考えは量子的?
久しぶりに物理学系の本を読んでいますが,やはり量子力学というのは,感覚的な把握が難しいですね。数学的理解をすれば違うのかもしれませんが,ちょっとそこまでは無理そうです。
というところで,これ以下に書くことは,私なりの適当な理解に基づいて書いています。
量子の不可思議な性質のひとつに,どこにあるのかはしっかり確定できず,どこにある確率は〇%,どこにある確率は△%というふうにしかわからない。ただ,観測すると,どこかにあったこと確定してしまう。というようなものがあります。
そういうものが世の中にない気がしているので,想像できず理解できない。というのが一般的なところです。
でも,人の意見とか考え,気持ちなんていうものは,同じようなものではないかと思います。
ある人に,意見なり(政治的意見にしろ,プロ野球での起用の是非にしろ),好み(食べ物にしろ,人にしろ)を聞いたら常に確定的な答えが返ってくるかというと疑問です。そのような実験は無理ですが,あるタイミングで聞いた場合と,その1時間後に聞いた場合とで,同じ人が同じ問題について異なる意見や好みを表明するということはいくらでもあるだろうと思います。
少なくとも,自分の考えの動きを観察している限りは,そういうことになりそうな気がするし,他人がそれと異なるという感触もありません。
ただ,ある意見をひとたび口外してしまうと(少なくともその人との関係では),その人の意見は確定的になっていく面があります。
つまり,聞く前はある人の考えは,聞くタイミングによって〇%でA意見,△%でB意見という実態があり,実際に聞くとA意見なり,B意見に確定するというのではないか,ということです。。
となると,量子的な出来事は,自分の頭の中で巡っている考えだったり,身近なおしゃべりだったりという形で極めて身近な可能性があります。
それでも,理解できないのは,身近でないからではなく,人間の認識構造がそういうことを拒否するようにできていることが理由の気もします。
上記に書いたように,人の意見や考えが実際にはかなり適当で,聞くタイミングによってコロコロ変わるに違いないとかいうこと自体を,人間は理解できなような認識構造を持っている,自分の考え・意見・思いは確定的でしっかりしたものであるということを前提に物事を考えるようにできているのかも,と思います。