Archive for the ‘弁護士勝俣豪の雑感’ Category

自己責任で遊ばせてくれ

木曜日, 2月 16th, 2012
昨日だったか,NHKの朝のニュースで,スキー場のコース外を滑る人がいて,
迷惑で怪しからんという話が出ていました。

「勝手にさせてやれ」と思います。
スキーは本来,ゲレンデでするものではなく,自然の山の中で命の危険を
伴いながらするものです。

そういうことを若者がしたがるのは,人間としてごく自然な行為だし,
望ましい行為だろうと思います。

助けに行かなきゃならないので迷惑だ,とか言いますが,
勝手にしていることに本来助けに行く義務はないはずなのです。
情として助けに行ったとしても,しっかり費用を請求すればよい話です。
山岳救助と同じです。

変なところをすべると,雪崩がおきるということですが,
それは別問題です
。そういうところは別の刺激(鹿や風や気候の変化)でも雪崩れかねないでしょうし,
そういうところだけ,進入禁止を明確にすればよい話です。

ところが・・・・
実際に勝手にコース外を滑って事故が起こると訴える奴がいるんです。
訴えられるだけでスキー場としては
かなり迷惑しますから,とりあえず無難に・・ということになります。

私も若い頃は,山でスキーをしたり,バイクで未舗装路を走ったり
色々と危険を楽しみました。

でも,バイクで林道を進むと,ゲートが閉まっていることが多い。
誰も使わない林道,せめてバイクだ走ってその効用を発揮させてやろうと
思っているのに,無用の長物を助長しています。
きっと,勝手に進入して事故でも起こされたら・・・という配慮でもあるに違いない
と思いました。

近所の空き地や林のように自分が子供の頃遊べたような場所も,
最近はほとんどフェンスが立っています。

諸悪の根源は・・・そう,弁護士です。
あいつらが訴えるから,世の中がおかしくなるんだ
と思っていました。
で,弁護士になろうと思ったときも,そういう奴らから訴えられた場合に
なんとかしっかり訴えを退けられれば,なんて 考えていました。

で,現実に弁護士になると・
そう,損害賠償を請求する根拠となる法律が曖昧。
つまり過失があれば,損害賠償できるということで
過失の内容は個別の場合に一切明確にされていない。
最終的に裁判官が,「・・・・すべき注意義務があった」と
事後的に取り決めるという仕組みなのです。

そうすると,現行の法律を前提にする限り
訴えても認められる可能性が十分ある。
そうすると,野山を閉鎖したくなるのも十分理由があるし,
被害が出た場合に,訴えることにも理由がある。

そう,法律が悪いのです。
これは,立法的に解決するしかありません。
近所の空き地であれ,雪山であれ,林道であれ
好き勝手に遊びたい人のために,自然を解放した場合に
所有者や管理者の責任を免責する法律を作る
のがきっと早道なのだろうと思います。

まあ,いつも人のせいにしているようで恐縮ですが,
若者が自己責任で自然の危険の中で遊べるような世の中になってほしいものです。

やさしい教育

水曜日, 1月 25th, 2012
テレビや新聞等で、子供のしつけに体罰はいかん、とか
自称専門家の話が出ていて、よく言って聞かせて
納得を得ることが大事なんて、最近はよく見聞きします。

本人が愚かなのか、子供が愚かなのか
良く分かりませんが、しつけや道徳が理屈で説明できると
本気で信じているのか、考えているのか、
どうなんでしょう。

優しい自分に酔いしれて、何でもよくなっているだけかも知れません。

道徳なんて、理屈で突き詰めて説明なんてできません。
もちろん、理屈で説明できれば理想ですが、今のところ
そのような哲学者の試みは、完膚なきまでに打ち砕かれています。

そんなことをすると、人が嫌がるからやめましょう。
人が嫌がることをしないことがルールの基本なら、税金なんて取れません。
犯罪者を処罰することだってできません。

人に迷惑を掛けることはやめましょう。
人は生きているだけで、それ相応に他人に迷惑です。
迷惑を掛けたくなければ、消えてしまうのが一番です。

と、理屈をいえばキリがありません。
こういうのを屁理屈といいいますが、
屁理屈を言うな、という時点で
理屈による説明をあきらめているわけです。
屁理屈というのは、「理屈じゃねんだ、つべこべ言うな」
ということです。

しつけで大事なのは、
理屈じゃなく従わなければならないことがある
それに逆らうと痛い目にあう。
それが人間社会だ、ということを分かってもらうことにあります。
悔しくったって砂を噛んで耐えて、自分ができることに精進する以外に
道は開けません。

