Archive for 1月, 2017

本能のままに

火曜日, 1月 31st, 2017
法曹時報という法曹向け(法曹向けの本の中でも最も固めで,一般法曹向けというより勉強熱心な一部の法曹向け)の雑誌があります。

最近68巻11号で,認知症高齢者の電車事故について,家族の賠償責任を否定した最高裁判所の判決についての論考が記載されていました。

上記最高裁に違和感を感じる法曹の根っこには,「被害者は必ず救済されるべし」「被害があるからには誰かが責任を負うべきである」という正義感がある。
筆者が学んだアメリカではこういう発想はなく,原則として被害は被害者が負担するもので例外的にのみ加害者に請求できるという公平感がある。
今後,高齢化社会が進展するにあたって,日本の法曹の正義感は不合理なことになるので,修正するのが相当

といったような内容です。

私自身も,この種の正義感には違和感を感じていたのですが,アメリカから輸入された正義感だとばかり思っていたので,びっくりでした。

嫌なことがあれば,それが事故であれ,病気であれ,不愉快であれ,誰か悪いヤツを探し出して賠償させるというようなことに日本の不法行為法は使われています。そして,賠償範囲の拡大はとどまるところを知りません。
法律が適当で,悪いことをしたやつに賠償させることができる,という程度のことしか書いていないので,悪いことがどんどんひろがっていってしまって,最高裁が必死にとどめているというのが現状です。
弁護士としては,勝てる可能性がある以上,依頼者が求めてきたら賠償請求せざるを得ない(もちろん,当事務所もそうします)ので,この状況を変えるには,適当すぎる法律の条文をも少し具体的なものに変えるしか無いのではないかと思います。

まあ,不愉快な気持ちが生じたら,その原因を探し出し(原因が見つかるまでは落ち着かない。間違ったものにしろ原因を決めれば落ち着く),攻撃可能であれば攻撃を開始するというのは,脳の本能というようなものです。日本の正義感は本能に即したものといえるでしょう。それに油をそそぐか,冷静な判断をするような枠組みをつくるか,そういう問題なのだと思います。

すごい実行力

日曜日, 1月 29th, 2017
アメリカでトランプ大統領が就任したとたんに、公約の実行を推し進めています。

トランプ大統領に否定的だった人は、公約は選挙向けのものであり、大統領に就任した場合は「常識的」な政策をとると期待していたのかもしれませんが、まったくの期待外れのようです。

公約違反とか、違反しなくても政策の実現には時間がかかるのが当たり前の感覚だった中で、このトランプ大統領の行動はすごいと言わざるを得ません。
これが、職業政治家ではなく、ビジネスマンであるということかもしれません。あれこれ考えたところで、正しい方法等わかるはずもない。とりあえず実行してみて、間違っていたら修正すればよい。ということなのでしょうか。政策の中で、当然うまくいかないこともあると思いますが、その場合にどう対応するのか、仮に君子豹変ができるとすれば、名大統領の目がでてきます。

正直、トランプ大統領の政策はおっかなさがあり、肯定的なことを書いてあとで後悔するのではないかという気持ちも常にあります。ただ、政策のようなものの是非は、根本的には人間には判断のしようなどなく、それがわかっていながら、脳の活動のサガとして、まったく意味がないのに色々と理屈をつけて考えてしまうようなものだと思います。

もっと単純な問題で、株の売買を考えても、得をしたか損をしたかなんて根本的にわかりようがありません。
ある株を買って、売るときに値上がりしていたら得、値下がりをしていたら損というのが第一の結論です。
でも、得をしたと思っても、翌日にさらに値上がりしていたら、昨日売るより今日売るほうが得だったということになります。
判断基準が、買った時を基準にするか、売った時を基準にするかという問題です。
買ったときの基準にしても、得をするならもっと多く買っておくということもできたのですから、その程度しか買わなかった判断により損をしたといえます。
また、買った株よりももっと値上がりした株があったのであれば、そちらを買ったほうがよかったことにもなります。

結局のところ、第一の結論は、ある一定の時点で一定の金額を普通預金にいれておくか特定の株を買うかの二者択一の選択肢しかなく、かつ特定の日にその株を全額売るという極端に限定された仮定を置いた場合の損得判断なのであって、無数の選択肢がある現実の状況ではほとんど意味がない判断だといえます。

