Archive for the ‘プロ野球(ヤクルトスワローズ)’ Category

五十嵐亮太~開き直りが常識を破る~

火曜日, 3月 29th, 2011
今、アメリカで野球をしている五十嵐亮太選手は、以前はヤクルトにいました。

デビュー後、中継ぎピッチャーとして頭角を現します。

石井弘寿とともに剛速球の中継ぎコンビ、ロケットボーイズなんて言われたこともありました。

五十嵐の直球のスピードは当時のプロ野球ナンバーワンでしたが、石井に比べると、安定感はいまひとつでした。

その理由は、変化球を投げる投球フォームと直球を投げる投球フォームが違うため、打者にどちらが来るかわかってしまうからです。

五十嵐自身もなんとなく変化球に自信がなさそうで、苦しそうに投げていることが多かった気がします。

そんな2003年シーズン終了後、抑えのエースの高津がメジャーに行きます。

そうすると、2004年の抑えのエースは、五十嵐か石井のどちらかがすることになります。

順当にいくと、石井が抑えのエースで、その予定でした。

ところが、石井が故障してしまいます。

そんなわけで、変化球を上手に投げられない五十嵐が抑えのエースになります。

いくら直球が速いとはいえ、直球だけではプロでは通用しないなんていうのは当たり前のことです。

でも、いままでの不安定なピッチングでは、抑えのエースとしては通用しません。

ここで、五十嵐は開き直ります。

ほとんど直球だけ、投げ続けました。

10球に1球くらい変化球も投げますが、明らかなボール球等、やる気のない球です。

その結果、なんとかなってしまいました。

さすがに、打者もプロですから、空振りはなかなかしません。

でも、開き直って投げてくる五十嵐の直球は、分かっていても、ヒットはなかなか打てません。

ファールになって、そのうち追い込まれたり、凡打になってしまったりで、何とか抑えのエースの役割を果たします。

そして得意な直球だけ投げていればよいという確信は、五十嵐の態度に自信をあたえ、直球は勢いを増していきます。

シーズン終わってみると、37セーブをあげてセーブ王のタイトルをとりました。

開き直ることによって、直球だけでは通用するわけがないとう常識を破って、直球一本やりでタイトルまで取ってしまったのです。

その後、故障をへて、渡米直前には、きっちり変化球も投げられるピッチャーになりましたが、2004年の五十嵐亮太はとても印象に残りました。

再度:プロ野球早期開幕賛成!(ナイターも賛成!)

