Archive for 8月, 2011

SFコーポレーションが破産

火曜日, 8月 30th, 2011
株式会社SFコーポレーションが破産になりました

これにより過払い金については,通常の回収方法ではなく,
破産手続きと配当に委ねられることになります。

SFコーポレーションは三和ファイナンスという商号だった頃から,
過払いの回収に手間がかかる業者でした。
そのような事情から,過払い金債権者による破産申し立て等もありました。
そのときに,破産を何とか避けようとしていたので,
破産をできない事情でもあるのかな,と思っていましたが,
結局破産してしまいました。

破産手続きの中で興味がある点が二つあります。

一つは,取引履歴の消去との関係です。
SFコーポレーションは,10年程度分の取引履歴しか出さずに,
それ以前は抹消したと主張してきます。
これが本当なのかどうか,しっかりチェックし,それが虚偽であった場合は
しかるべき対応をとってもらいたいと思います。

もう一つは,武富士と同じように潜在的な過払い債権者に対して
一斉に,通知を出すのかどうかです。
多重債務に陥る場合,武富士やアコム等の大手から借りている人は
大手ばかりから借りていることが多く,
SFコーポのような準大手から借りている人は,準大手から借りていること
が多いという傾向があります。
そこで,武富士の一斉通知を受けなかったが,準大手クラスとの取引は
あるという人は相当程度いる可能性があります。
そこで,もしSFコーポも一斉通知をすると,それをきっかけに
ほかの業者の過払いに気づく人も相当程度出てくる可能性があります。

報道によると,最近は大手業者に対する過払い請求が減ってきているとのことです。
実際,その影響か,過払い回収の交渉において,
大手業者が以前より提示条件がよくなってきている気がします。
そんな中でのSFコーポレーションの破産ですので,
少し意外でした。

バッテリー上がり

木曜日, 8月 25th, 2011
先日、車のバッテリーが上がりました。
どうも、バッテリーが上がりやすい車のようで、
2年前にも上がって、バッテリーを交換したのですが、
また、あがってしまいました。

バッテリーがあがっても、今は色々サービスがあるので、
電話一本で、引取りに来てくれて便利です。
でも、バッテリーについては、苦い苦い思い出があります。

高校生の頃、原付に乗っていました。
ヤマハのキュートという、スクーターです。
当時はスクーター花盛りの時代で、色々性能のよい
のもありましたが、とても地味で遅いスクーターでした。

でも、遅いだけならよいのですが、何故か、
バッテリーが充電されないという欠陥を抱えていました。
家庭用の充電器で、しっかり充電すればしばらく
使えるのですが、だんだん、残りがなくなって、
そのうち、セルモーターが回らなくなって、
エンジンを掛けられなくなります。

本当なら、エンジンが回っている間、
バッテリーが充電されるはずなのですが、
充電されないのです。

バッテリーを交換しても改善しません。
また、バッテリーがあがっても、エンジンがまわっていれば、
ライトはつくので、発電装置が壊れているわけでもなかった気がします。
原因は良く分かりませんが、結局直りませんでした。

その結果、ふと遠出して、エンジンを掛けようとすると、
かからないということが何度となくありました。
また、エンジンが回っていても、信号停車中に、
アイドリングが不安定になって、パタとエンジンが止まり、
再度かけることができなくなる。ということもありました。
それが、怖くて、いつも信号待ちではふかし気味にしてました。

エンジンが止まって、動かなくなったため、2時間くらい
スクーターを押して家まで帰ったことが何度かあった気がします。
途中のガソリンスタンドで頼めば、エンジンを掛けてくれるの
でしょうが、内気でなかなか頼めず、
これだけひどい目にあっても、頑張って押していれば、
いつか、いいこともあるはずだ、なんてブツブツ考えながら、
スクーターを押して、歩いていきました。

そんなせいで、しばらくはバッテリー上がりトラウマで、
バイクを買う場合も必ずキックがついているものにし、
車も始めた買った車は、いざというときに、押しがけができる
マニュアル車でした。
でも、その後は、 さすがにそういう目に会うこともなく
現在に至っています。
我慢して、ブツブツ歩いていた成果かもしれません。

 

簡易裁判所の管轄

木曜日, 8月 18th, 2011
裁判所には、場所による管轄があります。
裁判の当事者と、無関係な場所で裁判はできないルールです。

基本的には、相手の住所の場所を管轄する裁判所になりますが、
訴える側の住所でできる場合も多くあります。

管轄の違うところで裁判をしようとしても、管轄違いと言って
本来の裁判所に移されてしまうことが通常です。
そんなわけですから、管轄がどこかは大切です。

さて、当事務所の主事務所は二俣川にあり、横浜市の旭区、
瀬谷区のほか、泉区の方も多く相談に見えます。
その横浜市泉区の、簡易裁判所の管轄は、なんと鎌倉簡易裁判所なのです。

