富士山登山

4月 10th, 2016
高校2年生が富士山に登ろうとしたが救助要請とのことです。

思わず自分と重なって色々思い出しました。

実は,私も高校3年の9月に積雪した富士山に単独で登ってきたからです。

高校3年でいわゆる受験だったのですが,それまでまともに勉強習慣もなかった中,完全に毎日勉強するとへばるだろうと考えて,8日に1回の完全休養日(まったく勉強しない日)を作っていました。
で,8日に1回なので毎週休みになる曜日がずれていって,たまに日曜日が完全休養日になります。

このときの9月に日曜日が完全休養日になりました。
で,何をしようかと考えていたのですが,その年の正月に年賀状配達のバイトをして手に入れたマニュアルギア付の50ccバイクでどこかにいこうということまでは決まりました。

その中で,そういえば富士山にいってないなあ,富士山にでも行ってみようか。
いずれにしろメインはバイクツーリングですから,5合目まで行ければ,目的達成です。
あわよくば山頂という考えもありましたが,それはあくまで「あわよくば」で,もし5合目に来てどうしても登りたくなったときに必要な装備(雨具や防寒具,水筒,非常食等)は念のため持って行くことにしました。

で,当日,富士山に向かって,246をひた走る(原付なので高速は走れない)と,真っ白の富士山が現れます。えっもう雪が積もっている。前日までに把握した状況だと雪はないはずでしたが,どうやら初冠雪だったようです。その姿をみて,5合目であきらめようと腹を決めました。靴は運動靴でしたので,さすがに雪山は無理です。

さらにバイクで5合目に近づくとバイクの調子も悪くなります。あとで分かりましたが,酸欠だったようです。それでも,だましだまし,何とか5合目にたどり着きます。

みると雪があるといっても,数センチつもっているくらいで,道には雪はほとんどなさそうです。いけるところまでいくか。今日は天気はよいし,もし途中で道にもたっぷり雪がついていてこれ以上登れなければひきかえせばよい。はじめからあきらめたら,意気地のなさに後悔するに違いない。ということで,5合目から上を目指して歩き始めます。

で,多少のエイヤもありましたが,たしか2時間もかからずに山頂に到達しました。自分の冒険心に満足しながら,山頂剣が峰の富士山測候所に近づきます。ところが,測候所の上だか何かで外人が上半身裸で日光浴して寝っ転がっています。これにはさすがに驚きました。寒さに対する感覚が違うのか,この衝撃は未だに忘れられません。

そんなわけで,無事,家に戻ってきました。

なお,そんな私の感覚でも「さすがに4月は無理だろう」と思います。大学生の頃に5月にスキーをかついで富士山に登って滑り降りたことがありましたが,その頃は下からみるとほとんど雪がないようにみえますが,それでもかなり雪が残っています。

なにより私は高校では山岳部でしたので,高校生の中では登山経験が豊富でした。少なくとも本当に無謀な試みではなかったはずです。もっとも,翌日あたりに,山岳部の顧問から「勝俣,昨日,富士山にいなかったか」と突然言われて,「いるわけないじゃないですか」とごまかしました。当時,部として無届けの登山や単独登山は禁止ということになってましたので。しかし,なぜ,顧問も富士山にいたのか,偶然とはおそろしいものです。

今回が,どういった事情なのか知りませんが,富士山に無謀な挑戦をしてニュースになるのは外人ばかりだったので,少し「おっ」と思った次第です。でも,やはり4月は無謀だな。

「B型肝炎ウイルスキャリアですが,通院はしていません。でも,健康診断を受けているので(症状は無いので)大丈夫です」という方に言いたいこと。(後編)

4月 8th, 2016
前回の続きです。

健康診断を受けているから・症状が無いから,という方へ

前回書いたように,HBe抗原陰性の非活動性キャリア(すなわち症状が無い方)に,突然肝がんが発生するという事もあります。

確かに,症状が無い方と,慢性肝炎の方と,肝硬変の方を比べたら,肝硬変の方が最も肝がんの発生リスクは高いです。

しかし,実際には,肝硬変症に至る前に肝がんを発生する例は少なからずあり,特にB型肝炎ウイルスの場合には,正常に近い肝臓から肝がんが発生する場合もあり注意が必要とされています(参考文献2)。

実際に,私のお客様でも,肝硬変と診断されたことがない肝がんの患者さんが多くいらっしゃいます。
健康診断では,そのような肝がんが早期に発見されるとは,限らないのではないでしょうか。