水曜日, 3月 23rd, 2011
前回,プロ野球の開幕について,肯定的な意見を書きましたが,世論の風向きはなかなか厳しいようなので,再度,書きます。

私は大規模災害に被災したことがないので,あくまで推測ですが,今,被災した人にとって,とても大事で,切実な願いは

時間を早送りすることだと思います。

仕事もなく,好きなこともできない状況で,悲しい記憶と将来への不安が重なる状況です。

とりあえず,仮設住宅ができて,今後の生活に希望がもてるようになるまで,時間を早送りしてやること。

できれば,ふと気づいたら3か月過ぎていて,仮設住宅に住んで,仕事も始まっていた状況になること。

時間があれば,悲しい記憶と将来への不安がもたげてくる中で,そういうことを考えなくて済む時間を作ることはとても大切だと思います。

そのためにできることは,例えばゲームが好きな人であればゲームを送ってみたりするのも,よいかと思います。

そして,プロ野球をラジオでも中継するだけで,1日3時間でも気が紛れて,その間,現実を忘れられる人が相当数いるのであれば,

それは十分な被災者支援だと思います。

確かに計画停電をしている中で,ナイターは怪しからんと思うかも知れません。

でも,日が暮れてから寝るまでの,もっとも色々考えてしまう時間,つまり被災者にとっては,時間を早送りしたい時間に,ナイターを中継したほうが,よいでしょう。

昼であれば,散歩するなり,運動するなり気を紛らわす方法は多少はあります。でも,寝るまでの夜はきついと思います。

そのためであれば,首都圏の他の光を減らしてでも,ナイター照明に電気を割き,被災地に野球中継を届けたほうがよいでしょう。

また,延長戦をしないなんて言っていますが,延長戦はどんどんしたほうがよいでしょう。

野球をして励ます,元気づけるなんて考えるから,「僭越な!」とか「まだその時期でない!」とかいう議論になるんです。

トランプやゲーム代わりに,気を紛らわす慰みとして,プロ野球を届ける考えればいいんです(選手としては不本意かもしれませんが)。

そういう点では,大相撲も,被災者のために,始めてしまってもいいのではないかと思います。

プロ野球開幕の可否

木曜日, 3月 17th, 2011
震災はプロ野球の開幕にも影響し,

パリークは延期しましたが,セリーグは予定通りとのことです。

セリーグの判断には批判が多い気がしますが,私は予定通り開幕したほうよいと思います。

私は,大きな災害に被災したことはありませんが,登山中での停滞(悪天で身動き撮れずに,一日中,テントの中にいること)

等の感覚からすると,危難時とはいえ,退屈感というのは,バカにならない問題だと思います。

もし,避難所等にいる人が,

比較的高齢の人が多く,プロ野球好き(巨人ファン?)も多そう

ラジオでも聞くことができる。

という状況であれば,毎日ナイターが始まるのを楽しみにする人は,意外に多いと思います。

大変な状況でも,毎日楽しみがあり,また昼間もプロ野球の話題をする相手がいれば,大分気が晴れるでしょう。

娯楽もなく,ひたすら避難所で過ごすというのは,かえって酷なのではないかと思います。

土橋勝征~相手の立場で考える~

金曜日, 3月 4th, 2011
私が、ヤクルトの歴代選手の中でもっとも好きだったのは

土橋勝征選手です。

土橋選手はとても地味な存在で、数字で残っている成績もぱっとしないのですが

野村ヤクルトの黄金期を知る人にとってそのすばらしさは

強く印象に残っていることと思います。

ヤクルトの選手をあまりをよく知らない解説者は、

彼のことを2番バッターだったかのように言うこともありますが、

ヤクルトが日本一になった’95年、’97年は

主にクリーンナップを打っていました。

ただ、’95年の土橋選手の成績は

打率.281 ホームラン9本 打点54

’97年は

打率.301 ホームラン8本 打点61

と、

シーズンを独走し、日本シリーズも圧勝したチームのクリーンナップとしては

あまりに地味な成績です。

しかし、ここに土橋選手の神髄があります。

一般に相手の立場になって考えることはよいことだ言われます。

道徳では

「自分が嫌なことを人にするな」
と言いますし

ビジネスでは”顧客志向”が叫ばれます。

では野球のような勝負事ではどうでしょう?

「相手の立場になって考えて、
相手がもっとも嫌がることをする」
ということが出てくると思います。

土橋選手は、その点において、非常に優れた選手だと思うのです。

たとえばこんなシーンがあるとします。

’95年であれば、ヤクルトの打順は

3番土橋選手の後は

4番強打者のオマリー選手でした。

ピッチャーとしては、

土橋選手よりも、次の打者であるオマリー選手が気になるところです。

そんな状況のなか土橋選手

ひたすらファールを打ち続けて、粘ります。

土橋選手を打ち取ったことができたとしても

そのときピッチャーはすでに疲れ切っていて、

次の打者であるオマリー選手の餌食になるのです。

またこんな場面ではどうでしょう。

ノーアウト1塁、相手ピッチャーが好投しています。

ここは送りバントしかないだろう、という場面で

打順が土橋選手に回ってきました。

土橋選手は、当然のようにバントの構えをします。

ピッチャーは、バントを成功させまいと、

ボールを投げたと同時に、バッターに向かってダッシュします。

土橋選手は、バントの構えからヒッティングに切り替え(いわゆるバスター)、

ボールをファールします。

そして、次の投球になると、またバントの構えをします。

ピッチャーが走ってくると、バスターでファールです。

次は、土橋選手はバントの構えをやめます。

ピッチャーがダッシュしないと見ると、

突然バントをしようとして、結局、ボールを見送ります・・・・

などと繰り返しているうちに、相手投手は投球リズムを崩していきます。

実際これどおりの場面があったか分かりませんが、

土橋選手のイメージは、こんな感じです。

つまり、ヒットやホームランを打つ!