泉区の住民の一部は、横浜市営地下鉄の沿線ですので、そちらの方にとっては
戸塚から鎌倉に行くことは、まあ許容範囲かもしれません。
でも、泉区の住民の多くは、相鉄線の沿線に住んでいます。
相鉄線の沿線から、鎌倉と言ったら、かなり遠いです。

ちなみに、横浜地方裁判所本庁管轄内には5つの簡易裁判所があります。
泉区の弥生台駅から、各簡易裁判所の近くの駅に行く時間は
藤沢簡易裁判所(藤沢駅) 25分(電車17分+徒歩8分)
神奈川簡易裁判所(東神奈川駅)29分(電車24分+徒歩5分)
横浜簡易裁判所(日本大通り駅)32分(電車30分+徒歩2分)
保土ヶ谷簡易裁判所(星川駅)35分(電車17分+徒歩18分)
鎌倉簡易裁判所(鎌倉駅)45分(電車32分 +徒歩13分)
(とりあえず近くの駅に10時につく場合として、乗り換え検索サービスで調査)
(徒歩はグーグルマップでの徒歩ルートでの時間)

と総時間でも電車の時間でも一番遠いのです。

本来は近くの場所を管轄の裁判所にするという当然のことが
逆の状況になっています。

なぜ、こうなっているかと言うと、現状は合理性がないのですが、
歴史的な合理性があります。
つまり、泉区はもともと戸塚区が分裂してできた区です。
戸塚区のメインは横須賀線の沿線ですから、鎌倉は遠くありません。
そして、戸塚区から泉区が行政の問題で分割されたとき、
裁判所はきちんと対応を考えずに、機械的に旧戸塚区を
鎌倉簡裁の管轄にしたものと思われます。

簡易裁判所は額が小さい事件が多く、弁護士に依頼せず、自分で裁判所に
行くことが多い場所です。そういう意味では、管轄の便利さは、より重視されるべきです。
そして、そのような苦情は、たくさん簡易裁判所の受付段階では言われているのだと
思いますが、その声は、全く上のほうには上がっていないようです。

 

不愉快と愉快のバランス

水曜日, 8月 17th, 2011
今期好調のヤクルトも最近は失速気味です。
例年そうですが、ヤクルトが負けると不機嫌ですし、
連敗が続くと、ずっと不機嫌です。
そうなると、あまり試合も見ないのですが、
気になって、ちょこちょこ試合経過をみて、
やはり負けていて、不愉快な気持ちになります。

この不愉快な気分なしで、
勝ったときだけ愉快な気持ちになれればよいのですが、
なかなかそうもいきません。

負けたときに不愉快になるだけの関心があるからこそ、
勝ったときに心底うれしくなって、気分良くなれるのでしょう。

そうすると、愉快と不愉快は、結局はゼロサム(差し引き0)?
という気もします。
でも、やたらご機嫌な人や、やたら不機嫌な人も世の中にはいる気もします。

仮にゼロサム だとすると、愉快も不愉快もないよりは、
愉快も不愉快も十分にあったほうがよい気がします。

さて、ヤクルトが強い年は、気分も良く、何事もよいかというとそうでもなくて、
平成9年の野村ヤクルトが最後に日本一になった年、
私は、司法試験受験中で、史上最短合格計画と称して、ぎりぎりの勉強をしていました。

しかし、ヤクルトが余りにも強いと、ついつい試合を見続けて、ついでに
夜のスポーツニュースををハシゴして、となって・・
あと少しのところで、史上最短合格計画は失敗に終わってしまいました。

もっとも、それでもう一年じっくり勉強できたことが、今の糧になっていることは確かなので、
何が本当によいのかは良く分かりません。

石井一久~「好きこそ」でないから、未完の大器~

日曜日, 8月 7th, 2011
西武の石井一久投手が、史上最速で20人目の2000奪三振を達成しました。
先日、ヤクルトのエースは誰かということを書きましたが、その前のエースは間違いなく石井一久です。

石井一久は、この2000奪三振もそうですが、実績十分なベテラン一流選手ですが、未だに未完の大器の趣があります。
普通、未完の大器とは、実績のない若い選手に使う言葉で、そのうち消えていくか、一流になっていきます。
ですから、すでに一流になった石井に未完は、変なのですが、
本当は、超一流、もっと言えば、日本史上最高の投手になれないまま、ここまで来てしまった感があります。

今回の、2000奪三振も今までの最速記録は、日本史上最高との声が多い江夏です。
また、江夏も野茂も達成できなかった、シーズン奪三振率11超えを達成したのも石井だけです。
他の一流・超一流選手がどこかで、三振へのこだわりを捨てて、勝ちにこだわりを持って
実績を重ねるのに対し、石井は三振へのこだわりを捨てずに、ここまで来たのかもしれません。

メジャーでも、石井は前半戦は気が向くのか、調子がよく、シーズン終盤になって失速を繰り返しました。
その結果、2002年から2004年の3年間の前半戦だけの勝利数29はメジャー最高となります。
つまり、この3年間の前半戦ではメジャーナンバーワンとも言える活躍をしています。

