Archive for the ‘弁護士勝俣豪の雑感’ Category

分業の果て

水曜日, 6月 13th, 2012
ふと、コンパクトなデジカメが欲しくなり、いろいろ調べて買いました。
デジカメも、センサーは○○製、レンズは○○製と色々なメーカーが
作ったものを組み合わせて作るのが、通常のようです。

パソコンも、CPUだ、メモリだ、ハードディスクだ液晶だOSだと色々なメーカーが
作ったものを組み合わせて作ります。
携帯電話もそうでしょう。

車も、トヨタや日産が作るのは、ボディーとエンジンで
タイヤや、オートマ機構やバッテリー等は、別のメーカー製が通常で、
最近は、エンジンも別から調達ということも、増えてきているようです。

そんなわけで、工業製品については、合理化の果てに、
部品ごとの極端な分業化が進んで、
その結果、高性能で低価格なものが
手に入るようになっているようです。

サービス業なんかは、どうなのかと思いますが、
以前読んだサイゼリアの仕組みは、
かなりすごいものがありました。
もっとも、他社との分業は、工業製品ほどは
進んではいないようです。

さて、弁護士業も、そんな風にできるのでしょうか?
おそらくは何らかの標準化が必要なのでしょう。
それぞれ別のメーカーが作った部品が協同するためには
その部品間のコミュニケーションが標準化されている必要があります。

当事務所でも、色々試みていはいますが、まだ先はみえない状況です。
大規模な債務整理中心の事務所は、ある種の標準化や
大量処理が行われているようです。
でも、これは、工業製品で言うと、せいぜいフォードによる
流れ作業による大量生産というレベルのことだと思います。
現在の、工業製品の分業で行われているのは、
各分業項目を担当するのは、どれも世界でトップレベルの
メーカーです。
これを弁護士仕事に当てはめると、法律相談、書面作成、相手との交渉
裁判所の説得といった、各段階について、トップレベルの
実力の持ち主が担当するということになるのかとも思います。

医療現場での分業は、よく分かりませんが、麻酔だ執刀だと
分業しているのは、このイメージに近いのかもしれません。

まあ、そう簡単にいく話ではありませんが、色々、挑戦していきたいと思っています。

弁護士費用と利益相反

木曜日, 6月 7th, 2012
弁護士費用を,どのような料金体系にするのか?
とても悩ましくて,とても大事な問題です。

変な料金体系だと,弁護士と依頼者との
利益相反を起しかねないからです。
弁護士費用は,依頼者と弁護士の利益が
一致するよう定めないと,
長期的には,弁護士のモラルが低下するリスクがあります。

たとえば,100万円の請求をする事件があって,
交渉をしていて,相手が100万円を支払うと言ったとします。
でも,裁判をすれば,遅延損害金を含めて105万円回収できるとします。

でも,裁判をすると弁護士にとっては,とても手間がかかり,
仮に増える5万円分全額報酬でもらっても,まかなえないのが通常です。

このときに,裁判になっても追加料金なしという料金体系だと
依頼者にとっては,追加料金なしで5万円増額するので,依頼者にとっては
裁判にするのがベストな選択になります。
でも,弁護士はひたすら手間ばかりかかってしまうのに報酬の増額がない。
そうすると,依頼者には不利だけど,何とか交渉で終わるよう
依頼者を説得しようという誘惑にかられます。
これは,弁護士と依頼者の利益が相反している状況だと思います。

もし,訴訟の場合は追加費用20万円として,料金設定されている場合は
依頼者に対しては,訴訟をすると5万円余分に回収できるが,そのために
20万円弁護士費用が追加でかかるから,交渉でまとめたほうが得だ
と邪心なく,話すことができます。
仮に,依頼者が,損得の問題でなく,裁判で決着をつけたいから
裁判をしてくれと言ったとしても,正当な対価として弁護士費用20万円を追加で
受領するので,弁護士としては,悪い話ではありません。
つまり,依頼者の希望に添う選択に向けて,弁護士は全力で仕事をしやすくなります。