その社会の仕組みは、人間の遺伝子を操作して
別の生き物にでもしない限り変わりません。

もういい加減、怪しげな笑顔をした方による
癒し教育論はやめにしてもらいたいものです。

パターナリスティック

火曜日, 1月 17th, 2012
弁護士側,さらに裁判所を含めた法曹界のそれ以外の人に対する
発想としてパターナリズムとかパターナリスティックというものがあります。

つまり愚か者を叱りつけて,正しく導くのが我々の仕事であるということです。
ただし,愛情をもって

正直,何を言われているのか分からない人もいるかも知れません。
でも,実際のところ,
刑事弁護なんて,金をもらって叱りつけてやるのが仕事
破産手続きでも,法の趣旨と無関係に,裁判官による説教儀式のようなものが
行われていたり
通常の民事事件でも,依頼者の権利を守るために裁判官を説得するのではなく,
裁判官の意向に沿って,分からず屋の本人を説得して事件を丸めるのが弁護士の仕事と
思っている人が相当程度いて,実際司法研修所の雰囲気はそんな感じです。

私自身は,どうにもこのパターナリスティックというのが苦手で,
特にそれが強烈な刑事弁護はどうにも,ということで,早々に止めてしまったわけです。
(なお,当事務所でも,私以外の多くは,刑事弁護を多数取り扱っています)
愛情をもって叱りつけると,ロクデナシも反省して,マニンゲンになる
この超自然的な現象を信じることができるかどうかでしょう。

債務整理事件等でも,説教と家計管理による依頼者の更生こそが,
仕事の本質と考えているムキもあるようです。
でも,弁護士は家計管理や説教の専門家ではありませんから,
弁護士や司法書士にだけ,債務整理が許されている理由にはなりません。
倒産諸法の趣旨を考えた上で,債権者間の公平をしっかり図りながら,
債務整理をする,この公平感の感覚こそが,弁護士が訓練を受けている部分です。
ですから,弁護士がする債務整理で大事なのは,依頼者の利益と,
債権者間の公平と言ったことのバランスをしっかり取るということだと私は思います。

まあ,ここら辺は,生まれ育ちにからむ部分かも知れません。
私は,優等生だったことがなく,普通又は駄目人間の群れの中で生きてきましたので
説教マシーンの類は聞いているふりしても,実際は全く相手にしていない
という感触があります。

でもこの業界,当たり前ですが,優等生育ちがたくさんいますので,
そうすると,叱りつけて更生させるのが本人のため,という発想になるのか,
もっと深遠なる思想に基づくのか,優等生でなかった私には分かりません。

当事務所には,私のような非優等生育ちや,スーパー優等生育ち等
色々いますので,事案に応じて適切にやっていこうと思います。

 
 

弁護士の就職難

金曜日, 12月 16th, 2011
本日の朝日新聞の記事で,司法修習を終了したけど,就職できない人が400人ほど出たとのことです。
実感として,弁護士仕事がそれほどあるわけではないので,当然のことだろうと思います。
仮に,どんどん就職できたら,それだけ弁護士が増えて,その弁護士を社会が養うことになります。
つまり,今まで弁護士にお金を払わずに済んでいた人が,お金を払うことになる社会になる。・
弁護士が今の暮らしをより快適にするような提案ができるのであれば,それでもよいのですがが,
それができないと,ロクででもない社会になりそうです。

そういう面では,過剰に弁護士が増えないように,社会的に自制が働いたのでしょう。
弁護士業界は,合格者を1500人にしろ,とか色々目標を立てて,計画経済のごとく
考えていますが
きっちり,市場原理が働いて,合格者が1500人とほぼ同じ結果になったわけです。

司法試験の合格段階で絞るか,就職段階で絞るかは
修習生がかわいそうか,国家が無駄な支出をすることになるか,一概には言えないでしょう。

ただ,司法試験の合格水準さえ下げなければ,多額の投資をしても仕事がない業界に
流入してくる人は激減し,合格水準の能力を身につけられる人も激減すると思うので
自然と,適正な人数になるでしょう。
市場にまかせればよいということです。
弁護士業界は,ただ「合格水準を下げるな」と言っていればよいのです。

さて,記事の中に毎月の弁護士会費の負担があるから登録できないということも書いてあります。
私の所属する横浜だと,毎月3万から4万ほど払っています。
弁護士がとても少なくて,独占的利益を享受しているとすると,どこかの過剰利益から払えばよいのですが
上記のように,弁護士の供給市場は飽和していますので,過剰利益はありません。
当然,弁護士費用に価格転嫁されます。

