新横浜事務所OPEN

2月 23rd, 2016
マイタウン法律事務所の6つ目の事務所として,新横浜事務所を開設しました。
新横浜には既にいくつもの法律事務所がありますが,当事務所のように個人法務(離婚・相続・交通事故等の個人に関する法律問題)を中心にすえた法律事務所はあまりないことから,開設にいたりました。

場所はこちら

実は一昨年あたりから新横浜事務所開設にむけて動いていたのですが,紆余曲折あり,ようやくの開設でほっとひといきです。

新横浜事務所には,交通事故主任の小林芳郎弁護士が常駐しますので,よろしくお願いします。

裁判の一般化

2月 9th, 2016
認知症の介護者の責任について最高裁判所が判断しそうです。

責任を限定する常識的な判断が望まれます。

以前にも子供のボール遊びを原因とする事故についての親の責任について,下級審による無限定な責任を認める判断が相次いでいた中,最高裁判所は限定する判断をしています。

なぜ,地方裁判所や高等裁判所は,このような「いったいどうしろというんだ」という事案について親や介護者の責任を平気で認めてしまうのでしょうか?

裁判をしていて不思議に思うのは,裁判官の中には「この判断が一般化したら,社会はどのようなことになるのか」という意識がほとんどないということです。
裁判をするというのは,あくまで個別の事案についての妥当な判断をすることであるという意識が強く,裁判の判断内容が法律のように一般化して他の事案にも影響するという意識は希薄です。

実際のところ,最高裁判所の判断以外の,下級審の判断にはいわゆる「判例」とでもいうような先例的価値を認めないのが日本の平均的な裁判官だと思います。ですので,自分の判決も先例として他の事案に一般化されるようなものではない,と考えるのかも知れません。

また,いわゆる法律の勉強においても,司法研修所の勉強においても,自分の判断が一般化したらどのようなことになるか考えろ,というような指導があった記憶はありません。

ということで,子供が遊んでいることによって生じた事故について親の責任を大幅に認めたり,認知症老人が起こした事故について介護者の責任を広く認めたりすると,社会の人々がどれだけ困ることになるのか,なんてことは裁判官はサラサラ考えていないというのが正解なんだろうと思います。この事案では,この人に責任を認めるのが妥当だ。他の事案では,また妥当な結論は異なってもおかしくない,というふうに考えているということです。

ところが最高裁になると,職業裁判官ばかりではなく,行政の出身者等もいて,特定の法規範(法律なり判例なり)を定めた場合の社会的な影響について考える訓練を受けている人もいるし,また最高裁の判断ばかりは下級審の裁判官も極めて尊重しますので,その判断が一般化した場合の社会的影響について考えた上での判断がなされるのだろうと思います。

とはいえ,下級審の裁判所も,もう少しその判断が一般化したらどうなるか,という視点をもってもよいのではないかと思います。

夫婦別姓問題と最高裁

12月 10th, 2015
12月16日に最高裁判所が夫婦別姓を定めた民法の規定の合憲性について判断するようです。

夫婦別姓についての賛否はさておき,この問題について最高裁が違憲と判断することについては,かなり違和感があります。

日本は民主主義国家です。ですから,国民代表が構成する国会だけが法律を制定するのが大原則です。

ただ,民主主義がうまく機能しない場合,つまり多数決によって少数者の人権が侵害されているような場合や,投票価値の平等のように国会そのもの正当性が問われるような例外的な場合に,裁判所が違憲と判断して少数者を救って民主主義を補うということです。
裁判官は選挙を経ていないワケですから,民主主義が機能しない例外的な場合にだけ権限を行使するようにしないと,そもそも民主主義国家とはいえなくなってしまいます。

夫婦別姓の問題は,少数者の人権の問題ではありません。夫婦同姓の強制によって,女性側が事実上不利益を被っているという社会的現実があるとしても,女性は社会における多数派です。納得いかなければ民主主義の課程の中で是正すべき問題です。代表制民主主義とか,政党政治とかそういった枠組みの中で,すすみそうで進まない問題について,裁判所を利用して決めてしまえ,なんてことになったら民主主義国家の立法体制とはいえなくなります。