また,症状がないから,という言葉には,とても心配にさせられます。
有名な言葉ですが,肝臓は沈黙の臓器と呼ばれ,少々不具合が有っても症状が現れません。
症状があったら…たぶんそれは,慢性肝炎や軽度の肝硬変や,初期の肝がんでは無いような予感がしませんでしょうか。

専門医に通うと何をしてもらえるのか

血液検査(健康診断とは内容が一部異なります)に加え,肝がんの早期発見のため,腹部超音波検査を主体として,腫瘍マーカー測定や,場合によってはCT,MRI検査も行われることになると思われます(参考文献3)。
その結果として治療は不要だと判断されれば,特には薬が出ることも無いかと思います。

慢性肝炎の治療が必要と判断されると,多くは核酸アナログ製剤(特にエンテカビル)が投与されることになるかと思いますが,場合によりペグインターフェロンが用いられたリ,またそれらが併用されることもあります(参考文献2,4)。

なお治療が必要な場合には,治療費の助成についての案内が有ると思いますので,必ず申請をするようにして下さい。

いずれにしても,専門医が行う検査は,目的も,検査内容も,健康診断と違いそうなことをわかって頂けるとよいなと思います。

最後に

あまり怖いことを言うのも嫌ですし,実際多くの方は,何の症状が出ることも無く健康に過ごされています。
しかし,毎回毎回ちょっとうるさく言う事で,一人でも多くの方の肝がんを防げれば,言った甲斐があったなと思うのです。

ですので,私たちは症状が無い方の相談ももちろん受けます。でも,特に私に相談される方は,ちゃんと専門医療機関へ通院するようにして下さい。相談の際も,私は絶対これを言いますので。

もちろん私は,治療中の方からも,いろいろ治療のお話しを聞かせて頂くのが好きなので,お気軽にご相談いただきたいと思います。宜しくお願いします。



参考文献
1)沖田極・幕内雅敏編.2009.「インフォームドコンセントのための図説シリーズ 肝がん」医薬ジャーナル社.
2)熊田博光編.2012.「インフォームドコンセントのための図説シリーズ 肝炎ウイルス―B型・C型」医薬ジャーナル社.
3)日本肝臓学会編.2013.「肝癌診療ガイドライン 2013年版」<http://www.jsh.or.jp/medical/guidelines/jsh_guidlines/examination_jp>(2016/4/5アクセス)
4)日本肝臓学会編.2015.「B型肝炎治療ガイドライン(第2.1版)」
<http://www.jsh.or.jp/medical/guidelines/jsh_guidlines/hepatitis_b>(2016/4/5アクセス)

「B型肝炎ウイルスキャリアですが,通院はしていません。でも,健康診断を受けているので(症状は無いので)大丈夫です」という方に言いたいこと。(前編)

4月 6th, 2016
B型肝炎訴訟については,どの弁護士よりも掘り下げて考えたい柏木です。
表題のセリフは,症状のない方(無症候キャリアの方)と相談をすると,かなり高い確率で言われるものです。

弁護士の多くは,特に何も言わないかもしれませんし,中には症状が無いと報酬も低いので,依頼を断る人もいるなどと聞きますが,私が言いたい事はちょっと違います。
表題のセリフは,間違っていると思います。 
「肝疾患の専門医療機関に通院して,お医者様の指示に従って下さい。 (そしてそれから,給付金のことが気になったら私に聞いてください)」 
これが私が言いたいことなのですが,せっかくなので,もう少し説明をします。 
なお専門医療機関については,こちら等で,各都道府県毎の「肝疾患専門医療機関」をお調べ下さい。
肝炎情報センター
http://www.kanen.ncgm.go.jp/index.html
 
何のために通院するのか 
究極的には,肝がん(肝細胞がん)になるのを防ぐ,又は早期に発見することが目的だと思われます。
というのも,肝がんは大抵その発生原因が明らかであると言われており,その90%はC型肝炎ウイルスかB型肝炎ウイルスの持続感染が原因であると言われています(参考文献1)。

また,B型肝硬変からは年率1.2~8.1%で,慢性肝炎からは0.5~0.8%で,HBe抗原陰性の非活動性キャリアからは0.1~0.4%で肝がんが発生すると言われています(参考文献2)。