個人の事件をする弁護士(業界用語で一般民事)だと,月に3,4件の事件の依頼を受ける のが
平均的かなと思います。そうすると,各事件ごとに1万ほどの価格転嫁が行われます。
それだけの価格転嫁を正当化するだけの,○○活動とやらなのかは・・・・どうなんでしょう。

さらに,ロースクール制度による価格転換もあります。つまり,設備投資の費用の回収です。
現在,ロースクールに行く学生の大半は,世間的な一流企業に就職できる層です。
その人たちが,3,4年無給でいることの,本人のロスは,1000万円以上でしょう。
本来,ロースクール制度が想定していた,多様な社会経験を有する人だと,もう少しよい
給料を捨てて3,4年は無給ですごすわけですから2000万円程度のロスになると思います。
ロースクールの学費も数百万はかかるのでしょう。

仮に2000万のロスを10年間で取り返そうと思うと,年間200万,月間16万となり,
月に3,4件の事件依頼とすると,1件5万円程度は上乗せしないと,あいません。
さらに,就職できないリスク,つまり多額の設備投資がすべて無駄になるリスクを考えると
もっと価格転嫁できないと,弁護士業界にすすむ合理性が無くなります。

つまり,現行の弁護士会費制度やロースクール制度によって,相当程度の弁護士費用への
価格転嫁が行われることは,理屈の上では予測されます。

当事務所は,個人の事件の分野において,
依頼者の側は「弁護士費用高すぎる」
弁護士の側は「この費用で,この重い件を引き受けるのはきつい」
という不幸な状況を何とかできるのは
依頼者の側ではなく弁護士側しかないと考えています。

まあ,そう簡単には何とかできる問題ではなく,
事務所全体で問題意識を持ちながら,10年くらいかけて,
少しずつ工夫を積み重ね
個人分野の仕事の仕方を抜本的に変えていければと思っています。

でも制度的に,上記のコストがかかるというのは,
(つまり,上記だけ価格転嫁して,それを給料に反映できなければ,
優秀な人は当事務所で働く経済的な合理性はないと言うこと
そして,ほとんどの法律事務所がそのような給料を支払えなければ,
まともな人間は弁護士業界に来なくなると言うこと)
大きな数字ではあります。

3つ目の視点

水曜日, 12月 7th, 2011
このブログの中で,法律家の思考の論理的なゆるさについては,
何度かふれてきました。

必然的な論理に基づく科学的な思考方法と
妥当な結論最優先で,矛盾してなければいいやという
法律家の論理に違いがあるということです。

でも,実は第三の視点も持っています。

それは経営者の視点です。
これは,さらに論理的にはテキトーで
下手な鉄砲数打ちゃ当たるというような思考回路です。

当事務所では,法的ニーズはまだあるのでは?と
いつも問いながら,色々なことに挑戦しているのですが,
まあ,だいたい失敗です。
こんなサービス便利かもと思って,始めてみますが,
ほとんど反応もなくて,そのうちやめるというのがたくさんあります。

「それはあんたの経営センスがないからだ!」
私も初めはそう思いました。
でも今なら,私は言い返します。
「あんた,経営したことないでしょう。」

ドラッカーの著作でも,『ビジナリーカンパニー』でも
何がうまくいくかは事前には,分からない。
とにかくうまくいく可能性があるものはとりあえず試し,
だめなら撤退するというやり方をするのだ,と書いてあります。

また,実際に発展した企業の歴史や,経営者本人の著作を読んでも
うまくいくと思ったことが,あたらず,思わぬものがヒットして
というのが定番のストーリーです。

私も,はじめは,とにかく挑戦し,失敗したらやめるの繰り返し,
という思考回路・行動パターンは慣れませんでしたが,
今は,自分のものになっている気がします。

法律家は,失敗しないような発想が中心ですから,失敗を極端にきらいます。
とにかく安全策・安全策で,「念のため,やめておきましょう」というのが口癖です。
でも,経営者発想だと,最悪どの程度か考えて,それが許容範囲であれば
「とりあえずやってみよう。」となります。

何かを事業を初めて失敗したとき
「なぜ,そんなことをしたんだ」
というのが通常の発想です。
政府の事業の失敗についてもそうです。
初めから失敗するのが分かっていたかのようです。

