インドの哲学


なんとなく興味が出てきてインドの古典を読んでいます。



私が大学にいたころ、文学部の哲学系はいくつかの学科(専修課程と呼ばれていたような気もする)に分かれていました。



哲学(西洋哲学をやる)、中国哲学、インド哲学、倫理学(ここは日本と西洋をやる)



哲学といえば西洋の哲学をイメージするので西洋哲学は当然あります。また、日本の伝統からして中国哲学もあるでしょう。
ただインドについては、なんだかマニアックな感じがして、「わざわざ西洋哲学や中国哲学とともに並べるようなものなのかなあ」と思っていました。古代仏教の研究でもしているのだろうか、という感じであまり私も興味がありませんでした。



とはいえ、西洋哲学にふれているとニーチェだったりショーペンハウエルだったりが古代インド哲学に強い影響を受けているなんて話も出てきます。でも、キリスト教文化圏からしたら輪廻転生的な発想は示唆に富むのだろうなという程度の認識でした。



実際に読み出してみて驚くのは、近代以降の大陸系の西洋哲学の関心の類似性です。
インド哲学で強い関心の対象となる本当の自己とでもいうものは、デカルトのコギトやライプニッツのモナドを思わせます。また、そのあたりからスタートして自己以外の世界との関連性を考えていくあたりは現象学やハイデガーあたりの構成を思い出させます。



プラトン・アリストテレスあたりを中心に様々なことを独特の論理構成で分析していった古代ギリシャ哲学、形而上学的なあたりを徹底的に避けながら実学としての完成度を目指した古代中国哲学とは違う、独自の世界です。いまさらながら、インド哲学の学科があったのもうなづける次第です。



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