Archive for the ‘弁護士勝俣豪の雑感’ Category
木曜日, 2月 28th, 2019
本を読むことのメリットのひとつは,今まで自分が持っていなかった言葉が手に入り,思考がより進むことです。
昨年手に入った言葉のひとつは,ノセボです。
ノセボというのはプラセボの逆です。
プラセボは,本来効き目のない薬を効き目があると思って飲むと,本当に効いてしまうというものです。
ノセボは,本来体に悪いわけではないのに,毒かなんかだと思うと,本当に体調が悪くなってしまうというものです。
さっき食べたものが「実は2週間前の残り物だよ」と言われたら急に吐き気がしてきて,本当に吐いてしまうというのがノセボです。
人間の多くの体調不良,心の傷とかそいういったものの多くはノセボなのではないかという気がします。
「また体調が悪くなるのではないか」と心配したり,「体調が悪くなってもおかしくないようなひどいことをされた」と思うと,ノセボによって本当に体調が悪くなってしまう。
人が幸福かどうかのかなりの部分は遺伝によって決まる,つまり,幸福を感じやすい人は過酷な環境でも幸福だし,不幸を感じやすい人は恵まれた環境でも不幸せになるという身も蓋もない調査結果もあります。
おそらくはプラセボやノセボは,素質的な幸福感や不幸感の基礎の一つなのだろうと思います。
現在の司法の運用がそうなっている以上,当事務所もそれに即した仕事をしていますが,個人的には心の傷のような得体の知れないものに国家権力が振り回される,つまり心の傷の程度というものを裁判所が認定してそれに賠償を命じるというのは,極めてオカルト的なので,いかがなものかと思っています。
ノセボの研究が進み,この人が苦しんでいるのは遺伝的なものであって,ノセボ現象によって体調が悪くなっているのですということがわかるようになると,そのあたりが変わってくるかもしれません。
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木曜日, 12月 6th, 2018
老荘思想に無為の為という言葉があります。
高校の頃に触れて,ただ何もしないのではなくて,なさないことをなすのだと言われても
いまいちピンと来ませんでした。
私は怠け気質なので,そんなこと言われなくても何もしませんよ という気分で,それ以上は屁理屈感を感じていました。
とはいえ,逆説的,天の邪鬼的な言葉は好きなので,常にひっかかっている言葉でもありました。
なんとなく,感覚的に理解できたのは,つぎのような比喩を思いついたときです。
かゆいのを我慢する。
かゆくなれば,思わずかきたくなる。それをしない。これが無為の為なのではないか。
かゆいのにかかないというのは,なかなかエネルギーのいる無為です。
そして,かゆいからといってかきまくっていると,それなりにダメージが出ますので,無為を為すことが大事です。
でも,かゆさの問題以外には,いまいち発展性がありませんでした。
ただ最近のように仕事のメインが組織の運営になってくると,仕事上の「かゆみ」のようなものが色々と出てきます。色々と口を出したくなったり,色々と企画したくなったりします。
そして,30人程度の組織の運営をしていると,たいていは自ら実務に直接携わる機会は減り組織をよりよくするための仕事をしたくなります。
会議をしたり,朝礼をしたり,組織の理念を作り上げて皆に浸透させようとしたり,
頑張っている人に報いるために複雑な評価システムを作り上げたり
業績がいまいちな人に発破をかけたり
経営計画を立てたりと,経営者として殊勝な行いをしたくなります。
これが「かゆみ」なのではないかと思うのです。
もちろん,これらが無駄なのかどうかはわかりません。
でも老荘思想的な発想からすれば,
そういうことはしないほうがうまくいく
ということであり,これが無為の為なのではないかと思います。
老荘的なリーダー論では
一番よいのは,そういう人がいることを知られているだけ
二番目は,親しまれて褒められる
つぎは,恐れられる
一番ダメなのは,あなどられる
というのがあり,これは好きな言葉の一つです。
それを支えるのが,かゆみに耐える,かいた瞬間の快楽の誘惑に耐える
「親しまれたい」「褒められたい」という快楽の誘惑に耐える
ということなのかな,と思います。
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月曜日, 11月 26th, 2018
先日,日産のゴーンさんが逮捕というショッキングな出来事がありました。
何か処罰に値するようなことをしていたのかどうか,ということは分かりません。
きっと,後々になっても分からないのだろうと思います。
過去にあった時代の寵児の逮捕→裁判といった事件の多くについて