でも,それはきっと評論家的な視点なのだろうと思います。
大ヒットするようなことは,大半の人が失敗するだろうと思っていたこと
から生まれることも少なくありません。
何がうまくいくかは,やってみないと分からない。
ただ,うまくいかなさそうなときの撤退の段取りをとっていないこと や
うまくいっていないことを認めないこと
そういったことのほうが問題なのかなと思います。

大河ドラマの江が終わりました。

日曜日, 12月 4th, 2011
今年の大河ドラマも、終わりました。
スタートは、明るい主人公で行くのかと思いましたが、
中盤以降は、辛気臭さ爆発で、義経以来の
陰湿な主人公でした。

秀忠との夫婦は円満ということですが、
あんな妻でしたら、99%寄り付かないと思います。

為政者の役割は、100人を犠牲にして1000人助けることです。
それができなければ、為政者の資格はないでしょう。
でも、それは一人の心情としては、極めて苦しい選択です。
それをフォローせずに、道徳的な非難の目で待ち構える、
為政者の妻として最悪としか言いようがありません。

たとえば、「アフリカの子にワクチンを 」なんて叫んでいますが、
日本がそういう状況にならないようにするためには、
多少、弱者保護を後回しにしても、経済を守らなければなりません。
経済や国力の充実より、目前の弱者保護を優先すれば、
将来においては、今の弱者保護よりはるかに低レベルの
弱者保護しかできなくなる。
そういうことを考えるのが為政者の役割だけれども、
為政者の個人の心情としては、なかなかつらいものもあるし、
世間的な批判もある。
その部分を、理解してやるのが、為政者の妻として上
一切、夫の仕事に関心を持たないのが中
世間レベルの道徳的批判を浴びせるのは下

ところで、徳川家は世界の歴史でも稀にみるほどの
平和な社会を気づいたのですが、それでも
「しょせん、徳川家の利益のためでしょ」
という視点からは逃れられません。
100人犠牲にしたのは、1000人を助けるためなのか
自分の利益のためなのか、常に疑念が生じてしまいます。
これは、人間がこの判断をする限りは常に生ずる問題です。

市場原理が、便利なのは、これを市場がしてくれることです。
100の企業をつぶして、1000の企業を助けるという判断を人がする場合
自らに親しい企業を助けたのではという疑念から逃れることは困難です。
でも、人格をもたない市場にはそういう疑念は生じませんし、
また、個人の心情における苦しみが生じることはありません。

まあ、そんなところで今年の大河ドラマも終わりましたが、
来年はもう少し明るい主人公に出てきてもらいたいものです。

弁護士は、どの程度法律に詳しいのか

金曜日, 11月 25th, 2011
法律に関する国家資格としては、弁護士以外にも、司法書士とか行政書士があり、
税理士も税法という面では法律資格です。
その中でも、弁護士資格は、試験を通るために、要求される法律知識量がとても
多いので、一般には、世間で一番法律に詳しいのは弁護士です
(なお、裁判官も 詳しいですが、資格としては弁護士と同じです)。

では、どの程度、詳しいのでしょうか?

日本の法律全てに精通しているような人は、存在しません。
おそらく、日本の法律の名前だけでも、全部知っている人もいないかもしれません。
いたら、弁護士ではなくクイズマニアかもしれません。

弁護士がよく使う模範六法という六法がありますが、そこに出ている法律全部に精通している
弁護士も多分いません。
全部読んだことがある弁護士も、ほとんどいないと思います。

いわゆる六法と言われる憲法、民法、商法、刑法、刑事訴訟法、民事訴訟法
を暗唱できる人もいないでしょう。
基本の六法に書かれていることを概ね、把握していること、
これが本当は法律資格としては、必要なのでしょうが、
これを出来ている弁護士もほとんどいないと思います。

通常の一般民事といわれる弁護士の仕事は、民法だけ把握していれば、
8割がたの仕事は何とかなります。
その民法で、何がどこら辺に書いてあるのか覚えているけど、
正確な記載は自信ないから、念のため確認しながら仕事する。
私は、だいたいこのレベルかなと思います。

「うわーひでー」と思うかもしれませんが、弁護士間の情報交換や
メーリングリストでの質問をみたり、相手方弁護士の書面をみると
このレベルに達している弁護士も少数派のようです。
「そんな質問するなよ、それは民法のあのあたりに書いてあるだろう」
ということは少なからずあります。