基本的には,弁護士費用は,弁護士側の手間に応じて,しっかり設定することで
弁護士は真に依頼者の立場にそって,話をしやすくなるのではないかと思います。

もちろん,あまり厳密に,手続きや手間ごとに料金体系を設定すると,
料金が分かりにくくなり,依頼者に心理的なストレスを掛けることになりかねません。

そこで,事案の類型によっては,シンプルな料金体系を優先すべき場合もあると思います。

もちろん,そのほかにも,値段設定をいくらにするのかという重大問題もありますが,
価格設定・料金体系の問題は常に検討を要する難しい問題です。

有為な若者の夢を喰らって

火曜日, 5月 29th, 2012
明治学院大学がロースクールから撤退するそうです。

以前、ポスドク問題とロースクール問題の相似性を指摘したことがありました

どちらも、少子化によって、事業基盤が危うくなった大学が
怪しげな夢を若者に提示して、学生を集めたが
泥舟だったという ことかもしれません。

司法改革を学校再生の千載一遇のチャンスと思ったことは間違いなさそうです。
正直、法曹界とほとんど関係ないと思われる大学が、色々名分を掲げて、参入してきました。
その類がほとんど、駄目ですね。

司法試験の合格率が低すぎるとか、ロースクールが言っています。
私は、ロースクールの実情はよく分からないのですが、
司法試験に合格できない人を卒業させる時点で
教育機関の体をなしていない、といわざるを得ません。
通っていれば力がついていなくても卒業できるのであれば、
司法試験の受験資格として、ロースクールの卒業を要求する意味はありません。

卒業生のうち、 多少の人が、試験が苦手で司法試験に合格できない
なら分からないでもありませんが、ほとんどが合格できないのであれば
そもそも、卒業認定能力がないとしか言いようがありません。

確かに、お金を払ってくれている学生に対して、単位を認定しないというのは
組織としての大学としても、
教員としても、なかなかつらいところなのかもしれません。

でも、それができないのであれば、そもそも教育者・教育機関としての
器量・能力がないという他ないでしょう。

ロースクールには、横浜でも、普通の弁護士が色々招集されて教えているようです。
そんなふうに、召集されて教えている人に
学生の真の能力を測ったり、
もしくは、心で泣いて、落第させるよう な器量を期待することはできません。

色々と美しい名分を掲げてロースクールに参入してきたとしても、
卒業認定にプライドがないという点で
大義名分はとってつけたものに過ぎないことは、明らかでしょう。

でも、もうロースクールの夢は枯れています。
次は、どんな夢を描いてくれるのでしょうか?

今度は寒冷化

木曜日, 5月 24th, 2012
太陽の活動によって、今度は地球寒冷化が心配だそうです。

社会改善運動に懐疑的なので、思わず
呵呵カカ
とか意地悪に笑ってやりたくなります。

地球温暖化だとか言って、ヒステリックだった人は
原発事故で後頭部を軽くコツンとやられて
少しおとなしくなっていましたが、
今度は、顔面に強烈な衝撃を受けたのではないでしょうか?

石油が枯渇するとか、手を変えて言いたいところでしょうが、
シェールガスが出てきたので、そんな理屈も通りません。

これでハイブリッドカーに乗ったシカツメから、
スポーツカーや大排気量の車に乗ることを
やかましく言われる筋合いもないということです。

それでも、社会改善欲に駆られた人は
また何か怪しげな理屈を唱えて、他人に説教をたれ続けるのでしょう。
これも人間社会の一つの仕組みです。

現代病のひとつの花粉症は、家畜と暮らすことがなくなって
生活環境が清潔になりすぎて、
免疫活動のバランスがおかしくなっていることが
原因とも聞いています。

社会改善病も、社会が平和で安全になりぎて、
人間本来の善良な感情が、バランスを失して
おこっている社会的な病理なのでしょうか?