たいしたことしていないのに,出る杭を打っただけだったなのではないか,
という指摘があり,それなりに説得力があるように思えます。
もちろん,その指摘が正しいかという判断力も判断材料も持ち合わせていません。
結局,ゴーンさんの事件もそのようなことになるのではないか,と思います。
人は,順風満帆な人が失敗するのを見聞きすると,脳内の快楽物質があふれかえるという悲しい性があります。そして,嬉々として「前々からそうなると思っていた」「金の亡者がどうの」とか分析が頭の中をかけめぐり,その思いつきを誰かに話したくて仕方がなくなります。
興味があるのは,人がお金をどこまで動機にするのか,というあたりです。
これは,自分自身のことについても,または事務所のマネジメント上のことについても,
よく考えているところです。
書籍から得た知識や個人的な実感としては,お金が何らかの動機付けにからむことは間違いなさそうだが,その動機付けを有効に利用する方法については,分かっていないということだろうと思います。人は単純明快な説明が大好きで,お金という説明はその要望にかなうので,そういう説明に飛びつきたがります。でも,単純なお金による因果関係はないことが多いのではないかと思います。
ゴーンさんの件でいえば,
世界最大級の自動車会社を作り上げた男+100億稼いだ人生
投資でたまたま200億円を収入を手に入れた人生
があったとしたら,金銭的には劣っても前者に魅力を感じるのではないかと思います。
もちろん,全く異文化の出身ですので,後者なのかもしれませんが。
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火曜日, 10月 9th, 2018
今年のスワローズは,よく頑張り最終的に2位になりました。
昨年の崩壊ぶりをみると,これ以上ない結果だと思います。
広島には,壊滅的に弱いので(広島との勝敗が逆転していれば,ヤクルトが広島の立場にいたはず)CSは期待しにくいですが,今年は十二分頑張ったと思います。
さて,スワローズはここのところ,監督が代わると強くなるということを繰り返しています。
若松(4位)→古田(3位)
古田(6位)→高田(5位)
あたりはたいしたことないのですが,
高田途中解任(13勝32敗)→小川代行(59勝36敗)
小川(6位)→真中(1位)
真中(6位)→小川(2位)
と,ここ3回程の交代は劇的な効果を生んでいます。
そうすると,誰であれ監督が交代することに意味があるのではないか等と,監督交代がチームを強くする理由を色々と考えて作り出したくなります。
さらに,企業経営においても,一定の交代は効果的なのではないか云々と応用したくなります。
でも,最近はこのようなことに騙されないように心がけています。
他チームをみれば,必ずしも監督交代が奏功するとは限らないことはわかります。仮にスワローズで監督交代によって強くなったのが偶然でないとしても,スワローズで監督交代に効果がみられた特殊要因を特定できなければ,あまり意味もありません。
人間が色々と主張する一家言の類,経営論であったり,人間論であったりは,このスワローズの監督交代のような状況から思いついたものが大半だろうと思います。
どうしても印象的な出来事から法則をつかみたくなり,その法則を応用したくなってしまう。
しかも野球での他チームの成績のように冷静に考えるべき材料がないので,余計に自分の編み出した理屈に自信を深めていってしまうのだろうと思います。
理屈っぽい私の頭の中は,人一倍,このような理屈の作り出しに精を出しているような気がします。
野球のことで屁理屈を編み出すのは遊びとして楽しいのですが,事務所運営上は自分の屁理屈に騙されないよう気を付けていきます。
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土曜日, 9月 29th, 2018
サマータイムの導入が見送られたとのことです。
サマータイムの意図は色々あると思いますが,朝が苦手な人には,健康カルトの一分派のニュアンスが感じられます。
煙を敵視するように,そのうち早起き条例ができたりして,という感じです。
朝が苦手でなくても,様々な事情でぎりぎりの早起きを強いられている人は,よほど完璧に,すべての時間がシフトしてくれないと
過酷なことになりそうです。
いつ起きていつ寝るのかというのは,社会全体のみならず個人の問題としても,難しいところです。
私自身は,未だに,地球の自転との折り合いをつけることがうまいことできずにいます。
ここのところの読書対象は,主に翻訳物で様々な知見を解説したものが多いです。
その中で,ある種トレンドを感じるのは,狩猟時代に戻れということです。
農業を始めたあたりから人間は色々苦労し出した。