これをどうみるかは人それぞれかもしれませんが,間違いないのは,B型肝炎ウイルスキャリアの方は,それだけで肝がんになるリスクが高い集団に属しているという事なのです。 
(後編に続きます)

 
参考文献
1)沖田極・幕内雅敏編.2009.「インフォームドコンセントのための図説シリーズ 肝がん」医薬ジャーナル社.
2)熊田博光編.2012.「インフォームドコンセントのための図説シリーズ 肝炎ウイルス―B型・C型」医薬ジャーナル社.
3)日本肝臓学会編.2013.「肝癌診療ガイドライン 2013年版」<http://www.jsh.or.jp/medical/guidelines/jsh_guidlines/examination_jp>(2016/4/5アクセス)
4)日本肝臓学会編.2015.「B型肝炎治療ガイドライン(第2.1版)」
<http://www.jsh.or.jp/medical/guidelines/jsh_guidlines/hepatitis_b>(2016/4/5アクセス)

タレブ流野球論

3月 27th, 2016
以前から作ってみたかったシミュレーターをエクセルで作ってみました。

3分の1の確率でヒットを打つ好打者の打率は.333です。
でも,安定的に3回に1回ヒットを打つわけではなく,試合ごとに3打数3安打だったり,4打数無安打だったりします。4打数無安打だったりすると,今日は調子が悪かったとかいいますし,2試合続けてそういう状況だと不振の兆候とみられたりします。

でも,完全に偶然なサイコロだって,その程度のむらはあります。1から6の目が均一にでるのではなく,3ばかり続くこともあります。サイコロの調子がよかったり悪かったりするわけではなく,偶然のムラというのはそういうものです。

ということで,サイコロで1か2の目が出たらヒット,4から6の目がでたらアウトとして,大数の法則が働く程の超大量打席だと打率.333に収まる打者を想定します。そして,シーズン500打数程度にしたときに,ほぼ.333におさまるのか,かなりムラがでるのかは,サイコロをふって調べていけばわかります。

でも,サイコロ振ってメモをとるのも面倒なので,こういうことをシュミレートできる(当然,打率は.333以外も設定できる)簡単なプログラムを作ってみました。

シュミレート1
理論打率.300のバッターに500打数で10シーズンとりくんでもらうと
.250~.260 1シーズン
.260~.270 1シーズン
.280~.290 1シーズン
.300~.310 2シーズン
.300~.320 3シーズン
.330~.340  1シーズン
.350~.360  1シーズン
となりました(なお,もう一度プログラムを走らせると結果は変わります)。よい感じにムラができています。
つまり,500打席程度だと,完全に偶然のムラでも上記程度のばらつきが出るということです。
3割5分打ったバッターが翌年2割6分になれば,調子を落としただ,研究されて通用されなくなった,怪我の影響だとか色々と評論家もファンもいいますが,完全に偶然のムラでもこの程度の差はでるということです(ですから,ヤクルトの雄平の一昨年と昨年の成績の差も,ただの偶然の可能性が十分あります)。

仮にシーズンが1万打数あるとすると
シュミレート2
.290~.300 7シーズン
.300~.310 3シーズン
となり,理論上の打率3割周辺にまとまります。大数の法則により偶然のムラが大数の法則にしたがってなくなるということです。1万打席ある状況で打率3割5分から2割6分に落ちたら,偶然の影響ではなくてやはり調子を落としたなりなんなりの理由があるということです。

では昨年の首位打者,ヤクルトの川端が開幕から1ヶ月間,打率1割台に苦しんだとしたら偶然でしょうか,理由がありそうでしょうか?
理論打率.310の打者が80打数打つという想定で100回シュミレートすると
打率1割代になるのは2回だけでした。そうなると偶然というよりは,何か理由があるとみたほうがよいかもしれません。ただ,100回というのは,15シーズン分つまり現役生活分程度の数字ですが,現役生活中に2回くらいは偶然だけが理由でその程度の不振に苦しんでもおかしくないことになります。

では,打率4割の達成は本当に難しいのでしょうか?
通算打率でみるとトップでも.320です。でも通算打率は晩年の能力低下で多少下がりますので,ここで思い切って理論打率.330の打者に登場してもらいます。
毎シーズン500打数として1000シーズンがんばってもらいましたが,最高でも3割9分代が1回あるだけで,4割には一度も届きませんでした。やはり4割はかなり難しいようです。

というわけで,野球は数字が色々でて,それに基づいて色々と理屈を述べるのが楽しいですが,そのような理屈はデタラメのことも多くありそうです。打率が低いバッターを我慢して使っていると「監督に気に入られているから」なんて考えたくもなります。でも「打撃練習でふれているから」なんていう現場感覚に基づいた起用というのも合理性があるのかもしれません。

今年のスワローズは?