汽の字

月曜日, 4月 30th, 2012
少し前の話ですが、子供の学校の教科書を見ていて、
2年生の漢字として、「汽 」という字があることを知りました。

びっくりです。こんな字使いません。
別に常用漢字だか当用漢字だか、からなくしてしまって
汽車を気車にしたってかまわないでしょう。
蒸「気」で動くんですから。
汽車自体、そんなに古いものではないですから、
漢字の歴史に関わるといって泣いて抗議する学者も
いるのかいないのか、というレベルと思われます。

何にしろ、なんらの見直しもなく
このような漢字を全国の小学2年生に教え続けるとは、
「愚の骨頂」という言葉を教えてあげたほうがよいかもしれません。

とはいえ、他山の石という言葉もあります。
他人事ではなく、こういうことは当事務所内でも潜んでいるのです。
こういうのを歴史的合理性と名づけて、定期的なゴミ取りを意識しています。
歴史的合理性とは、今、そのことをする合理性はないのだけれど、
事務所の現在の事務体制ができる歴史を振り返ると、
そのような意味のない作業が生まれた合理性が説明できるということです。
気をつけていないと、この手のゴミはどんどん事務作業を圧迫していきます。

ところが、もっとやっかいなのは、歴史的な合理性以外にも
一応、合理性が説明つく場合もあることです。

おそらく、汽の字も、色々理屈を述べ立てる人がいて
現在まで生き残ってきたのでしょう。
そうなると、ドラッカーの計画的廃棄に基づいて
今新しく2年生の漢字を決めるとしたら汽の字を入れるか?
と考えてみるのがきっと、屁理屈対策には一番でしょう。

さて、そんな汽の字ですが、もしかしたら、
歴史的合理性なんていう野暮ったい言葉に代えて
「汽車の汽 」と名づければ、新しい役割と意味を持つかもしれません。

試すこと、調べること

日曜日, 4月 29th, 2012
大学の頃、つまり20年程前のこと、どういう経緯か
「ヘッドフォンをマイクの端子にさせば、マイク代わりになる」
と言ったところ、デタラメを言うなということになりました。

実は、さらに昔の高校の頃、山岳部で映画を作った
ことがあり、そのときにヘッドフォンをマイク代わりに
使ったことがあったので、私は自信満々だったのです。

でも、このような体験を話しても、普段の行状のせいか
相手にされません。
そして、そんなに言うなら「試してみろ」ということになり
私は勝利を確信して、目の前のラジカセに手持ちのヘッドフォン
を差し込んで、実験開始です。

ところが、何故か、うまくいきません。
ヘッドフォンにウォークマン操作用のリモコンだか、
音量調整だかが付いていたのが悪いのか、
うまくいかないまま敗れ去りました。

もっとも、私自身、普段の行状が幸いしてか
失敗したからといって沽券に関わるわけでもないので、
再挑戦をするわけでもなく、そのままになっていました。

最近になって「ふと」できるはずということを確かめたくなり
ネットで検索すると、やはりヘッドフォンはマイクになると
書いてあります。

今の大学生であれば、ネットで調べて決着がついたのでしょう。
ネットがあると、つい便利に調べられるので、自分で試してみることを
しなくなる・・・なんて思いますが、実際に試してみたからと言って
正しい実験結果がでるわけではないということで、一長一短ですね。

本来合理的なこと

水曜日, 4月 11th, 2012
たいてい慣れ親しんだ仕方が、楽なものですが
そうでもないかな、と思うことが続きます。

前回書きましたが、先日、代車で久しぶりに国産車に乗りました。
輸入車と言っても、今は車又は所有者の趣味性が強くない限り、
右ハンドルです。

でも、ウィンカーが逆なんです。
国産車は右で、輸入車は左。
で、輸入車に乗ると、これに慣れるまで苦労します。

とはいえ既に7年乗っているので、左側のウィンカーレバーに慣れていたのですが、
国産車に乗って右側ウィンカーレバーに変わっても
以外に早く慣れました。

ところが、元の自分の車に戻って左のウィンカーレバーに
なかなか感覚が戻りません。

これはそもそも右側の方が、感覚的な動きに素直なせいではないか
という気がします。

ところで、手帳は今だに昔のPDAであるクリエを使っています。
ただ、毎年1回、上部のヒンジが壊れて、修理に出します。
そして、また壊れました。
そこで、いっそスマートフォンに切り替えようかと思って、色々試し始めています。