現代も狩猟採集をしている人は,現代人が苦しむ病気と無縁である。
だから
といった論調です。
それなりに説得力がありますが,多くの人は,苦手な虫に出会ったとたんに,現代生活への執着を確認するものと思います。
狩猟生活の話は食事や運動のことが多いのですが,睡眠については,昼寝をチョコチョコしている様なことを読んだ気がします。
自分の休日の生活を考えると,おそらくは複数回の昼寝というのは,快適かもと思っています。
もっとも,平日でも気が向いたときに昼寝するようでは,現代社会の諸々の営みから排除されてしまいます。
「使える」人間になるというのは,狩猟生活的精神性とお別れすることと表裏なのかもしれません。
おそらくは現代社会が要請する規則正しい協同作業に自分をあわせること,
時間にあわせて生活すること
そういったあたりが人の体調をさいなむのかも知れません。
というところで導入するなら,サマータイムではなくて,
一切時間に縛られなくてよいノータイムデー?のような日のほうが面白いかも知れません。
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土曜日, 2月 24th, 2018
弁護士の仕事で,重要なことの一つは交渉です。
いつもやさしく仕事をしていて,円満解決といけばよいのですが,なかなかそうも行かないことがあります。
交渉相手なり,交渉相手に関係する第三ターゲットなりが,精神的に負担に感じること,嫌だと思うこと,
そういうあたりを意識させていくことで,事態を動かすことも必要な場合が多くなります。
事態が膠着状況になって弁護士から相談をうけた場合等に,「では,○○と言ってもう少しアツを掛けたらどうか」「こんな行動をとるとアツがかかるのではないか」等とアドバイスすることもあります。
私は「アツをかける」という言葉をごく当然のように使っていて,聞いた方も分かったような雰囲気だったのですが,伝わっていたのでしょうか?
聞いた方は,分かってなくても「ハイハイ」というのは世の常です。
圧力を掛ける,プレッシャーを掛けるということなのですが,なぜ,私は「アツかける」というようになったのでしょうか?
思い起こすと,ラジウスが起源のようです。
ラジウスというのは,その昔,高校の山岳部で使っていたコンロです。
灯油が燃料です。ガスが燃料であれば,十分な圧力が加わった気体が出てきますので,すぐ火がつきます。
しかし,灯油の場合,気化させるために,まず固形アルコールで十分上部を暖める必要があります。
十分暖まっていないと,液体の灯油が噴き出して引火し,(テントの中で)火柱があがるという難物です。
ある意味,ラジウスに火をつけることができれば一人前的なところがありました。
もっとも私は,「こんな不合理な道具はさっさと廃止してガスコンロを導入するべきだ」とか言いながら,
ラジウスの扱い方を覚えたのはだいぶ後だった気がします。
さて,ラジウス上部に灯油があがって火がつくには,ラジウス上部が暖まって気化するだけではだめで,灯油タンク内に十分な圧力が必要です。
その圧力を加えるために,棒のようなものを引っ張り出してポンプする(ポンピングする)という作業も必要になります。
圧力が弱まってくると,なんだか火が弱くなるので,「アツを加える」必要があったのです。
ラジウスを使わなくなってから弁護士になるまで10年の歳月がありますが,突如として,「アツを加える」が復活し,皆様の事件の解決に役立っていると思うと感慨深いものがあります。
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火曜日, 10月 17th, 2017
私の諸々の社会的属性、職業、学歴、業界内での位置付けあたりからすると、特異かと思いますが、私は競争や勝負事があまり好きでなく、モチベーションの原動力としても微弱です。
おそらくのところ、人格形成期初中盤において勝負に勝てないことが続いて競争回避的になった上に、人格形成期終盤に試験能力はあることに気づいた後は、他人と競争するような環境にいなかったことに由来するのではないかと講釈付けしています。
勝負に伴う感情がないわけではなく、勝ったことによる喜びよりも、負けたことの苦痛や負けさせたことに対する苦痛が予感されて、面倒になってしまうというところかと思います。
例えば、スキーは好きなのは、スポーツの中では珍しく、人様と勝負もせず、時間等の数値とも比較されずに、行うことができるからかもしれません。ここ何年か水泳も続けていますが、時間を図るという行為とは無縁です。
弁護士の仕事を回避して経営仕事に専念するようになったのも、おそらくは同根かと思います。なお、当事務所の他の弁護士は闘争心・競争心にあふれていますので、ご安心ください。
では、事務所運営において、競争心はどうなんでしょうか?