仮に,今回最高裁判所が違憲判決をだそうものなら,国会で多数をとれない勢力が,自分たちの政策に反する法律の当否をどんどん裁判所に持ち込み,最高裁の裁判官のうち8人を納得させることができれば政策を実現できるなんてことにもなりかねません。

今回の件にについては,最高裁判所には謙抑的な判断がのぞまれます。

人工知能とモラル

11月 26th, 2015
自動運転をはじめ人工知能がいよいよ人間社会に出てくる可能性があります。
その場合,人工知能にどのような道徳をプログラムするのか,最近読んだ本にそのような問題意識が書いてありました。

この問題は,私が大学の卒業論文を書いた際の大きな問題意識のひとつなので感慨深いです。
私が卒業論文のテーマとして考えたのは,道徳を整合的に組み立てるための基本条件のようなものです。

人はものごとをよいとか悪いとか,すべきとかすべきでないとか,色々道徳的な話をします。
その場合,よい理由を述べたり,「それは矛盾している」と言ってみたりしますので,道徳に論理が介在していることは間違いないのですが,実際に論理的に整理していくとかなり支離滅裂です。
これを支離滅裂でなく,整合的,一義的に善悪等を把握するためには,どうすればよいのか,というのが問題意識です。

これは,古くからある問題なのですが,一般に哲学史の中では決疑論と呼ばれていて軽視されている分野です。
それでも,自立的に動くアンドロイドのようなものに,行動の判断基準をプログラムするとなると一義的に明瞭な善悪の判断基準が必要となるのではないか,なんて考えて追究してみようと思ったわけでした。

もちろん追究の結果,善悪を一義的に把握的出るようになったわけではなく,そのようなことを学問として研究するための形而上学的な基礎を考えるというものです。

形而上学というと,いかにもグロテスクな感じがするもので,多くの哲学者は形而上学がいかに無意味かということを論じながら過去の哲学者を批判しています。
でも,その結果として,自分自身の形而上学を組み立てていくわけです。

道徳を整合的に理解する上でも,おそらくは形而上学的な問題にケリをつける必要があります。
たとえば責任という概念は,ある人の行動がある結果を招いたという因果の法則と,その人は自分の意思で判断したという自由意思の双方を内包しています。ところが,双方は矛盾した概念です(いわゆる決定論と自由意思の問題)。そこを整合的にどう処理するかを決めない限りは,整合的な判断は不可能です。法律学では,責任についてなんたら責任説といった色々な学説がありますが,結局のところ形而上学レベルの矛盾がそのままバラバラな意見に結びついているわけです。おそらく責任というのは形而上学レベルで矛盾した概念であって,そういう矛盾した概念を利用して道徳を考える限りは整合的に道徳を考えることは不可能となります。
形而上学レベルでケリをつけていくといのは,そういう部分を処理していくということです。

結論としては,
①道徳の問題を自分の現在の意識決定の問題に絞り込む,つまり過去の出来事や他人の行為を道徳判断の対象からはずすことで,決定論と自由意思のような矛盾は回避できる。
②一義的に道徳を決めるという条件をみたす道徳理論は,功利主義といわれる道徳理論,つまり幸福計算や快楽計算によって善悪を把握する理論に絞り込まれる。一般的に指摘される功利主義の欠陥の多くは,立場の交換可能性を係数として付け加えて計算することで回避できる。
③道徳判断の枠組みと自然科学的に想定される世界との関係は,自然科学的な世界に一次元追加する枠組みを考えることになる。空間の3次元に時間を加えて4次元が自然科学的な世界とした場合,道徳的な望ましさの値として5次元目を考えることになる。現在aの選択をした場合の将来の世界Aと,bの選択をした場合の世界Bは,同じ時間にあらわれる異なった世界ということになるので,もう一次元を考えることになる。その複数の選択肢について,どのように道徳的な値を与えていくのか(功利主義であればそれぞれの世界の快楽計算をすることになる)が,道徳を整合的に理解するということになる。

というようなことだったと思います。
中身のないカラですね。このカラのことを考えてみたということです。

ふと昔のことを思い出して書いてみましたが,なんだか文章がわかりにくいですね。
哲学者になるのをやめて,とりあえず何をしようかなあと色々な業種に就職活動をしていたときに,NHKのセミナー(実際は就職試験)で文章を書く試験がありました。
返ってきた結果は不合格で,コメントは「極めて論理的で難解な文章です。一般の方むけのマスコミの文章として不適切です」なんて書かれたことも思い出しました。