(数字として残る好成績をあげる!)

などと自分の立場からみた活躍ではなく、

”その場面において相手が最もしてほしくないことをする”
ということを徹底して、チームを勝利に導いてくれていたのです。

このような打者がクリーンナップにいることにより、

当時のヤクルトは見た目上の戦力からすると

驚異的といえる強さを発揮していました。

その結果、当時の一流どころのピッチャーの多くが

最も嫌な打者として土橋選手の名前を挙げ、

(理由は「何をしてくるか分からない」というものでした。)

また相手チームひいきの野球中継では、土橋選手の打順に回るとアナウンサーが

「嫌なバッター」「いやらしいバッター」「しつこいバッター」

「しぶといバッター」「ねちっこいバッター」等々・・・

ありとあらゆる表現で、悲鳴をあげるという有様でした。

土橋選手の外見はというと、

どこか垢抜けない善良そうな表情で眼鏡をかけていて

”野球選手”というよりは”村役場の窓口の人”のような雰囲気でした。

それがまた、土橋選手のスゴミを増長していたのかもしれません。

もちろん、ヤクルトファンにとっては、

負けムードの試合の空気を一変させてくれる土橋選手は、

これ以上なく頼もしい存在でした。

さて、我々弁護士の仕事も勝ち負けはあります。

そこで、自分の依頼者の相手となる人の立場もよく検討します。

もちろん、ただ徹底的に相手が嫌がることをやるというわけにはいきません。

しかし、相手の喜ぶことばかりしていても仕事になりません。

そのバランスは、事件ごとに色々で、難しいところです。

ただいずれにしろ、相手の立場に立って考え、相手が嫌がること、喜ぶことを把握することは

事件を早期に解決するためには非常に重要なことなので

いつも必死に考えています。

斎藤佑樹は通用するか?

火曜日, 2月 8th, 2011
久しぶりにプロ野球の話題です。

最近、朝のNHKニュースでも

毎日のように斎藤佑樹投手の話題が出てきます。

当初、ヤクルトスワローズ千葉ロッテ

どちらかがとるだろう前評判でしたが、

急遽日本ハムファイターズが参戦し、

結局、日本ハムに奪われてしまいました。

ヤクルトに来ていたら、少しはヤクルトに注目が集まったかもと少し残念です。

しかし斎藤投手は、本当にプロで通用するのでしょうか?

正直、彼のように小柄で球も遅い右ピッチャーで、

プロで通用している人はあまりいないと思います。

ただ、稀に、小柄で球も遅い右ピッチャーが成功するのは、

デッドボールを恐れない強気の内角攻めをするタイプです。

ハンカチ王子がそのようなダークなピッチャーに変身するには、時間がかかりそうです。

斎藤投手のイメージは、荒木大輔投手と重なります。

荒木投手もなかなかプロで通用せず、

最後に強気の内角攻めをマスターして、少し成功しました。

特に、’93年の日本シリーズは、圧巻です。

初戦に先発して、なんと西武ライオンズの中心の石毛宏典内野手にいきなりのデッドボール。

以後、石毛内野手が欠場した西武は調子に乗りきれず、

ヤクルトが日本一になりました。

日本シリーズ6連覇中だった常勝西武がついに日本シリーズで敗れたのです。

正直、このデッドボールは「わざと?」と思うほど好都合だったのですが、

何と言っても”荒木大輔”(さらにこのときは、怪我からの復活という箔もついていました)