3月 22nd, 2016
プロ野球の開幕も近づいていきました。

昨年は,思わぬリーグ優勝でよい思いをできましたが,今年はどうでしょうか?
戦力を分析したところで,どうなるか分かるわけではありませんので,ジンクスに基づく分析をします。

昨年は色々と92年の優勝時との類似性を指摘されました。
そして92年も無敵を誇った西武に日本シリーズで敗れましたが,翌93年にその西武を破りました。
そうなると,今年,日本シリーズでソフトバンクに勝つには,93年と似たシーズンになってくれるのがよいということになります。

93年のスワローズといえば,①新人の伊藤智仁の大活躍,②ハウエルの大活躍(サヨナラ本塁打5本のシーズンダントツ記録達成),③高津臣吾の登場,④川崎憲次郎の復活と日本シリーズでの大活躍です。

というところで考えると,
①は原樹理がオープン戦でとてもよいので,いけそうです。
②は,バレンティンが元気でさえあれば,93年のハウエル並の何かをしてくれるかもしれません。
③日本人リリーフエースの確立・・・。秋吉も頑張ってますが,そこまで期待するのは,難しい気もします。誰かでてくるかなあ。
④これが一番の鍵です。由規か,村中か,が復活すれば。やはりソフトバンクに勝つには球威がある先発投手が必要です。

もっとも,現時点では,怪我人続出で,例年の駄目になるパターンが漂ってきていますが,何とか応援していきたいと思います。

新横浜事務所OPEN

2月 23rd, 2016
マイタウン法律事務所の6つ目の事務所として,新横浜事務所を開設しました。
新横浜には既にいくつもの法律事務所がありますが,当事務所のように個人法務(離婚・相続・交通事故等の個人に関する法律問題)を中心にすえた法律事務所はあまりないことから,開設にいたりました。

場所はこちら

実は一昨年あたりから新横浜事務所開設にむけて動いていたのですが,紆余曲折あり,ようやくの開設でほっとひといきです。

新横浜事務所には,交通事故主任の小林芳郎弁護士が常駐しますので,よろしくお願いします。

裁判の一般化

2月 9th, 2016
認知症の介護者の責任について最高裁判所が判断しそうです。

責任を限定する常識的な判断が望まれます。

以前にも子供のボール遊びを原因とする事故についての親の責任について,下級審による無限定な責任を認める判断が相次いでいた中,最高裁判所は限定する判断をしています。

なぜ,地方裁判所や高等裁判所は,このような「いったいどうしろというんだ」という事案について親や介護者の責任を平気で認めてしまうのでしょうか?

裁判をしていて不思議に思うのは,裁判官の中には「この判断が一般化したら,社会はどのようなことになるのか」という意識がほとんどないということです。
裁判をするというのは,あくまで個別の事案についての妥当な判断をすることであるという意識が強く,裁判の判断内容が法律のように一般化して他の事案にも影響するという意識は希薄です。

実際のところ,最高裁判所の判断以外の,下級審の判断にはいわゆる「判例」とでもいうような先例的価値を認めないのが日本の平均的な裁判官だと思います。ですので,自分の判決も先例として他の事案に一般化されるようなものではない,と考えるのかも知れません。

また,いわゆる法律の勉強においても,司法研修所の勉強においても,自分の判断が一般化したらどのようなことになるか考えろ,というような指導があった記憶はありません。

ということで,子供が遊んでいることによって生じた事故について親の責任を大幅に認めたり,認知症老人が起こした事故について介護者の責任を広く認めたりすると,社会の人々がどれだけ困ることになるのか,なんてことは裁判官はサラサラ考えていないというのが正解なんだろうと思います。この事案では,この人に責任を認めるのが妥当だ。他の事案では,また妥当な結論は異なってもおかしくない,というふうに考えているということです。

ところが最高裁になると,職業裁判官ばかりではなく,行政の出身者等もいて,特定の法規範(法律なり判例なり)を定めた場合の社会的な影響について考える訓練を受けている人もいるし,また最高裁の判断ばかりは下級審の裁判官も極めて尊重しますので,その判断が一般化した場合の社会的影響について考えた上での判断がなされるのだろうと思います。