自動運転その2

11月 6th, 2015
やはり自動運転の実現に向けて法整備等、色々と動き出してきました。

経済的な観点からすると、日本が先陣を切ったことはとても大きいと思います。
先陣を切ることで、思わぬ事故等のリスクもまっさきに受けることになるとは思います。ただ、自動運転がおそかれ早かれ実現するのであれば先陣をきったほうがメリットが大きいこと、日本の経済的繁栄が自動車産業に依存していてその面からも自動運転先進国になるメリットは大きいこと、からすると積極的に推進すべきなのでしょう。

法整備もすすめる等と記事もでています。賠償責任の問題も記事にはあったりしますが、自賠法がある現状からすると自動運転が失敗して事故が起きた場合も所有者が責任を持つということでおおむね済むと思います。だからしっかり任意保険に入りましょうということです。でも、細かな問題があるのかもしれません。

法整備で、しっかりやってほしいのは、法定速度の問題です。大半の運転者が支持していない現状の法定速度規制はこれを機会に見直すべきでしょう。万が一にも、たくさんの自動運転車が高速道路を時速100㎞(ちょっと風がふけば時速60㎞)で走り出した日には、渋滞がすごいことになりそうです。高速道路の法定速度は時速120㎞あたりにして、それを超えた場合は厳密に取り締まるという本来あるべき姿に変える必要があると思います。

この問題は、法定速度の問題に限らない将来的に大きな問題をはらんでいます。
自動運転車というのは、人間界で自律的に生活をはじめる人工知能の先陣をきる存在といえます。
人間が従うのと同じルールに人工知能も従いながら、人間と人工知能が社会で共存するということは、将来的に想定される状況ですが、まずは人間が運転する車と自動運転車という形でそれがはじまるのです。

人工知能が人間社会でルールにしたがって生活する場合、ルールは明確で一義的である必要があります。周りの人の顔色をみたり、誰かさんにあとでおこられそうかどうかとかに応じて臨機応変にというわけには、なかなかいかないと思います。やってよいことと、やってはいけないことについては、できるだけ明確にしておくということが肝心なのです。

となると、高速道路では法定速度+20㎞まではうすいグレーで、+40㎞までは濃いグレーで、法定速度内は法律上はホワイトだけど安全かどうかという基準でいうとかえって危険かも。だから覆面パトカーがいるとか、まわりの車の流れをみながら、あうんで速度を決めていくなんていう状況は好ましくないわけです。

というわけで、自動運転に先陣をきるだけでなく、明確なルールという点では後進国といえる状況は早急になおして、きたるべき人工知能との共存社会にむけた社会整備についても先陣をきってもらいたいものです。

ここ1年で読んだ本(紙の本編)

10月 21st, 2015
続いて紙の本です。
kindle化されていなかったり等の事情で購入した紙の本です。
ブラック・スワン-不確実性とリスクの本質 (上)(下)
とても面白かったです。ぽつぽつと読み返しています。漠然と考えていたことについて、裏付けが得られたり、また疑っていなかったことについて疑念を持つきっかけもありました。
基本的には、認識論の本ということだと思います。人間の知の限界、そしてその限界が人間自身が考えるよりずっと低いということです。
伝統的な認識論の流れに、統計学や投資行動の知見を追加して、偽悪的な文体で書いています。
太陽と地球のふしぎな関係-絶対君主と無力なしもべ
こどもと読むために購入。宇宙の話は人間の理解を超えています。ブラックスワン的な発想でいえば、人間の知能は宇宙を理解できるようにはできていないように思います。みえている太陽の形は可視光線を放っている範囲であって、太陽のもろもろの要素を考えれば太陽は地球を包み込んでいるともいえるとか。

図解 気象学入門-原理からわかる雲・雨・気温・風・天気図
これもこどもと読むために購入。気化熱というのはよく出てきますが、その逆、つまり水蒸気が水に戻るエネルギーというのはあまり考えていませんでしたが、それが莫大で、台風だなんだのエネルギー源のようです。