ありがちな経営理論としては、「一番か無か」的な理論です。一番のみが大きな利益を手にすることができる、一番でなければ経済変動で潰れるといったあたりです。よく、日本で一番の山が富士山であることは誰でも知っているが、二番目に高い山は多くの人が知らない、なんて例が出ます。こうなると競争心は、とても大切ということになります。
でも、一番というのはそいつがいなければ、二番のやつが一番になるだけであって、そいつがいようがいまいが根本的にはどうでも良い話です。富士山がなければ、北岳が一番の山になるだけのことです。
でも、富士山の例で言えば、北岳が日本一であれば、富士山のようになれたかというと、きっとなれないと思います。せいぜい、信濃川(日本で一番長い川)の仲間にしかなれないでしょう。
競争心が強い人にはピンとこないかもしれませんが、富士山は一番高いことだけがすごいわけではないです。単に一番高ければ富士山になれるわけでありません。台湾が日本領だった頃は、富士山は日本一高い山ではありませんでしたが、それで富士山の価値が落ちるわけではありません。
(なお、このように書くと富士山大好きで、北岳くだらないと思っているかもしれませんが、北岳は私の登山時代のクライマックスとして、バットレスに登りましたので思い入れの強い山です)
ということで、一番になるとか、数値との勝負で大きくするというのはイマイチ魅力が乏しいと思えます。どちかというと、びっくりさせる、度肝を抜く、感動の涙を流させる、誰も考えていないことを引き起こすといった方向性の方が、成功に対して痛快さを感じます。
当事務所の運営としては、できるだけ競争を回避して生き残りつつ、いつかは当事務所がなければ生じ得なかったようなこと(もちろん良いことで)を起こした(起こし続ける)事務所と言われることを目指していきたいと思います。
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木曜日, 10月 12th, 2017
アディーレ法律事務所が業務停止になったようです。
以前からデタラメだなと思っていましたが,現実になりそうです。
今回の件で,一番迷惑を被るのは,同法律事務所に依頼した方々です。
いきなり依頼していた案件を放り出されるわけですから。
懲戒処分になるような事務所に依頼したから悪いのでしょうか?
そんなこと言われても困るでしょう。
そもそもこんなことになってしまうのは,業務停止の懲戒処分ですべての事件をやめなければならないということにしているからです。
誰がしているかって?弁護士会です。
その事務所に依頼している依頼者のことなんて,ほとんど考えていないことなんて明らかです。
貸金業者なりなんなりが,監督官庁から業務停止になることはありますが,たとえば新規貸付業務の停止であって,すべての顧客との取引の解消なんて無茶苦茶なことは要求しません。
条文上,貸金業法は「その業務の全部若しくは一部の停止を命ずることができる」(24条の6の4)に対し,弁護士法は単に「2年以内の業務の停止」(57条1項2号)とあります。
弁護士法上,全部の業務の停止とは書いていないので,一部の業務の停止処分もできると解することもできるでしょうし,それが難しいのであれば弁護士法の改正を働きかけることは容易で,その改正に反対する外部者がいるとは思えません。
つまるところ,弁護士業界の監督機関は,国民が弁護士を利用しやすいように監督するのが目的であるにもかかわらず,
弁護士利用者に過大な負担がかかる懲戒処分制度を改善する気がさらさらないということです。
もっと債務整理が多かった時代は,非弁提携といって弁護士以外の業者から大量の依頼者の周旋を受けていた弁護士の業務停止がちょこちょこあって,同じような問題がでていました。
これも大規模ではあったのですが,アディーレ法律事務所の業務停止となると,遥かに大規模で,業務も債務整理に限らないので,順調な引き継ぎがなされるか懸念されます。
今回のことで,アディーレ辞任の被害にあった方は,その矛先をこのデタラメな制度に向けて欲しいところです。
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火曜日, 10月 10th, 2017
すべてのことはソクラテス・プラトンで語られている,という哲学文献学者的な発想があります。
その後の哲学者が色々言っても,本質的なところは既にソクラテス・プラトンで指摘されている問題だということです。
