日本の民族宗教


日本人の多くは、自分たちを無宗教と自覚しています。海外で宗教記載欄があって多少狼狽するなんていうのが、よく出てくる話です。
それが日本人の特徴という自意識があるようですが、きっと中国人も同じなのだろうと思います。



中国人の宗教も、やや掴み難いところがあって、wikipediaでは「中国の民俗宗教」 というようなまとめ方をしています。



日本人の宗教も、仏教だ神道だというよりは、クリスマスを祝うこと等を含めて、日本の民族宗教というような位置づけがより正確なのかなと思っています。



自覚としては無宗教なのでしょうが、外からそう見えるかというのは別問題です。明治のはじめの頃、日本を旅行したイザベラ・バードの本で、通訳の伊藤が宗教をとても馬鹿にしていながら、体中にお守りを付けているというような話がでてきます。まあ、そんな感じにみえるのだろうと思います。
キリスト教だと異教徒、イスラム教だと多神教徒とかいう言い方があります。得体の知られない変なものを信仰している頭のおかしい奴らというニュアンスがある気がします。ほぼ、日本人が「宗教を信じている人」というのと同じニュアンスなのだろうと思います。
結局のところ、自分のやっていることは正しくて、それと違うことをやっているヤツはキチガイという人間の思考傾向があるということです。
「宗教は不合理だから云々」としたり顔で言う人もいます。人間の認識している世界なんていうのは、どのような頑張っだって不合理な空想の産物でしかないことを考えると、異教徒に対する嫌悪と同じ話だろうと思います。



世界史的に面白いのは、キリスト教イスラム教という伝播力の強い一神教が世界にどんどん伝わっていく中で、インド、中国、日本の3つの多神教文明がそれに耐え抜いているというところです。特にインドは、ムガール帝国というイスラム国家、イギリスというキリスト教国家に支配されながらもヒンズー教であり続けました。それだけ、何らかの強さがあるのだろうと思います。多くの多神教文化がキリスト強やイスラム教へ改宗して消滅していった中で、インド、中国、日本の民族宗教が残った理由は興味深いところです。
そんな興味の中、ヒンズー教の本を読んでいるのですが、ヒンズー教もイスラム教等の外部からヒンズー教と名付けられるまでは、自分たちの宗教について名前の自覚がなかったようです。つまり、インドの民族宗教ということなのだろうと思います。



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