暴力の人類史 (上)(下)
新聞の書評をみて購入。かなり分厚く内容も堅いので、半年がけでなんとか最後まで読み通しました。
何年か前から、個人のケンカについての歴史的または文化人類学的に詳細に研究した本を読みたいと思っていました。というのは、当事務所で取り扱っている個人法務事件は、冷静な論理や費用対効果の世界ではなく、もっと根源的な感情の世界の出来事であって、いまは弁護士だ裁判だという形で解決していますが、歴史的または異文化においてどのように、問題を解決してきたかを知ることは、いましている仕事のより深い理解につながるのではないかと思っていたからです。
この問題意識にかなりこたえてくれる本です。それ以外にも、様々な知見がちりばめてあり、かなり面白かったです。
ただ、日本語でのタイトルは???まるで、様々な残酷物語を読みたい人向けのような題です。「性善説 なぜ暴力は減少したのか」 とでもいうのが原題(THE BETTER ANGELS OF OUR NATURE why violence has declined)のニュアンスような気がします。それじゃあ、売れないのかな。
運は創るもの-私の履歴書
ニトリの創業物語です。日経新聞の私の履歴書が面白かったので、思わず買いましたが、私の履歴書プラスアルファは、それほどでも。

ここ1年で読んだ本(kindle編)

10月 16th, 2015
ここ1年ほどの間にkindleで読んだ本です。
How goole works(ハウ・グーグル・ワークス) ―私たちの働き方とマネジメント
読んでから1年近く経つので、覚えていない。それなりに面白かった記憶はあるのだが。
傍線ひいた(kindleなのでハイライトした)部分を読み返すと、なかなかよいことが書いてあります。
採用に関する考え(とにかく優秀な人間集めに徹する)、組織はあまり整えずにグチャグチャに、という雰囲気は私の考えと一致していて、一致していなかった部分をどの程度取り入れていけるかかなあ、でも覚えてないんじゃしょうがないですね。

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
なんで買ったのかよく覚えてませんが、池上彰氏、佐藤優とも人気がありそうだけど読んだことがなかったので、なんとなく買ったのかもしれません。

軽く読めるし、知らないこともチョクチョク書いてあって、それなりに楽しめました。

THE ISLAMIST PHOENIX
イスラム国について書いた本です。洋書です。kindleを買ったときに辞書ひかなくてよいから英語の本も読みやすいかな、と思っていましたが、結局読んでませんでした。一念発起で買いましたが、やはり快適に読むことができます。
イスラーム国の衝撃
同じくイスラム国についての本。中東やイスラムというのはよくわからないままだったのですが、2冊程読むと多少イメージがつかめます。

ZERO to ONE 君はゼロから何が生み出せるか
アメリカでのビジネスの成功した人が書いた話。
グーグルの本だったり、この本だったり、アメリカの超一流企業の求めている人材はこういう人だ、なんていうのを見ていると、意外に俺もいけるかも、何て思ったりします。でも大学卒業時の自分はまったくだめですね。やはり、いろいろあると社会的に多少なりとも有用化されるのかもしれません。20歳そこそこで、そのような能力・意欲を持つ早熟な人が求められているのです。

古田式・ワンランク上のプロ野球観戦術
友人にすすめられて読みましたが面白かったです。
知らないことも多く野球観戦が好きな人にはおすすめ。

Who Moved My Cheese?
洋書2冊目。挫折しないように、薄めのを探していて購入。有名な本ですが、それほど感銘なく終了。
寓話調なのが、相性が合わないのでしょう。

ここらで広告コピーの本当の話をします
アマゾンのプライム会員だと1か月に1冊だか何かで無料で読める本が出ます。それで読んだ本です。
事務所広告作成に役立つかなあと思ったけど、そういう本でなくて、広告コピーの大家が後輩に向けて一家言述べるものです。
この本をきっかけに『影響力の正体』という本を知ったのが一番の収穫でした。

影響力の正体 説得のからくりを心理学があばく
人の心を操る系の怪しげな本はちまたに出回っていて、この本もその手のようなタイトルですが学者の書いた良書です。
『人を動かす』とともに弁護士であれば読んでおいて損はない本だと思います。
別の訳で『影響力の武器』という名前でも出ています。