というわけで、弁護士の法律知識というのは、随分、たいしたことないようですね。
でも、弁護士になる人はいわゆる文系的な記憶力等にかけては、
人間の中でも最上位に位置する人のはずです。
そういう人が覚えたり把握できないのですから、法律が人間の能力に比べて
複雑すぎるとしかいいようがないでしょう。
「資格をとった後に継続的に勉強しないからそうなるんだ」と いう意見もありえますが、
多分、六法の内容だけ把握し続けるだけでも、仕事時間よりも勉強時間を
長くするような生活にしないと無理かもしれません。

結局、それでも、何とか回っているということです。
その理由は、前回書いたように、日本の民事司法は
実質的に正しい結論に持っていくことを最優先しますので、
「まず結論ありき 」ということが多いからかもしれません。
法律を逆手にとったトリッキーな手段は通用しないので、
法律知識を増やすことが、勝ちに結びつきにくく、
むしろ実質的な価値判断をいかに説得的に
主張できるかということにエネルギーが向くのかもしれません。
 

判例。判例。

木曜日, 11月 24th, 2011
法律相談をしていて、相談者から判例がどうのこうの、と言われることがあります。
この件について、判例はどうなっているのか?
とか
判例がそうなんているので仕方がないんですかね
とか。

まあ、正直どうでもよいので、「さあ、どうでしょうね」なんて言いますが、
別にごまかしているわけではありません。

だいたいこういう場合に、「判例、判例」なんて言っているのは、
下級審の裁判例、つまり、最高裁判所の判断以外の裁判を言っていることが多いようです。

大事さの順番で言うと、
①一番大事なのは、実質的に結論が妥当かどうか
②次に、法律の条文に書いてあること、最高裁判所が何と言っているか、

で、ずっと劣って
③下級審の裁判所や学者が何を言っているか
というのが私の感覚です。

何といっても①が大事ですが、結論が妥当かどうかは
様々な観点から検討(当方の立場だけでなく、相手の立場、さらにルールとして一般化できるか等)
が必要なので、そのセンスが法律家として一番大事なところだろうと思います。

で、①さえしっかりしていれば、通常は変な結論を導く条文や最高裁判所の判例はあまりないので、
概ね大丈夫ということになります。
仮に、形式的にみて、変な結論になりそうな場合は、法律解釈で妥当な結論に持っていくというのが
通常のあり方です(そういう意味で、漫画チックな法律の抜け穴というものはほとんどありません)
でも、たまに①で妥当と思ったことに反する法律や最高裁判所の判例があったりすることもあり、
その場合に、①の考えが本当に正しかったのかと、再度、考えることになります。

で、依頼を受けた件等で、念入りに検討する必要があるときに、
③の下級審の裁判例を利用して、検討した価値判断に漏れがないかチェックする。
という感じでしょうか。

実際、裁判の場では、下級審の裁判例を裁判官に見せたところで、
その裁判官が違う考えであれば、
「私はそういう考えをしませんから」
「まあ、色々な考えがある点ですからね」
と言う程度の扱いのことが多いです。
もちろん、裁判官も色々な方がいますから、他の裁判官の判断を参考にしたがる
人もいますが、少数派の気がします。

下級審の裁判例調査を重視するかのように思われてしまうのは、
日本の裁判経験が少ない国際派弁護士がアメリカ流で判例調査が弁護士の仕事であるかのように吹聴しているからか?
ホームページの情報を出すネタとして、裁判例紹介が楽だからか?
情報収集が好きな人が、自分の存在価値を高めるために、こういう裁判例を知らないようじゃ弁護士失格だね!
何て言っているからか?

よく分かりません。

私自身は、事件の見通しをお話しする上では、①の実質的に妥当だという結論を
自分がどの程度の確率で裁判官を説得する自信があるか、とい観点で決めていることが多いです。
大半の裁判官を説得できるかな、
半分位の裁判官なら分かってくれるかな、
頑張れば柔軟な考えの裁判官なら分かってくれるかも
なんて具合です。

なお、裁判例不勉強の言い訳で書いているわけではありません。
しっかり下級審裁判例も勉強しています。
でも、それは「こういう裁判例がある」という知識を出すためではなく、
①の感覚をブラッシュアップするためです。

登山的時間感覚

土曜日, 10月 22nd, 2011
最近は、2年に1度子どもと行くくらいで、もう現役とは言えませんが、
高校時代は山岳部で、大学時代も岩登りを含め色々登り、
富士山の登山ガイドをするなど、昔は結構、山男でした。

