3大哲学者
哲学と言われるものは、それが何を対象にしているのか、意味があるのかとか色々考えうるところです。
現時点での雰囲気としては、論理的な検討の対象になるけど、科学的な立証の対象にならないような事柄についての意見のようなもの、といったあたりでしょうか。
社会科学と名乗るものも、実際には科学的な立証の対象になってないことが多いのでしょうが、科学と名乗って、まるで何か科学的なことをしているように振る舞っているので、哲学とは区別されるようです。
そんな中で偉い哲学者は誰なのでしょうか?ということも気になります。
自分が日本の大学の哲学系の学生だった頃の雰囲気としては、まず相当年数カントかヘーゲルを徹底的に研究しないと、そもそも相手にされない。そのうえで、ギリシャ哲学には相当程度の敬意を払う。
哲学といえばドイツが本流でイギリス系は邪道。なので、ニーチェやハイデッガーは偉い。フランスの実存系も敬意が払われている。なんて感じでした。
そんな世界から離れて年月がたち、哲学以外の色々な本を読んできました。そういう中で、その本の課題を検討するために引用される過去の哲学者もいます(そう、現在の自然科学の世界で「引用」されることが大事なのです)。で、しっかり調べたわけではなく、あくまで感覚的なものなのですが、そういう引用のされかたからみた3大哲学者は、プラトン、ヒューム、カントといったあたりかなと思います。
やはりカントは偉いですね。私も人生で一番衝撃を受けた本は純粋理性批判です(どこまで理解できたかは別として)。何と言っても、理屈だけであれだけ複雑な論理を組み立てて、しかも何か極めてもっともらしい。哲学なんてものが、一つの意味あるものとして扱われているのは、カントがいたからではないかと思います。
量子力学を前提に世界を考える、なんて本になると、やはりカントの認識論がとても親和性が高くなってきて検討の対象になります
プラトンもよく出てきます。大抵の問題はソクラテス・プラトンで検討されていると言ったりするだけのことがあります。なお、ソクラテスに著作はなく、ソクラテスが何をしたかはプラトンが書いています。で、プラトンの著作の大半の主人公はソクラテスです。そんなわけで、はじめのほうがソクラテスの思想、後半がプラトンの思想とされたりします。
あとは、ヒュームです。マイナーですが、イギリス経験論の集大成とされていたりします。経験論を突き詰めた結果、鋭い懐疑論者になりました。懐疑論者として、正しいことをたくさん言っています。ヒュームの言っていることに反している時点でアウトなのですが、それがなかなか難しい。
なんてところです。ヘーゲルが出てきた記憶はほとんどないですね。ヘーゲルだったりハイデガーだったり、フランスの実存系だったりは、弁証法ということをいう人達です。正直、私は、この系統は説得力を感じませんでした。「Aという考えとBという考えが弁証法的に云々してCという考えになる」とか言うのですがなぜDでなくCなのかは一切説明がないので、なんだかよくわからないのです。
今読んでいる本で弁証法系の人たちの考えがでてこなくてほっとしています。
まあ、単に様々な本を書く人が主に経由する学歴において、基本的教養として学ぶものとしてプラトン、ヒューム、カントは出てくるけど弁証法系はでてこないので、引用もされないというだけのことかもしれませんが。