stap

STAP細胞が世の中を騒がせています。

STAP細胞の真偽によって,今の騒動の位置づけも
大きく変わってくるのでしょう。
怪しげな騒動事件なのか,
世紀の発見に伴うエピソードなのか。

哲学というのは,ある意味科学・学問になる前段階の
諸々の知的な営み,という面があります。
ある人の考えを,検証・反証し共有できる状況になって
科学なり学問なりになります。
たとえば,カントの認識論は,そういう検証ができないままですので
カントに対する尊敬に基づいて,その思想を研究することはできても
認識論という学問にはなっていません。だから哲学です。
STAPの有無ということは,哲学・思想ということではなく,
他の人も再現できて検証できるか,ということで真偽を明らかにできるはずです。

そういう点では,小保方氏の会見は,STAPの真偽において何ら意味はないはず。
ですが,諸々で,小保方氏に同情的な意見も多く耳にします
その多くは,STAPも真実なのではないかとの印象をほのめかしています。
これは,弁護士の立場からすると興味深い。
やはり,どのような見た目・属性の人が,どのように発言するかによって
本来,無関係なところについて,心証が形成されるというのが人間のクセなのでしょう。
仮に,落合博満氏のような人が,お前らに言ってもどうせわからないだろうけど
という態度で,概念的にはほぼ同内容のことを伝えたとしても
STAPは真実なのではないか,と思わせることはできなかったように思います。

まあ,科学的に立証できなくても,これだけ多くの人が信じている状況であれば
商業的には価値がありそうです。
リケンのSTAPスープとか,健康補助食品として生き残るのかも知れません。

 

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