のやったことということで、不問となりました。

荒木投手も晩年はそのようなやり口で、なんとか多少の実績を残したのです。

でも、遅い右ピッチャーで苦労したことは、コーチになってから生きます。

現在も、ヤクルトの投手陣は中日ドラゴンズに次いで充実していますが

ほとんど荒木コーチの実績といってよいと思います。

斎藤佑樹が成功するのも、この道かな、と思います。

落合博満氏、野球殿堂入り

土曜日, 1月 15th, 2011
中日・落合監督 ようやく殿堂入り

落合博満氏が、野球殿堂入りを果たしました。

実績からすれば当然ですが、

落合氏は昨年まで、2年連続1票不足で落選していたとのことで

ようやくの殿堂入りです。

落合選手は、私が中高生の頃活躍しており

彼の「オレ流」は私も大きな影響を受けました。

当時、私は何のとりえもなく、自信もない状況でしたが

「オレ流」という言葉にピンときて

「オレ流」をはじめたところ、勉強面では著しい成果が出ました。

(ちなみに、大学受験当時の「オレ流」勉強法3原則は

「問題を解かない」「字を書かない」「調べ物はしない」
でした。)

そんなわけで、落合氏にはとても感謝しています。

さて、実績面では抜群な落合氏が

2年連続で1票不足で落選ということですが

その理由は選考方法が記者投票だからです。

落合氏はマスコミにはあまり好かれていませんので

「好き嫌い」で投票する記者が相当程度いたのでしょう。

同じような記者投票では

「ゴールデングラブ賞」という、守備の名手を表彰する賞があります。

ヤクルトスワローズには

田中浩康選手という、非常に優秀な二塁手がいるのですが

今年もゴールデングラブに選出されませんでした。

田中選手は、ヤクルトでゴールデングラブ賞に選出された

宮本選手青木選手に比べて、はるかに守備は上手です。

選出された阪神の平野恵一選手の守備を私はよく見ていませんが

守備力というより、打撃成績で目立ったため

票を集めたような気がしてしまいます。

田中選手は、単に、有名でなく”地味”というだけで

選考からもれている気がしてしまいます。

選出方法が、メジャーリーグのように選手間投票であれば

田中選手が選出されていたのではないかと思います。

ところで、昨年、ヤクルトの由規投手が161km/hのボールを投げました。

今まで日本人で160km/h以上出した投手はおらず

それまでの日本人最速記録は158km/hでしたから大幅な更新です。

陸上競技だったら、日本人がはじめて100mを9秒台で走ったような快挙です。

私は、その日、試合のテレビ中継を見ていました。

にもかかわらず、翌朝の新聞までこの快挙に気づきませんでした。

それは、テレビのアナウンサーも解説者も

中継の最中、この快挙につて、いっさい説明しなかったからです。

(なお、テレビ上の表示では161km/hと出ず

球場の電光掲示板で161km/hと出たので

テレビを見ているだけではわかりませんでした。)

当然、球場は大きくどよめいたらしいのですが

アナウンサーも解説者も、そのどよめきに気づかないのか?

161km/h出ているのに気づかなかったのか?

161km/h出たことの偉大さを理解できなかったか?

いずれにしろ、「なんだかなあ」

という状況であったことには違いありません。

(ちなみに、以前、当時ヤクルトスワローズの五十嵐亮太投手

テレビの表示上で日本タイ記録の158km/hを連続して記録したときも

アナウンサーや解説者は一切反応せず、別の話をしていました。)