AIの衝撃 人工知能は人類の敵か
人工知能もだいぶ進んできています。自分の仕事にどのような影響がでるのか興味深いです。

男の作法
そば屋の七味唐辛子をそばにかけて食べるのは知りませんでした。たしかにうまい。

失敗の本質 日本軍の組織論的研究
有名で固めの本なので夏休みの課題図書として読みました。
太平洋戦争中の個々の戦闘は名前だけ知っていて具体的な内容はほとんど知らなかったのでそういう面で勉強になりました。
少し面白いなあと思うのは、失敗の原因とされる精神論の重視→勝てる勝てると考えれば勝てるのだ的な考えは不合理は不合理なんですが、今も流行し続ける自己啓発本は基本的にその発想ですよね。できるできると自己暗示かけていればいつかはできる。そのあたりどうなんだろうと思います。

ガリア戦記
西洋の一定以上の層は当然読んでいる本なのでしょうが、こういうのを普通に読んでいたら織田信長は残酷なんて思いもしないでしょう。
万人の万人に対する闘争とかリヴァイアサンとかいう発想は、ガリア戦記からは生まれてきても、日本人が学ぶ歴史からは生まれてこないと思います。

スーツの文化史
アマゾンプライムの無料で買ったけど、あまりへーと思うこともありませんでした。

3日食べなきゃ7割治る
軽く読める本を探していて購入。断食に対する興味から買ったのですが、理論構成があまりにオカルトで。断食ってある程度効能は明確なんだと思ってましたが、これだけオカルト的説明が多いと、結構だめなのかも。

英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄
太平洋戦争の評価については色々と思うところがある中で、外人が書いている興味から読んでみました。
でも、「虚妄」なんて書くと、はじめっから特定の立場がみえてきてよくないですね。
太平洋戦争ってアメリカと戦った印象しかなかったけど、イギリスが受けた被害(植民地を失って大英帝国崩壊)と恨みというのは、なるほどと思いました。

 

自動運転

10月 14th, 2015
安倍首相がオリンピックまでに自動運転をやるぞ、と言ったようです。
これは重要なリーダーシップです。

実は、少し前に車を買い替えた動機が自動運転でした。
グーグルの自動運転だなんだで近未来の技術のような印象を受けていましたが、現実が思いのほか進んでいることがわかったので、是非とも試してみたくなりました。

事前に色々ネットで調べてみましたが、それなりに自動運転ができそうなのですが、メーカーも大々的に宣伝していませんし、個人のブログでもあまり明確に取り上げられていません。でも、実際入手すると次のようなことができています。

高速道路(ただし山道以外)であれば、10秒は手を放していても車線や前の車を追従して走行してくれる。
ブレーキアクセル操作は、前の車が停止するまで、自動で加減速停止を操作してくれる。
10秒手を放すと警告表示がでて、それでも放していると警告音がでる(それでも放置するとハンドルの自動操作が解除されるらしい)。
(なお、手は触れているだけではだめで、手からの動きを多少なり感知できないと、手を触れていないとみなされるようです。私は安全運転最重視ですので、本当に手放しはしていません。そっとハンドルを持つと、持っていないと認識されるので、その上での説明とご理解ください)。
おそらく時速30㎞未満くらいでの走行だと手放しでの10秒警告はなくなる。つまり、30km未満で止まることなくダラダラ進む高速道路の渋滞では、完全に車が勝手に走行してくれる。

ということです。
ただ、カーブを曲がり切れるかどうかは、曲がらせてみないとわからない。事前に曲がれませんというのではなく、結果としてはみ出る(はみ出そうになる)というあたりが、おっかなくって完全にはまかせられませんが、このあたりの技術的な発展は時間の問題という気がします。

また、自動運転機能とは別に、車線はみ出し時に強制的にハンドルを切って車線内に戻す機能や、強制ブレーキ等の安全装備が充実しています。つまり、人間の不注意な運転をフォローする安全機能を高めたうえで、コンピュータに自動運転させて、自動運転のミスも自動ブレーキ等でフォローするという発想と思われます。自動運転にまかせてカーブを曲がれるか試していて、曲がれなかった場合、今度は車線保持の安全機能が働き、警告音が鳴るとともにハンドルに介入し車線内に車を戻すということもあります。警告音が鳴ると、「お前(車)が自分ではみ出たんだろ」と言いたくもなりますが、自動運転と安全装置は別人格(車格?)として存在しているようです。

