歩く
土曜日, 8月 6th, 2011
甲子園がはじまったようです。
この夏の炎天下で、 野球をするのも大変ですが、
甲子園に出たとなれば、一生モノの記念碑でしょうから、
普通の高校生からしたら、とてもうらやましいことでしょう。
さて、私は高校生のときは、山岳部。野球のような、花道はありません。
そんな中、横浜から富山まで歩くことにしました。
35キロ程の荷物を背負い、駅舎等で泊まりながら、一人で、ひたすら歩きました。
足は靴擦れだらけで、はりで水ぶくれの水を抜いても、その中にまた水ぶくれができるし、
荷物は重くて肩や背中が悲鳴をあげるし、ひたすら苦痛に耐えるような行でした。
人から見れば意味不明の行いですが、
それをやり遂げたことで、それなりに自信になりました。
素質に恵まれない人間が、何か自分の中で自信を作るには、
苦痛に耐え抜くというのが、ひとつのやり口かもしれません。
前に進むのは痛くてきついだけだし、誰に命じられたわけでも、
誰に望まれているわけでもないという状況で、
とにかく一歩一歩、あと10分は頑張ろう、を繰り返しながら前に進み続ける
というある種の精神的な訓練は、今でも役に立っている気がします。
この夏の炎天下で、 野球をするのも大変ですが、
甲子園に出たとなれば、一生モノの記念碑でしょうから、
普通の高校生からしたら、とてもうらやましいことでしょう。
さて、私は高校生のときは、山岳部。野球のような、花道はありません。
そんな中、横浜から富山まで歩くことにしました。
35キロ程の荷物を背負い、駅舎等で泊まりながら、一人で、ひたすら歩きました。
足は靴擦れだらけで、はりで水ぶくれの水を抜いても、その中にまた水ぶくれができるし、
荷物は重くて肩や背中が悲鳴をあげるし、ひたすら苦痛に耐えるような行でした。
人から見れば意味不明の行いですが、
それをやり遂げたことで、それなりに自信になりました。
素質に恵まれない人間が、何か自分の中で自信を作るには、
苦痛に耐え抜くというのが、ひとつのやり口かもしれません。
前に進むのは痛くてきついだけだし、誰に命じられたわけでも、
誰に望まれているわけでもないという状況で、
とにかく一歩一歩、あと10分は頑張ろう、を繰り返しながら前に進み続ける
というある種の精神的な訓練は、今でも役に立っている気がします。