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エースと4番

火曜日, 9月 17th, 2019

スワローズの館山と畠山が引退するとのことです。
ここ30年の歴史の中でのエースと4番の引退ともいえます。



館山はエースと呼ばれることはなかったと思います。せいぜい,石川との対比で「右のエース」という程度の扱いです。
私は松岡弘の全盛期は知りません。それを前提にしたうえで,館山はもっともエースと呼ばれるにふさわしい投手だったと思います。
尾花や石井一久もエースと呼ばれるにふさわしい投手だったと思います。ただ,3シーズンなり4シーズンにわたって,「今日は〇〇だからまず負けないだろう」という安心感があったピッチャーは館山だけです。
調子がよければ2塁を踏ませないし,ちょっと調子が悪くても投球術を駆使しながらその日に使える球種を見極めて0点に抑える。かなり調子が悪くても,勝ち越し点を許さないギリギリのところで踏ん張る。
目立ったタイトルは2009年の最多勝だけです。ただ,それ以外のシーズンも,安定した投球を続けていました。ただ,この時期,抑えが 林昌勇 で,館山同様右の横手投げでタイプが近かったせいか,館山先発時によく撃ち込まれた,ということもあっていまいち勝ち星が伸び切らなかったという面もあります。
2008年勝率一位,2010年完封数と無四球完投数一位,2011年完封数と完封数一位というあたりから,エースっぷりがわかります。
地味でしたが,いまのヤクルトの現状からすると,こういうエースが欲しいです。



畠山も地味です。バレンティンや山田と時期が重なっているだけに目立ちません。
過去のヤクルトに,外国人選手でしたら素晴らしい4番バッターは何人もいます。でも,日本人となると,(古田も1997年に4番を打って日本一になりましたが),やはり広沢か畠山か,ということになります。
広沢はリーグ連覇のときの4番です。畠山があらわれるまでは,ヤクルトの4番といえば広沢と思ってました。とはいえ,広沢は,(巨人に行ってしまったし)結構たよりない感じがつきまとっていました。
畠山も,頼りない雰囲気があります。ところが,畠山の活躍期間において,畠山の活躍とチームの状況がほぼ一致しています。
2010年高田監督途中退任後の快進撃のとき,その翌年の優勝目前までいったとき,中心にいたのは畠山でした。真中監督で優勝したときも4番は畠山です。
よいときの畠山の特徴は,殊勲打,つまり同点打,逆転打,勝越打が多いことです。点差が開いてどうでもよいところでは打たないが,ここ一番で打点を挙げます。
2011年はリーグ4位の28殊勲打,2012年はリーグ7位の20殊勲打,2015年はリーグ2位の30殊勲打です。
殊勲打が出る状況は,相手のピッチャーは,先発か,勝ちパターンの救援になりますので,好投手に強いということです。
名目上の成績はともあれ,4番にふさわしい選手でした。



そんなわけでエースと4番の引退となったヤクルトですが,現状を立て直すには,なかなか課題が多そうです。