歩く
甲子園がはじまったようです。
この夏の炎天下で、 野球をするのも大変ですが、
甲子園に出たとなれば、一生モノの記念碑でしょうから、
普通の高校生からしたら、とてもうらやましいことでしょう。
さて、私は高校生のときは、山岳部。野球のような、花道はありません。
そんな中、横浜から富山まで歩くことにしました。
35キロ程の荷物を背負い、駅舎等で泊まりながら、一人で、ひたすら歩きました。
足は靴擦れだらけで、はりで水ぶくれの水を抜いても、その中にまた水ぶくれができるし、
荷物は重くて肩や背中が悲鳴をあげるし、ひたすら苦痛に耐えるような行でした。
人から見れば意味不明の行いですが、
それをやり遂げたことで、それなりに自信になりました。
素質に恵まれない人間が、何か自分の中で自信を作るには、
苦痛に耐え抜くというのが、ひとつのやり口かもしれません。
前に進むのは痛くてきついだけだし、誰に命じられたわけでも、
誰に望まれているわけでもないという状況で、
とにかく一歩一歩、あと10分は頑張ろう、を繰り返しながら前に進み続ける
というある種の精神的な訓練は、今でも役に立っている気がします。
この夏の炎天下で、 野球をするのも大変ですが、
甲子園に出たとなれば、一生モノの記念碑でしょうから、
普通の高校生からしたら、とてもうらやましいことでしょう。
さて、私は高校生のときは、山岳部。野球のような、花道はありません。
そんな中、横浜から富山まで歩くことにしました。
35キロ程の荷物を背負い、駅舎等で泊まりながら、一人で、ひたすら歩きました。
足は靴擦れだらけで、はりで水ぶくれの水を抜いても、その中にまた水ぶくれができるし、
荷物は重くて肩や背中が悲鳴をあげるし、ひたすら苦痛に耐えるような行でした。
人から見れば意味不明の行いですが、
それをやり遂げたことで、それなりに自信になりました。
素質に恵まれない人間が、何か自分の中で自信を作るには、
苦痛に耐え抜くというのが、ひとつのやり口かもしれません。
前に進むのは痛くてきついだけだし、誰に命じられたわけでも、
誰に望まれているわけでもないという状況で、
とにかく一歩一歩、あと10分は頑張ろう、を繰り返しながら前に進み続ける
というある種の精神的な訓練は、今でも役に立っている気がします。