実際、まっすぐに近い高速道路では、10秒ごとに手を離すなと警告がでると、もう少し間隔が長くてもよいのでは、と思うところもありますが、それ以上長いと車の運転から完全に集中力がそれてしまいそうですし、それでも運転をまかせられるほどの自動運転機能ではないので、10秒で警告というのは、そんなものかなと思います。

半面でこの10秒の警告は、「あくまで自動運転ではなく、運転補佐機能にすぎません」というメーカー側の言い訳もみえかくれします。誰に言い訳しているのかといえば、おそらく監督官庁なのだろうと思います。やはり、諸事情考えると監督官庁が自動運転に消極的な態度をとるのもわからんでもないですし、そうなるとメーカーも大っぴらに半自動運転を実現とはうたわず、運転補佐機能として提案し、そのために10秒解除ということにしているようにもみえます。そうなると、自動運転の機能がもっと進化し、人間の集中力が運転からそれても大丈夫なレベルになっても、10秒警告の機能は残ってしまうことになるでしょう。

ついでに弁護士らしい観点も追加すると。メーカーは事故が起こった時の責任回避も考えて運転補佐機能に過ぎないと言っているのではないか、という視点もあります。ある程度、そういう面もあると思います。ただ、日本法では、まず運転者や車の所有者は、自賠責法で保有者責任を負いますので、自動運転の機能のせいで事故が起きたといったところで、加害者との関係で責任をまぬかれることはできません。責任をまぬかれるには、自動車の機能に障害がなかったことも立証する必要があるので、自動運転機能の故障していれば責任を負わざるを得ません。そうなると加害者が任意保険に加入している限りは、任意保険会社が賠償負担をした上でメーカに求償してくかどうかという問題に還元されます。そして、最終的に自動運転を目指している自動車メーカーは、そのあたりについては当然保険会社と枠組みを作り上げていくつもりでしょうから、賠償責任回避は本質的な問題ではないと思われます。

となると、自動運転を実現するには、監督官庁が自動運転にたいして積極的になる必要があります。メーカーが堂々と「自動運転実現!」と宣伝できる雰囲気が必要です。そして、それを可能にする上で、首相の発言というのはとても大きいと思います。行政のトップが旗をふれば、自動運転の実験にしろ、賠償の枠組み作りにしろスムーズにすすむ気がします。

今回、自動運転車に興味をもって色々しらべて、現時点で一番進んでいると思われるドイツの車を購入しました。
そして実際の能力を体験すると、日本の大手自動車メーカーは、かなり立ち遅れているのでは、という気がしています。首相の一声で一気に逆転していくかもしれません。

たわけたことか

10月 13th, 2015
たわけた、というのは田を分けるような馬鹿げたマネ 等と説明されることもあります。
その語源が正しいかはさておき、仕事のモトデはいたずらに分けない方がよいというのは説得力があります。

さて、今の日本の法体系上、たいていの財産は最終的に生きている個人(法律上、自然人とも言う)に帰属しています。
国や自治体の財産や、一部特殊法人の財産は違うかもしれませんが、会社という法人の財産も株主たる誰か個人の財産という形になります。株主が法人であればその法人の株主ということで、最終的には個人に行き着くことが想定されます。

ということで、個人で事業をしている場合であれば当然、その事業用の財産は何らかの事業用の財産としての区別されるわけではなく個人の財産にすぎませんし、法人化して事業をしていたとしてもその法人の株式は個人の財産ということになります。

人も雇わず小さく事業をしているのであれば、大きな不都合はありません。
でも、ある程度の規模で事業を行っていれば、会社の財産、設備もそうだし、運転資金として必要とされる預貯金も、あくまで事業存続のためのモトデという性格を持ちます。
これをワケてしまい事業外に流出させれば事業の存続が危ぶまれ、その事業を生活の基盤としているほかの従業員の生活も脅かされます。