そんな野球マスコミを落合氏が相手にしたくなくなって

そのうちマスコミ側から嫌われてしまった、というのも

よくわかる気がします。

それでも落合氏は、このたびなんとが野球殿堂入りしました。

おめでとうございます。

館山投手 4度目の完封

木曜日, 10月 7th, 2010
今シーズン、セ・リーグでは中日ドラゴンズが、

パ・リールでは福岡ソフトバンクホークス

リーグ優勝を果たしました。

日本シリーズが楽しみですが、その前に

私が応援している東京ヤクルトスワローズで

昨日、うれしい出来事がありました。

館山昌平投手が昨日、今季4度目の完封勝利し、しました。

ヤクルトは6年ぶりに貯金が確定

セリーグで、館山投手の次に完封数が多いのは

広島東洋カープのマエケン(前田)投手他の2回ですから

館山投手の完封の数はダントツといえます。

しかも、8月終りからの2か月たらずの間に4完封ですから

たいしたものです。

館山投手は、神奈川県出身で、日大藤沢高校を卒業、

そして、あのボストン・レッドソックスの松坂大輔投手と同い年です。

横浜高校卒の松坂投手とは

高校時代、県内でライバル?として過ごしています。

松坂投手第70回選抜高等学校野球大会で優勝したとき

館山投手も準決勝まで行っています。

(ちなみにその準決勝の相手関大一高のエースが、

同じく昨日完封した阪神タイガースの久保康友投手です。)

その後、日本大学(横浜ベイスターズの村田修一内野手と同期)

を経て、2002年にヤクルト入団。

2年目にはローテションに入りました。

そのときの印象は、

斎藤雅樹投手
(元読売ジャイアンツ投手。

現在は読売ジャイアンツ1軍投手コーチ。

個人的には日本プロ野球最高の投手では?と思っています。)

と投げ方や球筋が似ているな。

これは大化けするかもしれない。将来が楽しみだ!」

というものでした。

ところが、その後は、当時の古田敦也監督のもと便利屋的に使われ

今ひとつ伸びませんでした。

特に、2007年は好投するものの、援護にめぐまれず

3勝12敗という、数字上はひどい成績でした。

ただ、今思えばこの2007年の苦難が

”負けない投手”への変身の転機だったように思います。

翌2008年は12勝3敗

セリーグ最高勝率で初タイトル、

2009年は、16勝6敗

最多勝獲得。

このあたりから、館山投手の表情にも変化が。

大黒顔でにこやかに余裕綽々と投げる雰囲気も

斎藤雅樹風になってきましたように思います。

そして今年、一時期戦列を離れたせいで

タイトルはなく、12勝7敗という結果でしたが、

完封の数はダントツの”4”でした。

ここ3年間を振り返っても

40勝16敗という成績はセリーグではNO.1だと思います。

今後も怪我をせず活躍して

松坂投手斎藤投手に負けない大投手になることを期待して

応援していきたいと思います。

ヤクルトスワローズ、来季は小川監督

水曜日, 9月 22nd, 2010
ヤクルトスワローズの来季監督は
小川監督代行が正式に監督になることになりました。

小川氏が監督代行に就任してからの成績は目を見張るものがありました。

ただ何しろ、スワローズファン以外にとっては

「小川淳司って誰?」と言うほど、地味な人物なので

球団としてもかなり迷いがあったのではないかと思います。

選手時代は1軍にいることは多かったのですが

レギュラーに定着することはありませんでした。

そういう人が監督になるのは、最近では珍しいと思います。

一昔前の広島東洋カープの阿南監督三村監督も地味でしたが

小川監督はさらに選手時代の実績は小さいといえます。

ちなみに、彼らの選手時代の安打数は

小川412安打、阿南746安打、三村1245安打です。

なお、現在のセリーグのプロ野球監督の野手出身監督の安打数は

落合監督(中日ドラゴンズ)2371安打、真弓監督(阪神タイガース)1888安打
原監督(読売ジャイアンツ)1675安打、野村監督(広島東洋カープ)2020安打

という具合です。

小川監督の実績が見劣りすることは一目瞭然です。

しかし、こういう出来事は気分がいいですね。

選手としてはパッとしなくても

その後地道にコーチや二軍監督を続けているうちに

人望を買われて、ヘッドコーチになり

思わぬきっかけで監督代行→監督です。

野球選手という人生を選んだ上で

選手として実績を残せなかったら、それで終りという面が強いですが

まじめに目の前の仕事に取り組んでいると

思わぬチャンスが巡ってくることもあるようです。

さて、このチャンスをいかして

名監督として、名を残すことができるのかどうか

それは来季以降にかかっています。

(まだ、今季もわずかにチャンスがありますが・・・。)