こういうエピソード的な部分では、石井の超一流の片鱗はたくさんあります。
でも、現在の実績は、一流ですが、超一流にはとどかないままです。
そして、まもなく引退するだろうという気がします。

その石井の言葉は独特ですが、基本トーンとしては、
「野球はそれほど好きでない」というものです。
つまり、「好きこそものの上手なれ」ではありません。
その中で、人並みはずれた素質を頼って、一流の成績を上げてきているようです。
もし、野球が好きになって、イチローのように励めば、きっと超一流で
メジャーでも有数の選手になったのではないか、という思いがあるせいで
未完の大器といいたくなるのかもしれません。

自分の仕事について,素質に恵まれていても,好きになれるとは限りません。
そういう人にとって「好きこそ物の上手なれ」というのはプレッシャーです。
好きになるかどうかは,努力では,何ともならないからです。
そんな中,好きでないと言いながらも,一流といえる成績を残し続ける
石井一久は,独自の光を放っていると思います。

 

歩く

土曜日, 8月 6th, 2011
甲子園がはじまったようです。
この夏の炎天下で、 野球をするのも大変ですが、
甲子園に出たとなれば、一生モノの記念碑でしょうから、
普通の高校生からしたら、とてもうらやましいことでしょう。

さて、私は高校生のときは、山岳部。野球のような、花道はありません。
そんな中、横浜から富山まで歩くことにしました。
35キロ程の荷物を背負い、駅舎等で泊まりながら、一人で、ひたすら歩きました。

足は靴擦れだらけで、はりで水ぶくれの水を抜いても、その中にまた水ぶくれができるし、
荷物は重くて肩や背中が悲鳴をあげるし、ひたすら苦痛に耐えるような行でした。
人から見れば意味不明の行いですが、
それをやり遂げたことで、それなりに自信になりました。

素質に恵まれない人間が、何か自分の中で自信を作るには、
苦痛に耐え抜くというのが、ひとつのやり口かもしれません。

前に進むのは痛くてきついだけだし、誰に命じられたわけでも、
誰に望まれているわけでもないという状況で、
とにかく一歩一歩、あと10分は頑張ろう、を繰り返しながら前に進み続ける
というある種の精神的な訓練は、今でも役に立っている気がします。

 

15~16年ぶりのランニング

水曜日, 8月 3rd, 2011
ここのところ、仕事上も、休日を過ごす上でも、体力の低下を感じることが多くなりました。

そんな折、子供に水泳を教えようと思い立って、休日に子供と一緒にプールに行って、
子供が休んだ隙に、少し泳いだりして、久しぶりに息が切れるような運動をしはじめました。

でも、昔からプールで泳ぐのは、独特の疲労感におそわれていましたが
、その状況がさらにひどくなっています。
プールから帰ってくるとぐったりで、ますます体力の低下を感じています。

そこで、山小屋での夏休みには、久しぶりにランニングをしようと決意し、
それにそなえて、靴と服を買って、持って行きました。
多少、覚悟やエネルギーがいることをする上で、とりあえずモノを買うというのは、
なかなか効果的です。
消費したうしろめたさを消すために、頑張らざるを得ないからです。

そんなわけで、初日、久しぶりのランニングです。
記憶にあるのは、平成7年か8年頃、銀行の札幌支店に勤めていた頃に、
ふと思い立って、走ってみたら、思いの他、そうそうにばてて、体力の低下に気づいたときのこと。
おそらく、それ以来のランニングの気がします。

そんなわけで、そうそうにばてて、懲りないようにするために、初日は、とにかく10分間は、
走っているような格好をし続けることを目標に、スピードは精一杯ゆっくりにして、
走ってみました。5分位すると少し楽な気がしてきて、なんだかんだで、15分程は、
走るような格好をしていました。
走るような格好というのは、実際にはとても遅くて、少なくともランニングではなく、ジョギング、
もしかしたら、競歩の逆で、歩くような速度で走っている真似をするような状況だったからです。

2日目は、コースを変えます。場所は山の中です。坂だらけです。まずは、ひたすら下ってみます。
そして、後半に上る状況ですが、足があがりません。また、競歩の逆状態でした。

3日目は、子供も一緒に来ます。でも、だいぶ調子が出てきました。子供が休んでいる隙に、
坂を駆け上がるダッシュを試みてみたりする 余裕が出てきました。
ランニングのごときことを、3日も続けてするのは高校のとき以来だと思いますが、
確かに、こんな感じだった気がします。

それからしばらく雨ではしれず、中2日ほどあいて、4日目に走りました。
このときは、25分ほど、走り続けることができ、今年の夏はこれで終了です。

これで、1年分の貯金ができて、1年間、体力満点ですごせればよいのですが、
そいういうわけにも行かないので、山小屋に行った折には、引き続き走ってみようかと
思っています。