ところがあくまで法律上は個人の財産に過ぎないわけなので、事業主や株主兼社長の個人のゴタゴタに巻き込まれてしまうことになります。
つまり、社長が離婚になれば、奥さんは会社財産相当の半分を要求することは多いですし、相続になればその相続税の支払だったり、事業を承継しない相続人が均等相続を要求してきます。その要求に応じた場合、会社のモトデは失われ、会社が危うくなりかねません。

株式が上場していればそんな問題はないのですが、社長=株主という中小企業であれば、そのような法制度からくる個人紛争の荒波をもろにかぶることになります。

戦前の民法は家督という仕組みがありました。相続も家督を継ぐことになりますし、離婚に際して家督の半分を要求なんてできませんから、上記のような不都合は生じません。家という事業体の存続をはかる上では合理性があるといえます。

現代社会は企業社会であり、企業は社会の大半の人にとって収入の源であり、大半の時間を過ごす場所であり、少なからぬ人にとって自己実現の場としての意味を持っています。現代社会を多くの人にとって快適にするためには、企業という職場を安定させることは必要な要請です。そして、多くの雇用は中小企業が生み出しています。そうなると、企業体の存続が個人の離婚や相続によってゴタゴタするというのは、合理性があるとは思えません。

個人事業の場合であれ、社長=株主の個人企業であれ、家督のように、タワケたことが起こらないような法制度があってもよいのではないかと思います。

左ハンドル対策

10月 12th, 2015
少し前に車を買い替えました。
買い替えの動機となった部分だったり、必要とされる能力だったり、駐車場のスペースだったり、諸条件をいろいろ考えていく中で、やむなく左ハンドル車になりました。

左ハンドル車は以前にも乗っていましたが、
①チケット式パーキングでのチケット取りや精算と
②乗降中のバスの追い越しや、対向車も右折待ちのときの右折
が不便です。
②は、そのままバスが走り出したり、右折であれば信号が黄色になるなり右折矢が出るなりまで待っていればよいといえばよいのですが、後続車両がいる場合は無言のプレッシャーを感じます。右ハンドルであれば、らくらく見える対向車線の様子が、左ハンドル車からは見えないので、本来は進行できるのに、いたずらに止まり続けてしまっているような状況になるからです。せめて対向車がきていて、どうせ進むことができないのだ、という状況は把握したいものです。

そんななか、色々と考えたり調べたりしている中で、液晶画面分離式のドライブレコーダーなるものがあることがわかりました。通常、ドライブレコーダーはカメラだけあれば十分なのですが、最近は録画されている画像を見ることができるように液晶画面がついているものが多くあります。さらに、この液晶画面とカメラ部分がケーブルをつなげて、離れた場所に設置できるモデルもでてきました。とすると、カメラ部分を右側座席に設置し、左側の運転席の前に液晶画面を設置すれば、対向車線の状況を右ハンドル車同様に把握できるのではないか、というのが当然思いつくことです。
そんなわけで、納車時にディーラーに頼んで、液晶分離型のドライブレコーダーを助手席側に設置してもらいました。
ところが、ドライブレコーダーは事故時の様子を撮影することが目的ですので、広い範囲の撮影が要請されます。つまり、かなり広角のレンズがついています。その結果、対向車線の様子はかなり小さく移ることになり、遠方から近づいてくる対向車を早めに察知することはできません。対策が必要となります。
いろいろとネットを渉猟してまわるうちに、スマホ用の望遠レンズに出会います。スマホのカメラも広角レンズです。これを望遠レンズにするために様々な小型レンズが発売されています。そこで、ちょうどよさそうな倍率のものを入手してドライブレコーダーのカメラにとりつけてみます。そうすると、四角い液晶画面の中央に丸があってその中だけに映像が映る形になりますが、このレベルであれば十分対向車を認識できそうです。
そこで、1か月点検時にさらにディーラーに頼んで、スマホ用の望遠レンズをドライブレコーダーのカメラに取り付けた上で、設置してもらいました。ただ、まだ不安定だったので、さらに百金で適当な材料を買ってカメラを固定しようやく完成です。
しばらく使ってみていますが、十分、対向車線を認識できるようになりました。

もっとも①のチケット式パーキング対策については今のところ、うまい手は思いついていません。