クリエの入力方式は、graffitiというpalm独自の入力方式で、これがとても合理的です。
ところが、私の使っているクリエは、このgraffitiが何かの権利侵害で訴訟になって、
本来のgraffitiを修正したgraffiti2という入力方式を使っています。
元のやつは、独自の簡易アルファベットですが、2はほとんどアルファベットの小文字と同じ
入力をします。

で、2になったときに、前のほうがよかったなあ、と思っていたのですが、
これも8年ほどは使用しているので、もう慣れています。

ところでandroidのスマートフォンでは、本来のgraffitiが使えますが、2は使えません。
で、久しぶりに本来のgraffitiで入力し始めましたが、これが随分楽に感じます。

やはり、そもそものgraffitiのほうが、合理的だったようです。

 

巨人、6選手に高額契約金

木曜日, 3月 15th, 2012
本日の朝日新聞の一面です。
高橋由伸選手も出ています。

そう、高橋は、ヤクルトに来るはずだったんです。
本人もヤクルトに来たかったようで
ヤクルトファンも楽しみにしていたのです。

ところがドラフト直前に、巨人に。
裏で何があったんだ、と色々話になりました。

きっとヤクルトに来ていたら、ヤクルトの黄金時代は
高橋を中心にもう少し長くなって、
高橋は、適当なところで、メジャーに行って
今より、もっと輝かしい選手になっていたんだじゃないか?
と今でも思っています。

そして、今日の記事に出ていた二岡も
確か広島に入るはずだったのが、
直前に突然に巨人にという
高橋と同様の展開だった気がします。

今頃になって、ようやく当時のカラクリが
少し明らかになったようです。

いつからこうなったのか??

木曜日, 3月 8th, 2012
なんて,大げさですが,子供の頃には,
アメリカ人は交通事故を起しても決して謝らない,
謝るとあとで不利になるからだ,なんて聞いてびっくりしましたが,
今の日本では,ごく当たり前の感覚になっている気がします。

おもわず誰かにぶつかって,転ばせて怪我させてしまっても,正直
「すみません」では済まず,賠償問題が当然というのが
仕事をしている上で,受ける感覚です。

私は外国のことにはうといのですが,伝聞では
外国のスキー場はどこを滑ろうが基本的に自己責任で自由
という話も聞きます。
事故があってもスキー場の責任だと騒がれるリスクがきっと少ないんでしょう。

また,電車の事故などで,会社役員の刑事責任追及なんて
最近無罪になりましたが,事故が起きたときには
個人責任追及よりも事故原因を追及して予防するのが
アメリカなりのやり方とも聞きます。

最近の日本人的感覚だと,不幸が生じたら
その原因を誰かに帰して,そいつを吊さない限り
気が済まないということなのか,という気がしてきます。

いつの間にか,エキセントリックで非寛容な国民になってしまったかのようです。

弁護士を増やして訴訟社会にするのは日本人の感覚にはなじまない
なんて,まるで日本人が和を好む国民であることは当然の前提のように
語られます。

でも,本当はいつのまにか,日本人は世界的も稀な程,非寛容で
訴訟好きの国民になっていて,
その必然として,弁護士増やそうという話が容易に受入れられたのかも知れません。

何故,そうなったのでしょうか?
よく分かりませんが,あまりにも,客観的な不幸が減ったからかも,
と思う気がします。

普通にしていても,思わぬことで怪我したり病気になったり,死んでしまったり
があたりまえであれば,不幸はふってくるもので,誰かにせいにしません。

でも,特段のことがなければ,不幸がなければ,不幸になったのは
例外的なことで,その原因追及という発想になります。

もし,医学が驚異的に進歩して,特段のことがない限り,人間は死なないということになったら,
人を死なせてしまうことの重大性は,今よりはるかに大きなものになるでしょう。
そんなことかもしれません。

法律では,傷害という概念があります。
身体的に受けた怪我で,すぐなおるようなかすり傷は,傷害にはいるのかどうか
(全治1週間なんて,蚊に刺されたって一週間くらいはれている)
というレベルが,そもそもの感覚だったのではないかと思います。

それがかすり傷も当然,傷害になって,
心の傷も,問題になって
将来健康を害する可能性が高まること(タバコの副流煙等)も問題になって
今,問題になっているのは,将来健康を害する可能性が高まると,将来言われるようになるかも知れないということです。

以前に書いたように,法律家の論理は社会通念・常識に従属します。
ですから,社会の感覚がこうなっていくと,それに従属しながら,それにあった仕事をすることになります。
いつかこのような流れは変わるのでしょうか?

