会務なるもの

先日,弁護士には,弁護士会内部の面倒仕事として
「会務」なるものが,あると書きました。
この会務は,会報を作るような事務的な委員会以外に,
人権活動・公益活動を目的とするような委員会が多数あります。

ところが,多くの弁護士は,この会務にとても熱心です。
それは,多くの弁護士のホームページの弁護士紹介欄に,
充実の会務経歴が書き込まれていることから分かります。

何故,弁護士は会務に熱心なのでしょうか?
おそらく,このようなことではないかと思います。

今までの弁護士の経歴としては,
例えば東大法学部に在籍し,友人の中でも優秀なほうで
同じ程度に優秀な友人は霞ヶ関で官僚になり,
劣る友人は大企業に就職し,そのうち幹部になる。

友人達は,公であれ民間であれ,国を動かしたり,
国際的に大きな意味をもつ仕事
をするようになります。

ところが弁護士は,個人の事件をしたり,
企業にからんでも,紛争処理をするだけで,
世の中の大きな流れをつくるような仕事には縁がないことが通常です。

稀に,世の中を動かすような判決を取るということもありえますが,
依頼者の利益を最優先して行動すると,こういう機会は滅多にない。

同じ法曹でも,裁判官であれば,抱えている事件数が多いので,
自然と,それなりに社会の耳目を集め社会的にも影響の大きい判断を,
自らだけの責任でする機会もありますので,官僚や大企業幹部に見劣りしません。

検察官も,ずっと検事仕事ばかりでなく,法務省の官僚になって
法案作成に携わるなりして,基本的には官僚のような仕事のようです。

と言う具合に,優秀だったはずの弁護士は,普通に仕事をしているだけでは
友人達に比べて,社会的影響力が小さいということになってしまうのです。

ところが,弁護士会というそれなりに社会的な影響力がある組織の中で
それなりの地位を占めれば,それなりに社会的に影響があることができる。
自分が正義だと考えることを,弁護士会名義で発信することも,ことの正否はともかく,
できるかもしれない。

そんなわけで,弁護士が,自らの社会における位置づけ,存在感を保つ上では,
とても大事なことのようです。

弁護士が増えすぎて,経済的に余裕がなくなり,公益活動(≒会務)ができなくなる
なんてよく言われます。
私にしてみれば,こんな主張は,世間から見れば,
「趣味的な活動に費やすだけの,経済的余裕を守れ」というようなふざけた
主張にしかみえないように思えますが,
当の弁護士から見れば,自らの人生・社会における存在意義に係る重要な問題ということです。

さて,会務に熱心な弁護士か,そうでない弁護士かは,依頼する上ではどちらが望ましいでしょうか?

会務に熱心な弁護士であれば,おかしなことをしていたときに忠告する人がいるから
懲戒にかかるような悪さをするのは,会務に不熱心な弁護士であるという話を聞き,
そんなもんかなと思いました。

でも,懲戒の情報を見ている限りだと,必ずしもそうでもないような気もします。
ただし,会務に熱心な人であれば,弁護士業界の中で悪名高い人である
可能性は低いのではないかと思います。

逆に,とてもたくさん会務をしている人(業界用語で,多重債務者にかけて,多重会務者と自嘲気味に
言われる)は,本業がほよど割がよいか,手を抜いているかという可能性もあります。
もっとも,この業界,依然として超人的な能力を持つ人もいて
たくさんの会務をこなしながら,よい仕事をしている人もいますので,一概には言えません。
どうみても超人にみえないようなら,やめたほうがよいかもしれません。

会務に熱心な弁護士かどうかは,ホームページの弁護士紹介欄に,会務の内容を誇らしげに
書いているかどうかである程度分かると思います。

 
 
 

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