とはいえ,下級審の裁判所も,もう少しその判断が一般化したらどうなるか,という視点をもってもよいのではないかと思います。

夫婦別姓問題と最高裁

12月 10th, 2015
12月16日に最高裁判所が夫婦別姓を定めた民法の規定の合憲性について判断するようです。

夫婦別姓についての賛否はさておき,この問題について最高裁が違憲と判断することについては,かなり違和感があります。

日本は民主主義国家です。ですから,国民代表が構成する国会だけが法律を制定するのが大原則です。

ただ,民主主義がうまく機能しない場合,つまり多数決によって少数者の人権が侵害されているような場合や,投票価値の平等のように国会そのもの正当性が問われるような例外的な場合に,裁判所が違憲と判断して少数者を救って民主主義を補うということです。
裁判官は選挙を経ていないワケですから,民主主義が機能しない例外的な場合にだけ権限を行使するようにしないと,そもそも民主主義国家とはいえなくなってしまいます。

夫婦別姓の問題は,少数者の人権の問題ではありません。夫婦同姓の強制によって,女性側が事実上不利益を被っているという社会的現実があるとしても,女性は社会における多数派です。納得いかなければ民主主義の課程の中で是正すべき問題です。代表制民主主義とか,政党政治とかそういった枠組みの中で,すすみそうで進まない問題について,裁判所を利用して決めてしまえ,なんてことになったら民主主義国家の立法体制とはいえなくなります。

仮に,今回最高裁判所が違憲判決をだそうものなら,国会で多数をとれない勢力が,自分たちの政策に反する法律の当否をどんどん裁判所に持ち込み,最高裁の裁判官のうち8人を納得させることができれば政策を実現できるなんてことにもなりかねません。

今回の件にについては,最高裁判所には謙抑的な判断がのぞまれます。

人工知能とモラル

11月 26th, 2015
自動運転をはじめ人工知能がいよいよ人間社会に出てくる可能性があります。
その場合,人工知能にどのような道徳をプログラムするのか,最近読んだ本にそのような問題意識が書いてありました。

この問題は,私が大学の卒業論文を書いた際の大きな問題意識のひとつなので感慨深いです。
私が卒業論文のテーマとして考えたのは,道徳を整合的に組み立てるための基本条件のようなものです。

人はものごとをよいとか悪いとか,すべきとかすべきでないとか,色々道徳的な話をします。
その場合,よい理由を述べたり,「それは矛盾している」と言ってみたりしますので,道徳に論理が介在していることは間違いないのですが,実際に論理的に整理していくとかなり支離滅裂です。
これを支離滅裂でなく,整合的,一義的に善悪等を把握するためには,どうすればよいのか,というのが問題意識です。

これは,古くからある問題なのですが,一般に哲学史の中では決疑論と呼ばれていて軽視されている分野です。
それでも,自立的に動くアンドロイドのようなものに,行動の判断基準をプログラムするとなると一義的に明瞭な善悪の判断基準が必要となるのではないか,なんて考えて追究してみようと思ったわけでした。

もちろん追究の結果,善悪を一義的に把握的出るようになったわけではなく,そのようなことを学問として研究するための形而上学的な基礎を考えるというものです。

形而上学というと,いかにもグロテスクな感じがするもので,多くの哲学者は形而上学がいかに無意味かということを論じながら過去の哲学者を批判しています。
でも,その結果として,自分自身の形而上学を組み立てていくわけです。

道徳を整合的に理解する上でも,おそらくは形而上学的な問題にケリをつける必要があります。
たとえば責任という概念は,ある人の行動がある結果を招いたという因果の法則と,その人は自分の意思で判断したという自由意思の双方を内包しています。ところが,双方は矛盾した概念です(いわゆる決定論と自由意思の問題)。そこを整合的にどう処理するかを決めない限りは,整合的な判断は不可能です。法律学では,責任についてなんたら責任説といった色々な学説がありますが,結局のところ形而上学レベルの矛盾がそのままバラバラな意見に結びついているわけです。おそらく責任というのは形而上学レベルで矛盾した概念であって,そういう矛盾した概念を利用して道徳を考える限りは整合的に道徳を考えることは不可能となります。
形而上学レベルでケリをつけていくといのは,そういう部分を処理していくということです。

