法律家の言う「論理」

法律家、つまり弁護士とか裁判官とか検事などは、
自分たちが論理を得意とすると思っているようです。

でも、他分野の学問にそれなりに触れた人にとっては、
法律家が論理を理解しているようには思えないと思います。
むしろ、法律学というのは極めて非論理的なものという印象を抱くのではないでしょうか。

私自身も、法律を学び始めた当初は、その中で使われる「論理的」の
意味をつかみ、それに慣れるのに、苦労しました。

法律家の言う論理的というのは、他の学問とは異なり、基本的には
接続詞の使い方を言います。

つまり、「そして」と「しかし」を間違えて使うなということです。
基本的には国語の問題です。

他の学問が基本とする論理においては、通常、「しかし」と「そして」
の意味は、同じです。すなわち「AかつB」を意味します。
論理的には「AしかしB」と「AそしてB」は同じです。
意味が違うのは「A又はB」です。

また、法律家において「よって」は論理的な必然を意味しません。
たとえば、
山田は、Aと言っている。
中村も、Aと言っている。
よって、Aは事実である。
というような文章を書きます。

通常であれば、その前提として、たとえば、
「山田と中村は同時に嘘はつかない」という命題が必要で、
そのような命題を前提としない限り、論理的には「Aは事実である」
という結論は出てこないはずなのですが、法律家は、「よって」
と言います。

他分野の論理の感覚からすれば、「よって」は論理的な必然性を意味するので、
ここで「よって」を使うのには抵抗があり、
山田は、Aと言っている。
中村も、Aと言っている。
だとすると、Aは事実と思われる。
位の文章しかかけないと思います。
でも、法律においては、平気で「よって」を使います。
そうすると、論理における必然性という感覚がない、換言すると
非論理的又は論理的に不誠実な感じに思われます。

さらに、法律で驚いたのは、
「常識に反するような結論が出たら、それは論理の使い方が間違っているからだ 」
という発想があることです。
普通であれば、論理が常識を打ち砕くことに学問や真理探究の魅力があると思います。
でも、法律の論理は常識に従属します。

という具合に、法律家の言う論理的とは、他の学問の感覚からすると極めて非論理的なわけです。
法律家の言う論理的とは整合的、つまり「矛盾がない」という程度の意味しかないにもかかわらず、
通常の論理的、つまり論理必然性があるかのようなニュアンスで話をするから、何か論理を理解していない感じになります。
これは、法律が、
学問的な真理探究が目的ではなく、事案の解決が目的であることや
白か黒か分からない場合に学問的良心に従って「これは 分からない」等と言うことは許されず、
白か黒か決めなければならないという
特殊性があることによります。

でも多くの法律家が自分たちの言う論理が極めて奇抜なものであるという自覚がないまま、
論理をかたっている面があります。
好意的に見えれば、微笑ましいといえますし、意地悪にみれば噴飯モノというところでしょう。

いずれにしろ、法律家の言う論理というものが、他の分野で言う論理とは全く別のもので、
結局のところ、紛争解決のための修辞に過ぎないということは、
法律家と接する人も知っておいたほうがよいのではないかと思います。

 

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