と期待もふくらみます。

でも、小川監督の雰囲気からすると

広沢選手や池山選手を育てて

ヤクルト黄金時代の基礎を作った関根監督のような役割を

期待した方がいいのかもしれません。

前半戦終了(プロ野球)

金曜日, 7月 23rd, 2010
プロ野球の前半戦が終了しました。

東京ヤクルトスワローズは、高田監督辞任

小川監督代行のもと持ち直して4位に浮上し

僅かに望みをつなぎました。

浮上の理由は色々ありますが

外野手 飯原誉士選手をクリーンナップに固定したことが大きいと思います。

飯原選手は、俊足、強肩で長打力もあり

一流選手になる素質十分でありながら

ポカが多くて、なかなかレギュラーに定着できなかった選手です。

レギュラーをつかみかける

打撃不振になる

我慢して使ってもらう

ポカをする

レギュラーを外される
ということを繰り返してきた選手です。

しかし、さすがは2軍監督歴が長く

選手のよいところを伸ばすのにたけた小川監督代行

飯原選手がポカをしても

基本的にはクリーンナップで使い続け

ヤクルトの一番の弱点、攻撃面での決定力不足を解消しました。

プロ野球の(特に弱い球団を応援する)ファンは

その場の勝ち負けだけでなく

選手が育っていくのを楽しみにしています。

そういう面では

素質ある選手を我慢して使う小川監督代行の野球は

見ていて楽しめます。

(彼らが育てば、

ヤクルトもいずれは強くなるはず!)

高津臣吾投手

水曜日, 6月 23rd, 2010
岩瀬 通算252S!歴代2位に並ぶ
中日ドラゴンズの岩瀬仁紀(いわせひとき)投手が

歴代2位タイ(元横浜ベイスターズの佐々木主浩(ささきかづひろ)投手に並ぶ)

の通算252セーブをあげました。

歴代1位は、元ヤクルトスワローズの高津臣吾(たかつしんご)投手です。

しかしヤクルトファンとして高津投手を見てきた印象からすると

高津投手は少なくとも素質的に

岩瀬投手や佐々木投手には遠く及ばないピッチャーだった気がします。

それは数字にもあらわれていて

通算防御率でいうと、高津投手は3.20、岩瀬投手2.05、佐々木投手2.41と

高津投手は後者2投手に比べて明らかに劣っていました。

優秀な抑えのピッチャーの典型は

分かっていてもなかなか打てないストレートと

鋭いフォークかスライダーを武器に

バッターを力で押さえ込むタイプです。

高津投手は、まあまあのスピードのストレートと

遅いシンカーでバッターのタイミングを外して打ち取ります。

ねらい打たれることも多く、リリーフ失敗もよくありました。

リリーフに成功するときも

ピンチを招いてからようやく抑えることが多く

その様子は”高津劇場”といわれていました。

長期間怪我をせず、岩瀬投手や佐々木投手のような通算防御率であれば

大きな記録を成し遂げるのは、ある意味当然と言えないこともないように思います。

しかし、防御率3.20という

まあまあ程度の防御率の高津投手が

大きな記録を成し遂げた要因は”勝負度胸”にあると思います。

防御率3点台のピッチャーが抑えを任されると

リリーフに失敗することも少なくないでしょう。

リリーフ失敗は、精神的には酷なことだと思います。

それまでの味方の頑張りをつぶしてしまうわけですから・・・。

(高津投手が、若いピッチャーのプロ初勝利をつぶしてしまう場面も

一度ならずあった気がします。)

そのようなことが続くと、

プレッシャーも重くなりそれまでの自分のピッチングができなくなり

防御率3点どころでない、駄目ピッチャーになってしまうことでしょう。

高津投手の尊敬すべき点は

仮に2日連続で、ゆるいシンカーをねらい打たれてリリーフ失敗していても

3日目の満塁のピンチで、またゆるいシンカーを投げられることだと思います。

失敗が続いても自分のピッチングを維持し

1年が終わってみると、セーブ王のタイトルを取っていたりします。

素質的にずば抜けたものがなくても、大成できる。
高津投手のピッチングはそんな好例だと思います。