さて,脳の仕組みだったり,統計だったり,と色々勉強してくと,結局のところほとんど何も分からないのではないかという気持ちが強くなります。本来わかり得ないはずのことを,わかるかのように誤解する強いバイアスを人間の脳は持っていて,何かが分かる気になっているだけということです。
先々のこと,経済のことでも,政治のことでも,国際情勢のことでも,人間は色々と語りたがります。このような将来予測の能力を人間が有していないことは明らかです。それでも,夢中になってあれこれと思いをめぐらし,本気になって怒ったり,不安になったりします。
もちろん,それが人生の醍醐味というところでもあるので,黙る必要はないでしょう。
でも,責任を持たなければならない仕事となると話は少し変わってきて,もう少し知的に誠実になる必要もでてきます。
わかり得ないことはわかり得ない,無駄なことは極力しないということが肝心になってきます。
そんなことを考えていると「無知の知」というある種使い古された言葉も新鮮味が出てきます。
自分の馬鹿さ下限を自覚してもっと勉強せえ,ということではなく,わかり得ないことはわかり得ない(ヴィトゲンシュタインのようになってきますが)ということを常に自覚することが大事だと思います。脳はわかり得ないことを,わかるかのように,色々ともっともらしい理屈をつけて意識に送り込み続けるからです。
かといって,人間には何もかもわからないかということ,そうでもありません。高いところから飛び降りれば,大変なことになることは絶対確実ではないにしろ,ほぼ確実です。
つまり,事務所の運営という私の仕事で大切なのは,ほぼ確実といえるわずかなことを出来る限り見つけていくこと,それ以外のことは分からないという自覚を常にして無駄なことをしないことだろうかという気がしてきています。
今のところ,ほぼ確実かなと思っているのは
赤字になることは継続できない。
人は増やさないとと増えない
宝くじは買わないと当たらない(新しい事業はやらないと新しい事業ははじまらない)
時間は限られていて,できることには限りがある
というあたりです。他にも何かないか考えるようにしています。
それ以外の多くのことは,本や人が語ったり,自分の頭の中も色々理屈がめぐりますが,考えるだけ無駄なことが大半なのかもしれません。
考えるのが無駄ということをふまえれば,占いやジンクスも,むしろ,神秘性があったり,結論がでるのが早い分,有効な場合もありそうです。
以前にも書きましたが当事務所は会議はほとんどしません。
それは,上記の理由もあります。
考えても分からないのであれば時間を浪費せず,決めなければならないことは責任者がエイやと決めていけばよいということです。
そんなふうに思っていると,今度は「無為自然」なる言葉もでてきて,昔の人はえらいものです。
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月曜日, 6月 19th, 2017
車の自動運転について,話題になることが多くなっています。
私も,かなり便利な運転アシストに助けられています。
とはいえ,さらなる発展には色々とデータ収集も必要なようです。
ところで,自動運転にあたっては歩行者等の動きを認識することが必須で,そのセンサーを安くするにはできるだけ量産することが望まれましょう。
であれば,まずは信号機につけてもらいたいものです。
信号機も,少し前までは,押しボタン式にしたり,感応式にしたりと,なんとか無駄な赤信号を防ぐ努力が行われていたようですが,ここ数十年は完全に改善努力をサボっているようです。
強いていえばLED化程度の非本質的な改良程度でしょうか?
未だに,誰も渡らないのに歩行者用信号のために車が赤になったり,全く交差道路に車が来ないのに赤信号を待っていたりということがあります。
このような問題は,自動運転に搭載予定のセンサーを信号機につければ,簡単に解決する問題のはずです。
信号機に必要なレベルの認識すらできないのであれば,車はうごかせません。信号機であれば認識漏れがあっても,赤になる時間が長くなるだけです。その場合には,すぐに苦情がくるでしょうから(その番号もしっかり広報しておけば),センサーの問題の検証にはうってつけでしょう。 ,
政府主導で自動運転を推進するのであれば,政府が関与しやすい信号機についても旗振りをしてもらいたいものです。
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