえます。
そして,必死に調べて,色々試すうちに,
問題点をクリアできます。
その作業の繰り返しです。
弁護士仕事も似た面があるのですが,
よりシンプルかつ迅速に,挫折と乗り越えが
経験できますので,安易に達成感を感じることができます。

そんな感じで,久しぶりにプログラムを書いて
動かしてみる道楽をしました。