その中で、身についた登山的時間感覚は、今でも自分の仕事の仕方に
影響がある気がします。

登山をしたことがない人は、きっと時間に縛られないのんびりした時間感覚
なんだろうと思うかもしれませんが、まったく逆です。
四六時中、時間のことをばかり考えています。

たとえば、その日の行程が地図上6時間かかると書いてあり(登山地図には、
ポイント間の標準的な移動時間が記載されていて、これをコースタイムといいます)、
自分も荷物の重さ等から、同程度の時間がかかると予定されているとします。

そうすると、朝3時起床の5時出発で、次のテン場(テントを張る宿泊予定地)には
昼飯の1時間を加えて、12時に着くと予定を立てます。
まず、ここで日が沈む時間までに大幅な時間の余裕を見ています。
仮に、誰かがバテたり、捻挫等の怪我をしたり、道に迷う等のあっては困るアクシデントが
起こったとしても、何とか対処できる程度の、時間的余裕をみて計画を立てています。

そして、出発します。基本的には、コースタイム1時間のところを50分で進み、10分休んで
再び出発するというペースを作ります。
その50分歩いている間も、予定通り1時間のところを50分で進めているかどうかは、
かなり細かく意識しながら進みます。というのは、山域ごとに登山地図があるのですが、
コースタイムが厳しいここと、甘いところがあるので、それを把握する必要があるからです。
コースタイム6時間と記載されていても、他の山域の地図のペースだと8時間くらいかかる
大変なコースのこともあれば、4時間くらいで済んでしまうようなこともあります。

そんな中で、予定通り1時間の場所まで50分でたどり着けたかどうかは、とても重要です。
もっといえば、その場所まで45分でたどり着くことができ、予定よりもう少し先まで行って
第1回の休憩をとれるようだと、少し貯金ができた気分で、気持ちに余裕ができます。
逆に、50分たっても、1時間の地点まで行けないと、あせります。あと10分で1時間地点
にたどり着けるのか、さらに20分かかるのかは、そこまで行ってみないと正確にはわからないこと
が多いからです。仮に、1時間地点まで、1時間10分かかってしまうとなると、6時間のコースタイムだと、
7時間かかることになり、50分に1回休むと、小休憩が7回は必要で、それが 70分でプラス昼飯1時間だと
8時間10分かかる。そうすると、到着予定は13時10分になる。まあ、なんとか許容範囲か。
でも、誰かが早い段階でバテたら、予定を変更することも考えなければならない。
でも、できれば、挽回したいので少しペースを上げてみるか、等、いろいろ考えます。

また、油断ならないのは、休憩時間です。10分の予定でも、油断するとすぐに15分等、経ってしまいます。
50分で行く予定のところを5分節約して45分で行くことはかなりハードですし、間違えると誰かバテます。
ですから余分に休んでしまった5分を取り返すのは、かなり大変になります。

そして、自分または誰かがバテた場合。この場合も、とにかくどんなにペースが遅くなっても
進み続けることです。そして、このペースで進めば、何時どこまで行けるのかを常に計算することです。
長い間休んだところでバテは回復しませんし、止まっていたら、何時まで経っても、どこにも着きません。

と、昔のことを思い出しながら、ダラダラ書きましたが、今の仕事においても、
締切に間に合わせるためには、病気・PCの故障等、多少のアクシデントがあっても
間に合うよう、かなり余裕を持って前倒しにしています。
長い書面作成や調査等でも常に、このペースで行くと、悪く転んでいつ完成予定か
ということは常に計算しています。
また、先が見えない場合でも、とにかく何かをして前に進めるようにしています。

あるとき、自分の仕事の仕方がこの業界では少数派のようだと思った時、
自分の仕事ペースは登山の影響かなと考えた次第です。

先日40になりました

火曜日, 10月 4th, 2011
先日,無事40歳になりました。

若く見られることが多かったのですが,去年くらいから白髪が増えたり
鏡に映る姿にも一瞬老いの陰がちらついたりで,年相応になってきた気がします。

最近読んだ本によると,動物の寿命は心臓の鼓動回数からすると,ほぼ一定で,
人間の場合,40歳程度が,本来の寿命とのことです。

あまり体が丈夫でないのですが,まずは本来の寿命まで無事生きてこられたということで,
色々と感謝しなくてはならないと思います。

もちろん,子供がまだ小さいので,本当にくたばる訳にはいきません。

ただ,あとは現代文明による「儲けもの」のような人生ですので,
守りに入らずにやっていきたいと思います。

まずは,多少怪しいキノコでも,これからは挑戦してみるか・・・?

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