結論としては,
①道徳の問題を自分の現在の意識決定の問題に絞り込む,つまり過去の出来事や他人の行為を道徳判断の対象からはずすことで,決定論と自由意思のような矛盾は回避できる。
②一義的に道徳を決めるという条件をみたす道徳理論は,功利主義といわれる道徳理論,つまり幸福計算や快楽計算によって善悪を把握する理論に絞り込まれる。一般的に指摘される功利主義の欠陥の多くは,立場の交換可能性を係数として付け加えて計算することで回避できる。
③道徳判断の枠組みと自然科学的に想定される世界との関係は,自然科学的な世界に一次元追加する枠組みを考えることになる。空間の3次元に時間を加えて4次元が自然科学的な世界とした場合,道徳的な望ましさの値として5次元目を考えることになる。現在aの選択をした場合の将来の世界Aと,bの選択をした場合の世界Bは,同じ時間にあらわれる異なった世界ということになるので,もう一次元を考えることになる。その複数の選択肢について,どのように道徳的な値を与えていくのか(功利主義であればそれぞれの世界の快楽計算をすることになる)が,道徳を整合的に理解するということになる。

というようなことだったと思います。
中身のないカラですね。このカラのことを考えてみたということです。

ふと昔のことを思い出して書いてみましたが,なんだか文章がわかりにくいですね。
哲学者になるのをやめて,とりあえず何をしようかなあと色々な業種に就職活動をしていたときに,NHKのセミナー(実際は就職試験)で文章を書く試験がありました。
返ってきた結果は不合格で,コメントは「極めて論理的で難解な文章です。一般の方むけのマスコミの文章として不適切です」なんて書かれたことも思い出しました。

自動運転その2

11月 6th, 2015
やはり自動運転の実現に向けて法整備等、色々と動き出してきました。

経済的な観点からすると、日本が先陣を切ったことはとても大きいと思います。
先陣を切ることで、思わぬ事故等のリスクもまっさきに受けることになるとは思います。ただ、自動運転がおそかれ早かれ実現するのであれば先陣をきったほうがメリットが大きいこと、日本の経済的繁栄が自動車産業に依存していてその面からも自動運転先進国になるメリットは大きいこと、からすると積極的に推進すべきなのでしょう。

法整備もすすめる等と記事もでています。賠償責任の問題も記事にはあったりしますが、自賠法がある現状からすると自動運転が失敗して事故が起きた場合も所有者が責任を持つということでおおむね済むと思います。だからしっかり任意保険に入りましょうということです。でも、細かな問題があるのかもしれません。

法整備で、しっかりやってほしいのは、法定速度の問題です。大半の運転者が支持していない現状の法定速度規制はこれを機会に見直すべきでしょう。万が一にも、たくさんの自動運転車が高速道路を時速100㎞(ちょっと風がふけば時速60㎞)で走り出した日には、渋滞がすごいことになりそうです。高速道路の法定速度は時速120㎞あたりにして、それを超えた場合は厳密に取り締まるという本来あるべき姿に変える必要があると思います。

この問題は、法定速度の問題に限らない将来的に大きな問題をはらんでいます。
自動運転車というのは、人間界で自律的に生活をはじめる人工知能の先陣をきる存在といえます。
人間が従うのと同じルールに人工知能も従いながら、人間と人工知能が社会で共存するということは、将来的に想定される状況ですが、まずは人間が運転する車と自動運転車という形でそれがはじまるのです。

人工知能が人間社会でルールにしたがって生活する場合、ルールは明確で一義的である必要があります。周りの人の顔色をみたり、誰かさんにあとでおこられそうかどうかとかに応じて臨機応変にというわけには、なかなかいかないと思います。やってよいことと、やってはいけないことについては、できるだけ明確にしておくということが肝心なのです。

となると、高速道路では法定速度+20㎞まではうすいグレーで、+40㎞までは濃いグレーで、法定速度内は法律上はホワイトだけど安全かどうかという基準でいうとかえって危険かも。だから覆面パトカーがいるとか、まわりの車の流れをみながら、あうんで速度を決めていくなんていう状況は好ましくないわけです。

というわけで、自動運転に先陣をきるだけでなく、明確なルールという点では後進国といえる状況は早急になおして、きたるべき人工知能との共存社会にむけた社会整備についても先陣をきってもらいたいものです。