仮に、あるときに全財産を原資に買った株がその後ほかの株に比べて圧倒的に値上がりし、それをすべて売却した日を境に暴落したとしたら、得をしたと言わざるを得ないでしょうか?その場合だって、借金をしてもっと買えばもっと儲かったわけです。その他さらに、極端に考えていけば、どうみても得という場合はあるかもしれませんが、非現実的な話になるでしょう。

何人の運用の巧拙を判断する場合も同様で、一定の日に同時に運用を始めて、一定の日の残高で勝負を決めるというようなゲーム的なルールであれば、そのゲームでの勝敗判断はできると思います。が、能力の差を統計的に優位な程度に判断するには、かなりの回数のゲームが必要でしょうし、本当に統計学的前提が適用できるのかどうかすら怪しいものです。

というところで、少なくとも一定時点間、限定条件下での損得が比較的わかりやすい株の売買ですら、その損得、巧拙が人間にはわかりようがないことは明らかです。ましてや、さらに複雑で、同時に比較することもできず、評価にあたって何の指標を用いるべきかを判断することもできず、偶然的な外部的要因の影響も大きいような政治家が行う政策について、人間が、事前にはもちろん事後的にすら判断できようもないことは明らかです。

たとえばメキシコとの国境に壁を作る政策と作らない政策。壁を作った場合は、作らなかった場合は想像するしかない。経済成長率なのか失業率なのかいったい何の指標で成否を判断するのか。まあ、わかりようもない気もします。

ということで、過激な政策はおっかないですが、どうせわからないということで、しばらくはトランプ劇場をみていくことになるでしょう。

 

セント

土曜日, 1月 21st, 2017
いまさらのようですが,大河ドラマの真田丸が終わり,別の大河ドラマが既に始まっています。

9月頃に,どうにも主人公がダメだと書いた後あたりから,主人公の幸村にも多少覇気がでてきて,マシになりました。
とはいえ,振り返ると全体的に面白かった中で,主人公の存在感の弱さがもっとも気になった点でした。
以前の真田太平記でも幸村がいまいちだったので,ちょっと考えてみました。

そもそも,真田幸村はなぜ有名なのか,というと実は現代日本人には理解しがたい宗教的な意義があると思います。
朱子学の発想でいえば,ダメな主君に最後まで忠義を尽くす有能な家臣というのが,忠 の見本です。
そして,その価値を体現した一人が幸村であり,宗教的表現をすれば,殉教者だったり,聖人だったりする,そういう人なのだろうと思います。
楠木正成や大石内蔵助なんていうのも,同じような方でしょう。

つまり,キリスト教圏で,セントだ,サンタだ,サンクトだという後に名前がつくような,宗教的な感動を呼び起こす殉教者という側面が真田幸村にはあったのではないかと思います。

もっとも,現代人にはそのあたりは全く理解不能。ほとんど共感を持ちえない。その結果,物語は現代風の自己実現的なものになってしまう。
ところが,自己実現の話としては,やはり幸村の行動はとらえきれないものがある。おのずと存在は曖昧になり,現代人にも理解しやすい真田昌幸が魅力的になる。
そんなところでしょうか。

ところで,10月頃から,トルストイの戦争と平和を読んでいます。
この小説での戦争とは,ナポレオンがロシアを攻めたときの戦争です。

で,ちょうど真田丸で大坂方の幹部のダメっぷりが描かれて,それが敗因のような描かれ方をしている中で,戦争と平和では,ロシア側の無策もろもろの大坂方と重なるようなダメっぷりが,結果としてフランスがモスクワまで進むことにつながり,最終的なナポレオン軍の壊滅をもたらしたかのように主張されていました(この小説は小説中に著者の主張がちりばめられている)。ちょうど,タイミングが重なり,面白かったです。
もっとも,ダメだからこそ勝ったというのは事実としてはそういうこともあるだろうし,逆説としては面白い。でも,人間の認識構造は勝ったという結果をもとに何故勝ったのか考え,わかりやすい原因と結果の連鎖をみつけて学習するということだろうから,本当に「ダメだから勝った」ということを受け入れることはできないようにも思えます。