会務なるもの

金曜日, 3月 2nd, 2012
先日,弁護士には,弁護士会内部の面倒仕事として
「会務」なるものが,あると書きました。
この会務は,会報を作るような事務的な委員会以外に,
人権活動・公益活動を目的とするような委員会が多数あります。

ところが,多くの弁護士は,この会務にとても熱心です。
それは,多くの弁護士のホームページの弁護士紹介欄に,
充実の会務経歴が書き込まれていることから分かります。

何故,弁護士は会務に熱心なのでしょうか?
おそらく,このようなことではないかと思います。

今までの弁護士の経歴としては,
例えば東大法学部に在籍し,友人の中でも優秀なほうで
同じ程度に優秀な友人は霞ヶ関で官僚になり,
劣る友人は大企業に就職し,そのうち幹部になる。

友人達は,公であれ民間であれ,国を動かしたり,
国際的に大きな意味をもつ仕事
をするようになります。

ところが弁護士は,個人の事件をしたり,
企業にからんでも,紛争処理をするだけで,
世の中の大きな流れをつくるような仕事には縁がないことが通常です。

稀に,世の中を動かすような判決を取るということもありえますが,
依頼者の利益を最優先して行動すると,こういう機会は滅多にない。

同じ法曹でも,裁判官であれば,抱えている事件数が多いので,
自然と,それなりに社会の耳目を集め社会的にも影響の大きい判断を,
自らだけの責任でする機会もありますので,官僚や大企業幹部に見劣りしません。

検察官も,ずっと検事仕事ばかりでなく,法務省の官僚になって
法案作成に携わるなりして,基本的には官僚のような仕事のようです。

と言う具合に,優秀だったはずの弁護士は,普通に仕事をしているだけでは
友人達に比べて,社会的影響力が小さいということになってしまうのです。

ところが,弁護士会というそれなりに社会的な影響力がある組織の中で
それなりの地位を占めれば,それなりに社会的に影響があることができる。
自分が正義だと考えることを,弁護士会名義で発信することも,ことの正否はともかく,
できるかもしれない。

そんなわけで,弁護士が,自らの社会における位置づけ,存在感を保つ上では,
とても大事なことのようです。

弁護士が増えすぎて,経済的に余裕がなくなり,公益活動(≒会務)ができなくなる
なんてよく言われます。
私にしてみれば,こんな主張は,世間から見れば,
「趣味的な活動に費やすだけの,経済的余裕を守れ」というようなふざけた
主張にしかみえないように思えますが,
当の弁護士から見れば,自らの人生・社会における存在意義に係る重要な問題ということです。

さて,会務に熱心な弁護士か,そうでない弁護士かは,依頼する上ではどちらが望ましいでしょうか?

会務に熱心な弁護士であれば,おかしなことをしていたときに忠告する人がいるから
懲戒にかかるような悪さをするのは,会務に不熱心な弁護士であるという話を聞き,
そんなもんかなと思いました。

でも,懲戒の情報を見ている限りだと,必ずしもそうでもないような気もします。
ただし,会務に熱心な人であれば,弁護士業界の中で悪名高い人である
可能性は低いのではないかと思います。

逆に,とてもたくさん会務をしている人(業界用語で,多重債務者にかけて,多重会務者と自嘲気味に
言われる)は,本業がほよど割がよいか,手を抜いているかという可能性もあります。
もっとも,この業界,依然として超人的な能力を持つ人もいて
たくさんの会務をこなしながら,よい仕事をしている人もいますので,一概には言えません。
どうみても超人にみえないようなら,やめたほうがよいかもしれません。

会務に熱心な弁護士かどうかは,ホームページの弁護士紹介欄に,会務の内容を誇らしげに
書いているかどうかである程度分かると思います。

 
 
 

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